そこから始まる
2003年6月23日午後6時45分。ランカスターマンション206号室。ピンポーンと呼び鈴が鳴った。
「はいー」
「おはようございます」
「ああ、大悟」
「今日からお願いします」
「うん」
先日の事件以降、入間組から大悟を預かる立場になった。これはその初日の記録である。
「兄貴の部屋初めて来ました」
俺が大学入学から借りてる部屋は所謂1Kで障子を開けると八畳の部屋が広がる。左角には押入れとカラーボックス。右にはコタツと衣装ケース。ウチにあるのはそんなもん。栄太夫専属とは言うものの二週間に一度は一人になる。引き払っても良かったが秘密基地的な意味合いで今も家賃を払っている。家賃は月15,000円。格安である。
「意外です」
「何が?」
「兄貴の部屋ってもっと本がいっぱいあると思ってました」
「実家には阿保みたいに蔵書あるけどね。ここにあるのは選抜メンバーだけ」
「Dr.スランプにアトム、二十面相にホームズ・・・だけですか」
「まあな、少年探偵団が全巻あるのがミソだ」
「押入れは・・・?」
「おいっ」
下段には工具と大学のサークルで使っていたエアガンとサバゲーの装備くらい。上段には何にも置いてない。
「ホントに何もないんですねー」
「何が入ってると思ったの?」
「武器とか」
「それは別のところ。もう良いか」
「はい。これからどうするんですか?」
「車に乗って黒刻町へ」
「行きましょう!」
俺の愛車はフェアレディZ Z32、大悟はRX-7FD3S。二台連れ立って黒刻町に向かう。
半刻後、三ツ島遊郭浜風屋後門前。俺の一日はここから始まる。黒刻町と線路を隔てて隣り合う浜風屋に車で裏門まで向かう。彼女が動き始めるのは基本的には20時から。栄の部屋が俺の用心棒稼業の拠点なのでそれに合わせて向かう。30分前には番頭の串田ヒロムが裏口で待っている。
「ご苦労さまでございますぅ」
「おはようございます串田、変わり無いかい?」
「エエ、今日も無事に営業できますぅ」
「それは何より。あ、今日から大悟を連れていくから」
「大悟です。今日からよろしくお願いします」
「ほお!旦那に付き添うかい」
「はい!」
「頑張りやぁ。では二人ともどうぞぉ」
車はなんとありがたいことに専用のガレージに入れてくれる。若衆の雷電紫電に車を預け栄の部屋に向かう。黒刻町を含めてこの浜風屋が周辺で一番大きく敷地も広い建物である。最上階までエレベーターで上る。
「15階へ」
「いらっしゃいませ始様、大悟様。上へ参ります」
「仕事とはいえお金も無いのに最上階まで行くのは毎度気が引けるなあ」
「何をおっしゃいます、太夫の命はどれだけ積まれても払えないのです。貴方はお金以外でそれを払われた」
「払ったつもりは無いんだけどな・・・」
「いつもそんなこと思ってるんですか」
「そりゃあねえ」
三ツ島遊郭浜風屋15階甲の間。
「15階です。本日も一日よろしくお願いいたします」
「はい、よろしく」
15階は全て栄の部屋である。エレベーターを出るとL字方の廊下が座敷と大広間を囲い込んでいる。座敷には目もくれず突き当りの壁の隠し扉を開ける。
「栄、入るよ。おはよう」
「おはようございます」
「始様!大悟君!おはようございます!」
「どうだい主人稼業は」
「書類仕事にはまだ慣れませんわ。経理に計算と目を通す書類が多くってしかも判子も押さなきゃいけないでしょ。忙しくって」
「大丈夫か?」
「この間の事件で10階を今直してるでしょう。ついでに大工さんに見てもらったら色んなところに修繕箇所が見られたのよ。それの承認の書類作成はやってもらってるんだけど確認はアタシを通してもらわないと困るでしょ、もう大変よぉ」
「天下の栄太夫も、デスクワークには手間取るか」
