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婚約破棄された地味令嬢は、北方騎士団の命綱でした 〜私を捨てた王宮は止まり、辺境公爵様には政務官として溺愛されています〜  作者: おねぴ


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第17話 保留通知より先に、受領印が届きました

北方本城の朝は、昨日より白かった。


窓の外は、細かい雪で霞んでいる。


遠くの稜線は見えない。黒松見張所の狼煙台も、晴れていればかろうじて影が分かる位置にあるはずだったが、今朝は灰色の空に呑まれていた。


机の上には、昨日の受付簿が開かれている。


本城出庫。

中継砦積替。


北尾根受領。


その欄だけが、まだ空いていた。


私は、空白の横に指を置いた。


空白は、悪いことではない。


まだ届いていないものを、届いたことにしないためにある。


扉が叩かれた。


「入ってください」


マルク副長が入ってきた。


今日は、昨日より雪が多い。外套の裾が濡れ、革靴の先に白い粒が残っていた。


「中継砦から、早馬です」


私は顔を上げた。


「北尾根からではなく?」


「北尾根からの受領印は、まだ届いていません。ただし、信号は確認されています」


マルク副長は紙を差し出した。


中継砦報告。

北尾根方面、朝の信号あり。

灯火信号、三回。

受領予定荷、到着見込み。

そり隊、帰還遅延。

吹雪により下山困難。


私は、その紙を読んだ。


信号はある。


だが、受領印はない。


「到着したとは書けません」


マルク副長が少し目を細めた。


「信号は上がっています」


「はい。信号継続は記録できます」


私は受付簿に新しい行を作った。


黒松見張所経由確認。

北尾根信号継続。

受領印未着。


「届いたと信じることと、届いたと記録することは違います」


マルク副長は、短く息を吐いた。


「厳しいですね」


「雪よりは優しいと思います」


彼は一瞬だけ目を丸くし、それから小さく頷いた。


「確かに」


私は中継砦報告の端に、確認済みの印を押した。


「そり隊の帰還が遅れているなら、追加の伝令は出さない方がいいです。人を出せば、さらに道が詰まります」


「同意します。北尾根からの次信号を待ちます」


「灯火信号三回の意味は」


「荷、受領見込み。小屋、維持可能。伝令、下山不能」


「では、受領ではなく、維持可能として記録します」


私は受付簿の横に、別紙を付けた。


北尾根信号小屋。

灯火信号三回。

小屋維持可能。

受領印未着。

正式受領は、印影確認後に記録。


紙の上では、まだ届いていない。


けれど、雪の向こうで火は消えていない。


それだけは、分かった。


昼前、ユリウス閣下が補給室へ来た。


濃紺の外套の肩に雪はなかった。おそらく本城内を回ってから来たのだろう。


「北尾根は」


「信号継続です。受領印はまだです」


「そり隊は」


「中継砦への帰還が遅れています。吹雪で下山困難とのことです」


閣下は報告紙に目を通した。


「追加で人を出すべきではないですね」


「はい。今出せば、二組目が止まります」


「では、待ちます」


その一言は、何もしないという意味ではなかった。


今、動かさないことを決める。


それも判断だった。


「北尾根の灯油は、七日分です。昨日の時点で二日分。応急配分が小屋へ上がっていれば、十分持ちます」


「上がっていれば」


「はい。受領印が届くまでは、そう書けません」


ユリウス閣下は、かすかに頷いた。


「そのままでいい」


そのとき、クラウス様が封書を持って入ってきた。


「王都より、文官庁経由の通知です」


私は手を止めた。


「王妃府ではなく?」


「文官庁です。ただし、会計院の副本が添付されています」


ユリウス閣下が封を確認する。


「宛先は、北方辺境公家。件名は、北尾根信号小屋への現地応急配分に関する確認」


封が開かれる。


文面は二通あった。


一通目は、文官庁から。


北尾根信号小屋への現地応急配分について、王宮台帳上の費目整理が完了するまで、追加配分は保留が妥当と思料する。


二通目は、会計院から。


ノルデン家管理在庫による現地応急配分については、緊急処理として実施報告を受理。

ただし、第四補給便以降の王宮費目による配分については、正式費目整理後に調整すること。


私は二通を並べた。


文官庁は、保留と言っている。


会計院は、実施報告を受理している。


同じ紙束の中で、まだ足並みが揃っていなかった。


マルク副長が低く言う。


「保留、ですか」


「文官庁は、王宮費目の話をしています」


私は答えた。


「ですが、昨日出したのはノルデン家管理在庫の現地応急配分です。会計院はそこを分けています」


