106:三日という期限
午前の作業が始まってからも、山側からの報告は途切れなかった。
広間の扉が開くたびに新しい書類が運び込まれ、壁の地図には印が少しずつ増えていく。雪そのものは朝より弱まっているらしいが、道路については、まだ確認を待っている場所がいくつも残っていた。
フローレンたちの机にも、職員が確認を終えた報告書が何度か追加された。中継地点までは通行可能。その先の主要街道は、大きな荷車の通行を停止。倒木の撤去作業はすでに始まっているものの、小規模な崩れが起きた場所については、まだ復旧の見通しが立っていない。
一枚ずつ見ていけば、状況は少しずつ分かってくる。けれど分かることが増えるほど、昨日まで一続きに見えていた輸送経路には、いくつもの条件が重なっていった。
「ここまでは荷車で行けるんだね」
フローレンが地図上の中継地点を指すと、ルシアンが頷いた。
「ああ。問題はその先だな。まず、影響を受ける地域と、今ある備蓄を分けて見た方がいい」
ルシアンは机いっぱいに広げられた資料を見渡し、それぞれの束を軽く手で示した。
「レオは道路と中継地点の報告を見てもらえるか。僕は輸送予定を確認する。フローレンは各地域の在庫報告をまとめてもらってもいいか?」
「うん」
「分かった」
三人で資料を分けると、それまで机の上で入り混じっていた紙の束に少しだけ順序が生まれた。フローレンは在庫報告を地域ごとに揃え、昨日見た一覧と照らし合わせていく。
食料については、冬前の備蓄がすでにかなり進んでいた。山側の村の多くで、数日の遅れだけですぐ困るような量ではない。暖房用の魔石も地域ごとの差はあるものの、今のところ切迫した報告は上がっていなかった。
朝から気になっていた診療所の薬品も、現在数だけなら極端に少なくは見えない。
けれど、その報告書の下に新しく届いた紙を重ねたところで、フローレンの手が止まった。そこには、昨日までの資料にはなかった、ここ数日の使用量が記されていた。
「……使用量、増えてる」
思わず声にすると、向かいにいた二人が顔を上げた。
「どのくらい?」
レオに尋ねられ、フローレンは報告書を二人にも見える位置へ寄せた。
「ここ数日。急に冷え込んだから、熱や咳で診療所に来る人が増えてるみたい。いつもの時期より早く、使う量が増えたって」
ルシアンが椅子を少し寄せ、記載された日付と数字を順に追った。
「昨日までの想定より、減る速度が上がっているということか」
「うん」
フローレンは朝見た在庫数を思い返した。
数だけなら、まだ残っている。けれど一日に使われる量が変われば、同じ残数でも、それが何日分に当たるのかは変わってくる。
報告書には、診療所側で計算した目安も添えられていた。現在の使用量がこのまま続いた場合、特に減りの早い薬品は、あと三日ほど。
フローレンの指が、その数字のところで止まった。
「三日……」
レオの声が低くなる。
ルシアンも何も言わず、診療所の報告から輸送予定表へ視線を移した。今日この地域へ向かう予定だった便には、食料や暖房用の魔石とともに、今まさに減りの早い薬品の補充分も積まれることになっている。
「もともと三日分しかなかったわけじゃないんだよね?」
レオが確認するように言う。
「うん。冬前の備蓄はしてる」
フローレンは昨日、集積倉庫で聞いた説明を思い返した。
「でも、薬品は使った分を見ながら追加で補充するものもあるって。今回は寒くなるのが早くて、使う量の方が予定より増えたんだと思う」
「その補充が、今日の便に入っていた」
ルシアンが静かに続けた。
朝から別々に拾ってきた情報が、そこでようやく一つに繋がった。
診療所が備蓄を怠っていたわけではない。領側にも道路状況を確認し、必要なら予定を調整する仕組みがある。それでも、例年より早い冷え込みで薬品の消費が増えたところへ、ちょうど次の補充予定と雪による道路障害が重なった。
どれか一つだけなら、大きな問題にはならなかったのかもしれない。けれど今は、いくつかの条件が同じ場所で重なっている。
「ほかは?」
ルシアンに尋ねられ、フローレンは別の報告へ手を伸ばした。
「食料と暖房用の魔石は、もう少し余裕がある。食料はこの地域なら十一日分。暖房用の魔石は、今の使用量なら九日くらい。診療所で減りが早い薬品だけ、三日」
数字を並べてみると、待てる時間の差がはっきりした。
ルシアンは手元の紙へ、三つの数字を書き並べた。
食料は十一日。
暖房用の魔石は九日。
そして薬品は三日。
同じ地域へ届ける予定だった物資でも、必要になるまでの時間はまるで違っていた。
フローレンはその三つを見つめた。
朝までは、どれもひとまとめに「道路が復旧するまで届けられないもの」に見えていた。けれど今は、その向こうにそれぞれ違う期限がある。
「三日なら、復旧を待つだけでは危ないかもしれないな」
ルシアンの声は落ち着いていたが、手元ではすでに別の資料を開いている。
「まず、診療所へ向かう別経路を確認しよう。昨日聞いた迂回路と旧道、それから今朝の道路報告も必要だ」
「俺、道路の方見てたから出すよ」
レオが自分の前にある資料をまとめて中央へ寄せた。
「迂回路はまだ確認中。旧道の方は、今朝の報告にはまだ何も入ってない」
「昨日、使っている人に聞くのが一番早いって言ってたよね」