「やだもうっ!あ、もうこんな時間。ご準備なさいます?」
「ん、そうだね。大悟、おいで」
「はい」
ここに来てまずやることは装備の確認である。詰所として使わせてもらっているこの部屋には金庫が一つ置いてある。俺は仕事中、特殊繊維で作られたスーツ、前回活躍した戦棍ライトニングと、報知器を兼ねるネクタイピン、隠しカメラのついたベルト、ペンライトで武装している。金庫の中に道具類が全部入っている。
「見回りは大体2時間、その後バンシィとハリー・ホプキンスを回ってから入間組に顔を出す。ここに帰ってくるのは日が回ってからダナ」
「かしこまりましたわ、どうか気をつけて・・・あ、入間組長によろしくお伝えくださいな」
「うん、何度でも言うけど何かあったら直ぐ連絡してくれな。全部ほっぽって全速力で帰ってくるから」
「もう・・・分かってますからお気になさらずお仕事なさってください」
「いや、ちゃんと毎回言わせて。別にお店のトラブルで呼んでくれても構わないから」
「大丈夫ですよ、始様を全力で頼らせて頂きます」
「じゃ、行ってきます」
「いってきます!」
「行ってらっしゃいませ。大悟君も気をつけてね」
そう言って窓から出る。浜風屋は城のような造りになっており各階の屋根は段々になってそれぞれ間の高さは5メートルほど。きっちり受け身を取って着地すれば無傷で降りられる。
「嘘でしょ兄貴!!?」
「お前なら着いてこれる!来い!」
「嘘お・・・」
「始様よ!」
「今からお勤めに出られるんだわ!」
「お気をつけてー!」
各階の窓から遊女たちに声をかけられる。有難い事なので手を振ってから降りていく。
「大悟様!?」
「なんで!?」
「今日から始兄貴に付くから、よろしく、ねっ」
「「「「キャーーーーーッッッ!!!」」」」
降りきると外壁の瓦の上を走って裏門の橋まで行き黒刻町に入る。ここまでが毎日の準備運動。入って直ぐ、黒刻町最北端の角のたこ焼き屋で朝飯ならぬ晩飯をとる。
「始さんんっいらっしゃいっ、おっ、入間組の円さんじゃないかい」
「はあーーーっっ!!!怖かったー・・・今日から兄貴に付きます。よろしく」
「ネギ塩八つで、あとミックスジュース。二つずつ」
「あいよっ」
出来上がるのを待ちながら駅を見やる。知らない人間は降りてきていない。
「なるほどここから駅の出入りを見るんですね」
「そういうこと、知らん人がいたら目立つでしょ」
「確かに」
「お待ちっ、1000円ですっ!」
「毎度」
「毎度ありっ」
食べながら歩き始める。食べ終わるくらいで客引きに挨拶される。
「ご苦労様ですっ」
「やあ、ゴミ箱空いてたかい」
「晩飯ですか、捨てときます」
「直ぐそこだろ、良いよ」
「いえっ、もらわんと上役に言われますんで」
「えっホント、ありがとう。今度文句言っとくから」
次の通りにあるトルティーヤ専門店でも買い食いをする。サーモン入りを二つ。三つ先の通りの焼き鳥屋でねぎまを1本と小さな紙袋に唐揚げを五つ入れてもらい食べながら町を歩く。一通り歩いた後、幾つかの店に挨拶がてら顔を見せ近況を聞く。
「食いすぎじゃないですか?」
「そう?」
マチルダビル9階バー・バンシィ。黒刻町四女神が一、マダム・摩子。妖艶な、それでいて上品なマダムが営んでいる。
「こんばんわ」
「いらっしゃい。あら始君に大悟君、どーぞ」
「今日から兄貴に付きます」
「あらそうなの。頑張ってね」
「珍しい、誰もいないなんて」
「いるわよ、ボックス席に二人。密談ってところかしら、いつもので良い?」
「うん」
置いて貰っている九州のクラフトコーラを頂く。一応車で来てるので酒は飲まないがプライベートではよく来るのでバーボンのボトルは置いてもらっている。大悟もここによく来るみたいでジンジャーエールを飲む。
「どうぞ」
