第8話 存在しない砦から、受領証が届きました
霜見砦の確認書を作るには、まず紙を集めなければならなかった。
受領証だけでは足りない。
兵がいること。
冬のあいだ、そこに配置されていること。
荷を受け取った者が、誰の責任で受け取ったのか。
それらを、一枚ずつ揃える必要がある。
翌朝、補給室の机には、昨日より多くの紙が積まれていた。
第三補給便の受領証写し。
霜見砦の兵員名簿。
冬季配置命令。
過去三年分の維持報告。
王宮が数年前に出した廃砦予定決裁の写し。
クラウス様は、革鞄から最後の束を取り出した。
「王宮決裁の写しです。記録保管庫に残っていたものを、昨夜のうちに写させました」
「ありがとうございます」
私は一枚目を受け取った。
廃砦予定。
そこには確かに、霜見砦の名があった。
ただし、文面は単純ではない。
北方監視線再編に伴い、霜見砦は常設砦としての維持費目を翌年度より縮小対象とする。
冬季監視の要否については、北方騎士団の報告を待ち、別途判断する。
私はそこで手を止めた。
「別途判断する」
「はい」
クラウス様が頷く。
「その後の判断書は、見つかりませんでした」
「見つからないのではなく、作られていない可能性が高いです」
机の向こうで、マルク副長が低く唸った。
「では、王宮は“冬季監視の要否を判断する”と言ったまま、判断しなかったのですか」
「記録上は、そうなります」
「その間も、霜見砦には兵がいた」
「はい」
私は兵員名簿を開いた。
霜見砦冬季配置。
十二名。
交代周期、二十日。
馬四頭。
補給受領責任者、ガルム兵曹。
名前が並んでいる。
ただの数字ではない。
けれど、帳簿に載せるときは、まず数字にしなければならない。
「確認書には、廃砦予定決裁の本文も添えます」
「不利になりませんか」
マルク副長が尋ねた。
「廃砦予定と書かれている以上、会計院はそこだけ見るかもしれない」
「だから、本文ごと添えます」
私は決裁書の一文を指した。
「ここに“冬季監視の要否については別途判断”とあります。判断が未了なら、冬季監視を不要と決めた記録も存在しません」
「つまり」
「霜見砦は、常設砦としては縮小対象です。ですが、冬季監視点として不要とは決定されていません」
ユリウス閣下は、机の横で黙って聞いていた。
「その違いで通るのですか」
「通すための書き方にします」
私は新しい紙を取った。
霜見砦冬季維持確認書。
昨日書いた題の下に、資料番号を振っていく。
一、第三補給便受領証。
二、冬季配置命令。
三、兵員名簿。
四、過去三年分維持報告。
五、廃砦予定決裁写し。
そこで、兵員名簿の欄を見て、私は手を止めた。
「この名簿は、このままでは使えません」
マルク副長が表情を変える。
「何か不足が」
「不足ではありません。表題です」
私は名簿の上部を指した。
霜見砦臨時配置名簿。
「臨時配置」
マルク副長が読み上げる。
「それが問題ですか」
「はい」
「実際、冬のあいだだけの配置です。臨時では?」
「王宮会計院に出すなら、臨時では通りません」
私はペンを置いた。
「臨時は、なくてもよいものです。定期は、毎年必要なものです」
補給室の中が、少し静かになった。
「霜見砦は、毎年冬に兵を置いています。過去三年分の維持報告もあります。なら、これは臨時配置ではなく、冬季定期配置です」
マルク副長は、ゆっくりと名簿を見直した。
「言葉の違いで、そこまで変わるのですか」
「変わります」
私は答えた。
「臨時配置なら、今年だけの特別対応として処理されます。来年の費目にはなりません。冬季定期配置なら、翌年度予算に組み込む理由になります」
「同じ十二名でも」
「同じ十二名でも、書き方が違えば、来年の荷が変わります」
マルク副長はすぐには返事をしなかった。
彼の視線は、名簿の上を動いていた。十二人分の名前を、ただの行ではなく、次の冬の荷として見ているようだった。
ユリウス閣下が言った。
「直せますか」
「現地記録の実態に合わせるなら、補正できます。ただし、元の名簿を消してはいけません」
「写しを取って、補正理由を添える」
「はい。表題は“霜見砦冬季定期配置名簿”。注記に、従前の臨時配置名簿を実態に基づき補正、と書きます」
「承認者は」
「マルク副長。現場補給記録の責任者として」
マルク副長が、少しだけ背筋を伸ばした。
「私ですか」
「はい。ノルデン閣下がすべてに署名すると、現場確認の重みが薄くなります。兵がいることを日々確認しているのは、補給側です」
ユリウス閣下は頷いた。
「マルク」
「はっ」
「読んで、納得できるなら署名しろ。納得できないなら、止めろ」
「承知しました」
その言い方が、少しだけ王宮と違っていた。
王宮では、署名は上から落ちてくるものだった。
ここでは、読む者の責任として置かれている。