フローレンが口にすると、レオもすぐに頷いた。
「うん。山仕事の人とか、近くに住んでる人」
そこまで言って、レオは壁際で作業を続けている職員の方へ目を向けた。
「聞いてみてもいいかな」
「その方がいいな。ただ、僕たちだけで問い合わせを増やすのは避けた方がいい。担当の方に確認してからにしよう」
ルシアンが席を立ち、近くにいた職員へ声を掛けた。
少しして一緒に戻ってくると、三人でまとめた内容を順に説明する。職員は食料と暖房用の魔石の残量を確認し、最後に診療所の薬品の欄で目を止めた。
「三日ですか」
「診療所からの最新報告では、そのようです」
ルシアンが答える。
「旧道について、今朝の状況を確認する方法はありますか?」
「あります。あの辺りを通る山仕事の方や、近くの集落へ連絡を取れます。ただ、使えるという返事があっても、それだけで物資を通す判断はできません。必要ならこちらから人を出して確認します」
「分かりました」
職員は三人が揃えた資料をもう一度見渡した。
「こちらでも、この診療所は優先して確認します。食料と魔石については今の数字なら少し時間がありますから、まず薬品の状況を担当へ回しますね」
必要な書類を数枚抜き取り、職員は再び壁際の机へ戻っていった。
レオはその背中をしばらく見送ってから、地図へ目を戻した。
「三日か……」
小さく呟き、診療所の印へ視線を止める。
「昨日ここで見た時は、ただ診療所があるってだけだったのに」
フローレンも同じ場所を見た。
地図に描かれた印そのものは、昨日から何も変わっていない。けれど今は、そこにいる人たちがいつもの冬より早く体調を崩し、薬を使う量が増えていることも、その場所まで今日届くはずだった補充分が途中で止まっていることも知っている。
「この辺り、昨日の職員さんが言ってたところだ」
レオが診療所の少し先を指した。
「冬になると、何日か動けなくなることがあるって」
「覚えてる」
レオはしばらく、その辺りに並ぶ地名を見つめていた。
「俺、名前だけなら前から知ってたんだけどな」
それ以上は続けなかった。
昨日までなら、そこに書かれた地名を見ても、自分の領地にある村の一つだと思うだけだったのかもしれない。今はその道を使う人や、診療所へ足を運ぶ人の存在まで、地図の向こうに重なって見えているようだった。
「レオ」
ルシアンの声に、レオが顔を上げる。
「旧道について、昨日聞いた内容を一度まとめてもらえるか? 誰が普段使っているのか、どの辺りまでなら通れる可能性があるのか。職員の方が確認する時に、情報がまとまっていた方が早い」
「分かった」
レオはすぐに自分の資料を引き寄せた。
フローレンも、食料と暖房用の魔石、薬品の残り日数を一枚の紙へ整理していく。記憶するためではなく、三つの期限を誰が見ても比較できる形にしておくためだった。
その間、ルシアンは輸送予定と道路情報を照らし合わせていた。
それぞれが見るものを分けたことで、先ほどまで散らばっていた情報が少しずつ形になっていく。必要なものだけを取り出して並べれば、どこに確認が足りないのかも見えやすくなった。
しばらくすると、レオが書き終えた紙をルシアンへ差し出した。
「昨日聞いた分はこれで全部。旧道は大きい荷車には向かない。山仕事の人と近くの住民は今も使ってる。雨とか倒木で状態が変わるから、今使えるかは現地確認が必要」
「ありがとう」
ルシアンは受け取り、最初から目を通した。
途中で一度手を止め、紙と地図を見比べる。
「この『山仕事の人が使う』というのは、どの区間までの話だった?」
「道全体って聞こえたけど……そこまでは確認してない」
「分かった。そこは職員の方に聞こう」
ルシアンは該当する箇所へ小さく印をつけた。
それからフローレンのまとめた表にも目を向ける。
「食料十一日、魔石九日、薬品三日。これは最新の報告で間違いないか?」
「うん。今朝届いた三つをまとめたよ」
「薬品の三日という見積もりも?」
「うん。診療所側の数字。私は書き写しただけ」
「そうか」
ルシアンは頷き、表を元の場所へ戻した。
どれも、この先の判断に使う情報なのだから、出どころまで確かめること自体は不自然ではない。フローレンも最初は、その確認を当然のものとして見ていた。
けれど、新しい報告が届くたび、少しずつ同じことが繰り返されていく。
レオが道路の情報をまとめれば、ルシアンがもう一度読む。フローレンが在庫を整理すれば、数字だけでなく、その計算を誰がしたのかまで確かめる。
職員から新しい報告書が三人の机へ届いた時も、レオが先に目を通したあと、ルシアンは自然にそれを受け取った。記載された時刻と内容を手元の資料に照らし合わせてから、ようやく元の束へ戻す。
頼まれた仕事を奪っているわけではない。
誰かの判断を否定しているわけでもない。
ただ、任せたものも、最後には一度自分の目で確かめている。
朝には机の中央に広がっていた資料が、いつの間にか少しずつルシアンの側へ寄っていた。
本人は相変わらず落ち着いている。問いかければすぐに答えるし、レオやフローレンへ任せた作業を取り上げることもしない。
それでも、紙が一枚増えるたび、その視線は一度そこへ向かう。
フローレンは手元の表から、ルシアンの横顔へ目を移した。
その動きに、覚えがあった。