「どーも。お変わりない?」
「ええ。いつもと変わらない、良い日常を過ごさせてもらってます。始君は?相変わらずこの町のヒーロー?」
「なった覚えはないんだけど。ヒーローじゃないよ、用心棒だ」
「あたしにとってはヒーローなのよ。何回危ないところを助けてもらったか」
「トラブル多すぎたんだよ俺が来た時は。彩雲会もてんやわんや、猫の手も借りたいくらいだった」
「お店で組合を作る事を提案してくれたのも、行き場の無い子たちをまとめてくれたのも全部始君だもんね」
「組合作るくらい何処でもやるだろう。知らない人を失くしてやれば、知ってる人を大事にするでしょ。それが平和に繋がる」
「いつも思うけど、その達観した考えと言い行動と言い、ホントに23?」
「住民票見る?」
一時間呑んだので店を後にする。
「また来てね~」
「うんーごちそうさま」
そこから通りを五つ跨いであるのが「ハリー・ホプキンス」。所謂キャバクラ。黒刻町随一の売上と年数を誇り、高名著名人の来店もしばしば。所属するキャストのレベル、質も他店を凌駕する。勿論来店するお客様もそれ相応。夜とは何か、夜遊びとは何かを熟知している人のみが入店を許される。
「いらっしゃいませ中森様、円様。ご案内します」
「ありがとう」
煌びやか、且つ上品な内装と調度品の数々。磨きをかけられたテーブルに、座った人間を受け止めほぐす椅子。隅っこの広くない二階席の39卓。店全体を見渡せる好都合な席で過ごす。
「大悟は来るの?」
「全然ですよ。組の皆で来た以来です」
ジンジャーエールと柚子小町(ついてくれた女の子用にボトルキープ)をもってきてもらったところで
「失礼致します」
栄太夫、マダム・魔子、そして彩雲会組長の入間恵と並び立つ黒刻町の女神、神宮寺彩。男たちの社交の場を彩り、繋ぎ、助ける才能を持つ。彼女が関わる事でこれまで幾多のビジネスやビッグプロジェクトが成立してきた。
「彩さんが失礼ってんならこの世の女性はみんな不躾だよ」
「そうかしら、私だって始君には失礼しちゃうかもよ?大悟君もいらっしゃい。こないだ皆さんで来てくれた以来ね」
「ど、どうも。自分今日から兄貴に付きますんでよろしくお願いします」
「おや、組抜けたの」
「俺が借りてるの・・・もう一人いるの?」
彩は一人の女性を伴っていた。下を向きガタガタ震えている。所謂ド緊張状態。
「しっ…失礼っ、致しまずっ!!」
「どーぞ。新しく入った子?」
「そう。坂田ルミちゃん」
「さっ、坂田・・・ルミです。・・・よっ、よろしくお願いいたします・・・」
「まっ、そう緊張しないで・・・って言われても無理だわな」
「始君、頂いても良い?」
「ああ、勿論。君は?柚子小町飲む?」
「はいっ!いっ、頂きます!」
「大悟も飲め、ヘネシー下ろすか」
「えっ」
「おおー、ありがとうございます!お願いしまーす、ヘネシー頂きました!!」
「「「「「ありがとうございます!」」」」」
「お前用だ。それとも別のが良いか?」
「いえっ、でもそんな高いお酒・・・」
「いいからいいから、ルミちゃんだっけ?好きなの飲みな。これじゃなくても良いよ」
「ルミちゃん何飲む?」
「はっ、始さんと、同じのを・・・」
「ジンジャーエールだぞ。お酒は?」
「のっ、呑めます!」
「お、いける口かい。じゃ、おつぎしましょう」
「めっ、滅相も無いです!」
「いいからいいから」
「おっ、お注ぎさせて頂きます!」
「はい、お願いします」
「しっ、慎重に・・・慎重に・・・」
「この子席付くの初めて?」
「いつも練習台になって頂いて、ありがとうございます♪」
「光栄で・・・ふっ!?」
「あーっ!!!」
「あらやだ」
「あちゃー。兄貴大丈夫ですか」
「大丈夫大丈夫」