私は名簿の写しを作り、表題を改めた。
霜見砦冬季定期配置名簿。
注記。
本名簿は、従前の霜見砦臨時配置名簿について、過去三年分の冬季維持報告および配置実態に基づき、冬季定期配置として補正するものである。
マルク副長は、最後まで読んだ。
それから署名した。
マルク・ヘルナー。
文字は大きく、少し角張っていた。
「これで、来年の申請に使えますか」
「使えます」
私は答えた。
「ただし、申請書は二通に分けます」
クラウス様が、書板を開いた。
「二通」
「一通は会計院へ。費目復活と予算計上のためです。もう一通は国境防衛会議へ。霜見砦を冬季監視点として維持する必要性を認めてもらうためです」
「王太子殿下宛てではないのですね」
クラウス様の言葉に、私は頷いた。
「王太子殿下に出せば、政治判断になります。会計院と国境防衛会議に出せば、記録と必要性の問題になります」
「その方が通りやすい」
「少なくとも、止まりにくいです」
ユリウス閣下が、かすかに目を細めた。
「誰に出すかも、補給なのですね」
「はい」
私は紙をそろえた。
「荷と同じです。宛先を間違えれば、届きません」
その言葉に、クラウス様が小さく息を吐いた。
笑ったわけではない。
けれど、少しだけ肩の力が抜けたように見えた。
私は申請書の下書きに取りかかった。
会計院宛て。
北方防衛補給費目補正申請。
霜見砦冬季監視点維持に伴う、冬季補給費目の復活について。
添付資料。
第三補給便受領証。
霜見砦冬季定期配置名簿。
過去三年分維持報告。
廃砦予定決裁写し。
ノルデン家冬季維持確認書。
次に、国境防衛会議宛て。
北方監視線維持確認願。
霜見砦を冬季監視点として維持する必要性について。
こちらには、兵員数だけではなく、地図を添える必要がある。
私は壁の地図を見た。
「霜見砦の位置を写せますか」
「すぐに」
クラウス様が動く。
マルク副長が、地図の前に立った。
「霜見砦は、街道から少し外れています。だから王都の者には、なおさら軽く見られる」
「軽く見た結果、帳簿から落ちたのかもしれません」
私が言うと、マルク副長は苦い顔をした。
「軽い砦ではありません」
「はい」
私は地図上の細い線を見た。
「細い線ほど、切れたときに気づくのが遅れます」
ユリウス閣下は、その言葉を聞いていた。
そして、静かに言った。
「申請書に入れてください」
「今の言葉をですか」
「はい。文として整えれば、理由になります」
私は少し考えてから、国境防衛会議宛ての下書きに書き加えた。
霜見砦は主要街道から外れるが、冬季監視線上の連絡点である。
同砦の欠落は、北方監視線の途切れを招く。
「これでどうでしょうか」
ユリウス閣下は文面を読み、頷いた。
「よいと思います」
「では、下書きとして置きます」
「下書きではなく、原案にしましょう」
私は顔を上げた。
「まだ資料が揃っていません」
「資料を添えれば出せる。なら、原案です」
その言い方が少しだけ新鮮だった。
王宮では、足りないところがある書類は、未完成として脇に置かれた。ここでは、足りないものを足せば動く紙として扱われる。
「分かりました。原案にします」
午後遅く、第三補給便の受領証の正式写しが届いた。
霜見砦、冬季監視点補助として受領。
馬薬、蹄鉄、乾燥豆、灯油。
冬季監視兵十二名、欠員なし。
受領責任者、ガルム兵曹。
私はその写しを、会計院宛ての申請書に添えた。
「ローデン顧問」
クラウス様が、封筒を二つ机に置いた。
「会計院宛てと、国境防衛会議宛てです」
「控えは」
「三部ずつ」
「受付番号は」
「ノルデン家で付けました」
私は頷いた。
「では、出してください」
ユリウス閣下が最後に署名した。
会計院宛て。
国境防衛会議宛て。
二通とも、彼は文面を読み、添付資料を確認してから署名した。
それが、やはりよかった。
封が閉じられる。
ノルデン家の印が押される。
王宮へ戻る書類ではない。
王宮の台帳を直すための書類だった。
その夜、王宮会計院に最初の封が届いた。
受け取ったのは、会計院の若い担当官だった。
北方防衛補給費目補正申請。
彼は事務的に封を切り、添付資料を順に確認していく。
霜見砦冬季定期配置名簿。
第三補給便受領証。
過去三年分維持報告。
冬季維持確認書。
そこで、手が止まった。
彼は王宮台帳を開いた。
北方防衛補給、冬季配分。
南砦。中継砦。氷見橋詰所。北倉庫。
霜見砦の名は、ない。
もう一度、受領証を見る。
霜見砦。
冬季監視兵十二名。
受領責任者、ガルム兵曹。
第三補給便、受領済み。
台帳にない砦から、受領証が届いている。
担当官はしばらく紙を見比べていた。
それから、誰に言うでもなく呟いた。
「霜見砦とは、どこの砦だ」
部屋には、答えられる者がいなかった。