ルミの手元が狂いドリンクが俺にかかってしまった。緊張による震えが影響してしまった。
「ふっ、布巾ーっ!」
「大丈夫だから」
「ルミちゃん、落ち着いてね?」
「ごっ、ごめんなさい・・・」
「初々しくて良き、直慣れるさ」
「申し訳ありません・・・」
「いーからいーから。さっ、乾杯」
「お仕事お疲れ様です」
「頂きます・・・」
暫く四人で飲んでいると一人のボーイが彩に耳打ちする。誰か来たらしい。
「始君、ちょっとお客様に挨拶してくる。ルミちゃんよろしくね」
「はいはい」
席にはルミが残された。緊張はしているがさっきよりはほぐれたようだ。
「落ち着いたかい」
「はっ、はい」
「おいくつ?聞くのも失礼だけど」
「27です・・・」
「わお、年上でしたか。これはとんだ失礼を・・・大悟はいくつだっけ」
「22です」
「1個下だったか」
「ルミさん、は・・・なんでこの店入ったの?」
「彩さんに、助けられたんです」
「助けられた?」
「私こないだまでOLやってたんですけど上司に虐められてて。夜も残されるし残業代付かないしセクハラされるしで死にたくなって、それで人生嫌になってビルから飛び下りて死のうと思ったんです」
「あ、こないだ飛び下り自殺未遂でこの辺で騒動になったのって・・・」
「わ、私です・・・」
「そうだったのか・・・」
「死のうと思ったら下から買い物帰りの彩さんが私に向かって叫んでくれたんです・・・」
1週間前。白井ベリアルビル前。
『あんた死ぬの!!?』
『誰ですかあ!!?私の事なんてほっといてください!!!』
『あたしの仕事場隣の建物なんだけどー!!!』
『ごめんなさーーーーーい!!!!!!!!』
『死なれたらここ掃除するの大変だしここにいる人達にトラウマ植え付けちゃうよ!!!それに掃除するの多分アタシ達かも!!!』
『ご迷惑おかけします!!!申し訳ございません!!!』
『死に際に面白い事言うじゃない!!!あんたどんな顔してんの!!!』
『ブスでヘチャムクレで童顔です!!!』
『アタシの顔見える!!!?』
『ごめんなさいよく見えません!!!』
『アタシの声どんな声!!!?』
『凄く綺麗!!!歌手か声優さんみたい!!!』
『アタシがどんな顔してるのか気になる!!!?』
『・・・え?』
『アタシもあんたの顔が見たいから!!!ちょっとそこで待ってなさい!!!飛び降りたら殺すわよ!!!』
『ふえええ!?』
白井ベリアルビル屋上。
『どこがブスよ、超可愛い顔してるじゃない』
『わー綺麗な人・・・』
『あんたOL?どこの会社?』
『え?』
「で?」
「会社に踏み込みました」
「やりそう」
「うわー・・・」
「しかもその前に電話してて、大本の親会社の社長さんに...」
ハリー・ホプキンス一階エントランスホール。
『お世話になってます会長。実はこれこれ然々、というわけで同行を要請したいのですけれど。そう!人の命には変えられません、会長も分かってらっしゃる。ええ、10分で。よろしく』
『あ、あの・・・』
『貴女にとっての最強の矛で盾を用意したから』
『え・・・』
『待たせたな彩さん』
『曾孫受けの会社の社員とは言え私の目の前で女の子殺す気ですか?』
『その通りだ、申し訳ない。君名前は?』
『さっ、坂田です』
『君の会社へ案内してくれまいか。そこに行くのは君にとって最後にするから』
『?』
大和電機株式会社一階玄関。
『かっ、会長!!?』
『頭が高いな。社長、君の教育はどうなっている』
『申し訳ございまああああああ!!!!?』
『!!?』
会長は一本背負いで社長をひっくり返してしまいました。
『坂田さん。君の部署は』
『えっ、営業二課です・・・』
『社長』
『はっ!此方です!!!』
大和電機株式会社営業部。
『坂田・・・?何で死んでねえの?死ねって言ったじゃああああああああああああ!!!!?』
今度は私の上司を一本背負い。
『お前か、名刺あるだろう。出せ、ほー、一丁前に良い名刺入れだな人でなしのくせに』
『かっ、会長・・・!!!!?』
『君、今から転属だ。私の子会社が日本アルプスに大トンネルを掘っていてな。スコップが一つ余っている。今から向かってもらうから・・・あ、手続きは即刻今からやってもらうのと君の今月の給料と退職金支給は無しでこの女の子に渡すのでよろしく』
『かっ・・・』
『坂田さんはもう退職扱いになっとるのか手際が良いな。退職金は・・・ほほう。手前に振り込まれるのか、やったな社長』
『・・・!』
『なんにせよこの会社は潰さねばならん。世が世ならワシも切腹だ。ハッハッハ』
『かっ、会長さんが切腹なさることは無いかと・・・』
『そうですか?じゃあ誰が腹を切るべきか?』
『分かっとるな社長』
大和電機株式会社一階駐車場。
『どう?スッキリした?』
『いや、なんだかよく分からず・・・』
『でも良かったわ。アタシの目の前で可愛い女の子が死ななくて』
『可愛いだなんて・・・今まで言われた事ないからなんて返したら良いか』
『あんた、行くとこあるの?』
『・・・』
『アタシと働け』
『え?』
『アタシと、アタシの居場所なら』
『・・・』
『あんたを守れる』
「そういう訳でお世話になってます」
「アタシの居場所なら守れる、ってか・・・」
「たっだいま・・・何話してたの?」
「彩さんは素敵な人だって、話してたんです」
「?」
今日のように何件か回った後に入間組に顔を出す。彩雲会直系入間組本家正門。
「「「「「「お疲れ様です!」」」」」」
「組長にお目通り願います」
「ご案内します!」
入間組本家組長室。
「お疲れ様、大悟もよく頑張ったね」
「夜分遅くに失礼してます」
「ご苦労、町は変わりない?」
「俺の目には平和に見えました」
「私らも勿論見回りはやってるけど君は違う目線でこの町を見てるからね。必要な力として私は君を見てるけど、迷惑に思ってたらいつでも言ってね」
「迷惑だなんて。あり得ませんよ、俺がこの町で自由に動けるのも組長のお陰なんですから」
「なんにせよ、食客として招かせてもらってるんだ。なんでも好きに言ってね。大悟も、何かあったら直ぐ報告して」
「恐れ入ります」
「分かりました」
「夕飯は?食べた?」
「『夕飯』は、まだ」
「えっ、まだ食べるんですか!?」
「今は何が足りてないの、野菜?」
「たんぱく質とコレステロール・・・卵料理が食いたいですね」
「じゃあオムレツにしよう、お米は?食べる?」
「足りてます」
「じゃあオムレツだ、ちょっと待ってなさいな」
「わーい」
「ガビーン」
入間組長の表の顔は大衆食堂「護」の女将。安くて上手い、超人気店でマスコミからの取材依頼が殺到しているが裏の立場が立場なので全て断っている。そんな彼女の得意料理がオムレツ。ここでこれを食べるためにコレステロールは控えている。卵二十個を豪快に使った俺のための特別なオムレツ。他の味などいらない、卵そのものの味を楽しみ体に取り入れる。
「美味しい?」
「美味しいれふ!」
「ただ焼いてると思ってるかもしれないけど、色々気を効かせてるつもりだよ?」
「伝わってますから大丈夫ですよ、ちゃんと」
「ごちそうさまでした」
「はいよろしお上がり。浜風に戻るの?」
「ええ、栄が待ってますんで」
「そ、太夫に『よろしく』お伝えなさい」
「はーい。大悟も今日はありがとう」
「なんか、食べて飲んで喋ってただけっすね」
「久し振りに何も無い日だった、そういうことさ。なんかあったらしっかり動いて貰うからな」
「はい!」
「じゃ、お疲れ様でした」
「気をつけてね」
「おやすみなさい!」
因みに入間組にも一室頂いている。気が向いたときに使わせてもらっており本当に気が向いたら使って気まぐれに何日か泊まったりと宿屋感覚で使ってるけど何にも文句言われないしまた来いと言われる。不思議だ。
見回りも終わり入間組に顔を出し終わると浜風屋に帰る。帰ってくる時は正面玄関から。
「いらっしゃいま・・・旦那ぁ!お帰りなさいませ」
「ただいま串田。晩飯ある?」
「ワンポンドステーキをブルーレアで。サラダもたっぷりご用意しております!」
「やりい」
三ツ島遊廓浜風屋15階甲の間。
「太夫いる?」
「始様!」
「ただいま帰りました」
「お帰りなさい・・・」
夜食を太夫と囲む。これが二人のリラックスタイムなのだ。オムレツ?あれはおやつだろ。
「黒刻町の女神達と仲良くさせて貰ってるってんだから、人生わかんねえもんダナ」
「?女神?」
「自覚が無いってのがな・・・」
高級ホテルの食事に勝るとも劣らない浜風屋の夜食を食べながら栄と談笑する。
「そういえば始様、最近女の子達の間で噂になってる占い師」
「占い師?」
「的中率百%らしいですわよ?私も占って欲しいわあ」
「絶対当たってるってこと?超能力だろ」
「始様は占い信じます?」
「うーん、百は信じないなあ。良い結果は信じるけど悪い結果は信じないよ」
「良いも悪いも絶対当たるらしいですわよその占い師」
「なんじゃそれ、神か。何処かに店構えてんの?」
「それが神出鬼没、道端で占ってるらしいの。何時かも何処でやるかも決めてないみたい」
「うん、俺見たこと無いわ」
「えっ、無いんですか?あんなに毎日この町を歩いてるのに」
「うん、無い。なんで?」
「いーえ?無いんだなあ・・・って」
「会ったこと無いんだったら会ってみたいな。意識してみよう」
日付を跨いで午前3時2分。
「あら、もうこんな時間」
「あ、見回りか。」
俺の見回りが終わったら今度は太夫の見回りが始まる。店の営業はキチンと行われたか。設備は壊されてないか。足抜けした者はいないか・・・等々。遊廓全フロア全階を隅々まで見回る。
この世には目に見えているものでも手抜かりがある人は大勢いるが串田や他の奉公人は自分の仕事、目に見えているものには絶対に抜かりが無い。よって栄は彼らに見えていないものを見ようとする。彼女の良いところは見えていない者に対して見えていないことを責めたりはしない。見えているものをしっかり見ている事を彼女は評価出来る。
三ツ島遊郭浜風屋1階中庭前廊下。
「お庭の池、色がちょっと濁ってきたかも」
「俺がやろう。明日の昼は空いてるから出来るし、男衆何人か貸して」
「分かりましたわ、高圧洗浄機は裏手の倉庫の中です」
「分かった。借りるよ」
「何かあの植木元気無い気がする」
「大学の同級生に樹木医がいる。明日連絡してみよう」
「ここのお湯、出が悪い気がする」
「ボイラーのパイプが外れかかってたから直してきた」
「お客様から口紅の色が変わったって言われたって報告があるのだけれど」
「製造元の会社、取引先が変わって成分もちょっと変わったらしいぞ」
「部屋に蜘蛛が出たって」
「追い出してきた」
「オリオン座ってどちら?」
「あっち」
「始様は何でも応えてくださるのね」
「何でもは応えられんさ。応えられる事だけだよ」
「でも断らないじゃない」
「応えられるからだよ」
「あとは・・・」
「次は?」
「正門!」
二十歳になってからほぼ毎日見てきた浜風屋の正門。これだけでも建てられて何年経つのだろうか。壮大で威厳を持ち、これに気に入られなければ店自体に入れないような。そんな気が・・・。
「だとしたら駄目だろ」
「?何が?」
「やっぱり入った人を温かく迎えてやらなきゃあ」
「それは串田達の仕事。門の仕事じゃないわ」
「そっか」
「門は外的から中を護る為の塀と外を繋ぐ場所なんですから。厳つくないと」
「ほほう」
「私はこの門大好き。アタシ達を守ってくれてる気がします」
門の扉は鉄製にも関わらず色々な傷が付いている。何かをはじいたような傷や少し凹みのようなものがあるようにも見受けられる。
「色んなものを守ってきたんだなあ」
「・・・始様も、守ってくださってますわ」
「比較するんじゃないよ・・・年季が違わあ」
「大事なのは想いでは?」
「なら俺はこの世から争い事を無くせてるさ」
三ツ島遊郭浜風屋地下駐車場。フェアレディZに乗って高速にドライブに行く。今日はだいぶのんびり出来た。平和な夜だった。
「始様待って・・・とと」
「栄、置いてくよ」
「旦那、いつも思っとりましたがこの車見た目の割に静かですなあ」
「今スロットルとパワー絞ってる状態だから、ここのダイヤルで切り替えられるんだ・・・」
「お待たせ致しました!串田、戸締まりよろしくね」
「ようがす。門開けるリモコンはお持ちですか?」
「もちろん!明日はお昼から始様が庭池のお掃除をしてくれるわ。それで良いかしら、始様」
「大丈夫だよ、起きてるだろ」
「あと始様のお手伝いで今日早番の男衆に召集かけておいて!」
「じゃ、おやすみ」
「お二人ともお気をつけて。おやすみなさいませ」
「怖かったら言うんだぞ」
「ヘッチャラよ」
五国環状高速道路、通称「五状」。ストリートの走り屋が集い、日々切磋琢磨しているこの場所は夕方を過ぎればそれを見るため、また共に走るために黒山の人だかりが出来るが夜明け前になれば流石に人もいなくなる。これくらいの時間を狙いハイスピードクルーズを二人で楽しむのもまた日課とも言える。田舎から出てきて五年。山で走っていた時代から平均速度二百キロの世界への転向。実は俺も巷では五状四天王と有名なのである。他の四天王達と合流するためにもこの時間を走るのだ。
「ポルシェだわ」
「猪崎さんだ」
白のポルシェ993ターボに乗る猪崎真一さん。この四天王の一人であり、孤高の天才と呼ばれている某医大の総長。
「後ろにスープラね」
「80だから島田さんだ」
JZA80スープラの島田悦子さん。同じく四天王の一人で元女優のフラワーアーティスト。
「ちょうど良いや。この二人に引っ張って貰おう」
四天王と言われる二人だが今日乗っている車は二人とも本気仕様では無い。お気に入りの車で出てきたようだ。まあ俺は何台も車は持っていないので一張羅なのだが。二人についていくためにちょっとだけリミッターを外す。SR20DETエンジンに換装した俺のZ32は出来るだけオールラウンダーに戦えるように最大馬力も350程度。まあでもこのペースなら十分着いていけるのだけれども。
難しく作りましたと言わんばかりの五状の道は時に激しく、時に緩やかに作られており、首都高以上のトリッキーな道である。その道を三台はスムーズに流れていく。誰か曰くフライパンの上に落としたバターのように。
「一台の時より走りやすそうね」
「そりゃ最高のペースメーカーがいてくれるからなあ」
一台の車が合流してきた。白のFD3S。
「土橋さんだ」
土橋直人さんは人よりちょっと多めにお給料を貰っている普通の独身サラリーマン。次の日が休みの日じゃないと走りにこない週末走り屋。しかしながら五状を知り尽くした正にマイスターで並みの走り屋では着いていくことすら困難。氏曰く「ここでしか走ってねーからなあ」。勿論四天王の一人である。
「わあいオールスターだ」
前を譲ろうと左車線に寄ると土橋さんも同じように左に寄ってパッシングして来た。
「前走れだって」
「うわー見られる」
五状最強の三人に混じりながら気持ちよく流す・・・と行きたいところだが俺的にはこの二人に引っ張ってもらいつつ土橋さんにドライビングを見られるという緊張感も心の中には存在した。暫く流した後四台でSAに入る。
夜明け前の五国環状高速道路出水サービスエリア。
「おつかれさんですー」
「うわーいハジー君!栄ちゃんも一緒だー!」
「わーいおひさです島田さん」
「また上手くなったな。よっぽど走ってると見える」
「猪崎さんも衰えしらずですわね」
「まだまだ若いもんには負けませんぞ・・・と。土橋君下りてこないな」
「電話してるわー」
「うえーもう6時ですよ」
「お待たせしましてお疲れ様です皆さん」
「電話はもう良いんですか?」
「栄太夫のお口利きで出世出来たのは良いんですけど、もっと忙しくなっちゃって・・・五状に上がるのも1ヶ月振りでして」
「だからハジーを前に行かせて」
「そっ、引っ張って貰おうと」
「うへー、俺なんかが」
「十二分に上手だよ。俺なんて20年走ってるのにもう追い付かれてる」
「いやいやそんな」
「天才天才、この子天才」
「やめてくださいよ」
「会長にもうちょっと暇があってお給料も同じくらいの位置付けないかお伺いしてみますわ!」
「いやいや栄太夫。多分今くらいが俺の性にあってんのかもしれないって最近思わんでもないっていうか」
「どうですか総長先生」
「過労で倒れて一生カテーテル生活がオチと見えた」
「土橋さんの行く末は任せてください!」
「ええー・・・」
この五人だからこその掛け合いを楽しみながらタバコとコーヒーを飲む。近況を報告したり走り屋の情報を教えてもらったり。
「そういえばハジーはさ、この時間帯しか走んないの?」
「ここ2年は敢えて今くらいの時間ですね。皆さんにも会えるし、栄の仕事もこれくらいに終わるし、ちょうど良いかなって」
「じゃあ逆に若い子たちがどうこうっていうのは知らないんだ」
「知らないし興味湧かないですよね。誰が一番速いとかどっちが前にいたかとか競技ならまだしもストリートに関しては全然・・・」
「このオッサンはその辺敏感だもんね~」
「誰がオッサンだってえ!?まだまだ若いもんには負けないぞ!」
「じゃああの子。インプレッサで最近頭角表してきたあの子」
「誰ですかそれ」
「あー、その子なら山下って名前だったハズ」
「土橋さん知ってるの?」
「うんー、会社の女の子に言われた。メチャメチャイケメンの走り屋がいるんだーって。俺もそこで知ったけど」
「どんなやつだ」
「いや、正直全然。その女の子も見に行った方が良いですよって言ってただけだし」
「なんじゃい」
時計を見てみる。針は朝6時過ぎを示す。すでに五状の道は車が増えてきた。
「あ、もうこんな時間だ」
「わしらも帰るかい」
「オッサン、撃ち落としに行くなら連絡してよね。負けっぷりを見物しに行ってあげるんだから」
「そう簡単にやられてたまるかい」
「俺もそろそろ寝たい・・・」
「では皆様、また」
「ああ、気を付けてな」
栄はその若い走り屋が気になるらしい。
「山下・・・ですって」
「この五状で名前を広めるってのも並大抵の事じゃない。よっぽど速いんだろうが・・・興味あるの?」
「始様がどうでも良いのなら私もどうでも良いわ」
強がりである。
「そ。ま、猪崎さんが落とされるってんなら話は別だけど。そうそう無いだろ」
「この五状でインプレッサという選択は、どう?」
「ふーん。EJ20ターボに四駆、とあるワークスは600馬力を出したと聞く。それだけのパワーを許容するパワーユニットだし結構ドンピシャじゃないか。馬力を使いきれるセットアップならの話だが」
「気にしといてあげましょうか」
「いいよどうでもいい」
と、まあ大体こんな1日。結構楽しいもんさ。毎日が刺激的で日々何かがあるーまあ今日は何もなかったけれどもーそれはずっと心の中で待ち続けていたことなのかもしれない。