「文官庁は分けていない」


「分けていません」


私は返答用紙を出した。


「返しますか」


クラウス様が尋ねる。


「返しません。これは不受理ではありません。整理不足です」


ユリウス閣下が、私を見る。


「どう答えますか」


「文官庁へは、処理区分を確認します」


私は筆を取った。


文官庁御中。

北尾根信号小屋への現地応急配分に関する貴庁通知を受領いたしました。


本件について、以下の通り区分を確認いたします。


一、昨日実施した配分は、ノルデン家管理在庫による現地応急配分であり、王宮費目による第四補給便とは別処理です。

二、会計院副本において、当該現地応急配分の実施報告は緊急処理として受理されています。

三、貴庁通知の「保留」が、王宮費目による第四補給便以降を指すものか、既実施の現地応急配分を指すものか、確認をお願いいたします。

四、既実施分については、本城出庫、中継砦積替まで記録済み。北尾根受領印は未着のため、到着次第追記します。


私はそこで筆を止めた。


「保留通知が届いた時点で、どこまで進んでいたかも書きます」


クラウス様が頷く。


「時系列ですね」


「はい。時系列がなければ、どちらが先か分からなくなります」


雪と紙では、速さが違う。


王都からの保留通知が届くまでに、荷は本城を出て、中継砦で積み替えられていた。


その順番を消してはいけない。


「閣下」


私は文面を差し出した。


「これでよろしいでしょうか」


ユリウス閣下は最後まで読んだ。


「よいと思います」


彼は署名欄に名を書いた。


「文官庁へ返送。写しを会計院と王妃府へ」


「承知しました」


クラウス様が封筒を三つ用意する。


その手つきは早い。


北方では、紙も動く。


午後、雪がいったん弱まった。


空はまだ重いが、黒松見張所の稜線がぼんやり見える。


そのとき、城門の方から鐘が一度鳴った。


伝令到着の合図だった。


マルク副長が補給室へ駆け込んでくる。


「北尾根からです」


差し出された封筒は、ところどころ凍っていた。


封の端に白い霜がついている。革紐は固くなり、解くのに少し時間がかかった。


中から出てきた紙は、湿っていた。


印影の端がにじんでいる。


私は、息を止めないようにして紙を広げた。


北尾根信号小屋。

応急配分荷、受領。

灯油、小樽二。

乾燥豆、一袋。

塩肉、一箱。

蝋燭、二束。

信号布、二枚。

替え紐。

薄板三枚。

釘、小袋。


受領者。

北尾根信号小屋責任兵、オルド。


印。


印影の右端は少し欠けていた。


けれど、名と日付は読める。


中継砦の積替印も添えられている。


本城出庫。

中継砦積替。

北尾根受領。


三つが揃った。


「読めますか」


マルク副長が聞いた。


「読めます」


私は答えた。


「ただし、印影欠けありとして記録します。次報で再確認印を求めます」


「そこまで必要ですか」


「必要です。届いたことを疑っているのではありません。あとで誰かに疑わせないためです」


マルク副長は、少しだけ口元を引き締めた。


「分かりました」


私は受付簿を開いた。


北尾根信号小屋。

応急配分荷、受領。

印影一部欠け。

中継砦積替印あり。

次報にて再確認印を求む。


その行を書いたとき、空白が埋まった。


昨日から残っていた欄に、ようやく文字が入る。


本城出庫。


中継砦積替。


北尾根受領。


三つの記録が、一本の線になった。


「ローデン顧問」


ユリウス閣下が、私の横で受領証を見ていた。


「間に合いましたね」


「はい」


私は受領証の端を押さえた。


「信号は切れていません」


それが、今書ける一番大事なことだった。


夕刻、北尾根から二度目の信号が上がった。


黒松見張所が、それを本城へ伝えた。


灯火信号。

峠道、通行困難。

北尾根信号継続。

小屋維持可能。


私はその報告を、受領証の後ろに綴じた。


届いた荷が、ただ届いただけではない。


信号をつないでいる。


王都の文官庁に、ノルデン家からの返答が届いたのは翌日だった。


バルツァー卿は、封書を開いてすぐに眉を寄せた。


処理区分を確認いたします。


その一文だけで、嫌な予感がした。


一、昨日実施した配分は、ノルデン家管理在庫による現地応急配分であり、王宮費目による第四補給便とは別処理です。

二、会計院副本において、当該現地応急配分の実施報告は緊急処理として受理されています。

三、貴庁通知の「保留」が、王宮費目による第四補給便以降を指すものか、既実施の現地応急配分を指すものか、確認をお願いいたします。

四、既実施分については、本城出庫、中継砦積替、北尾根受領まで記録済み。


バルツァー卿は、最後の行で手を止めた。


北尾根受領まで記録済み。


「受領済み……」


書記官が横から覗き込み、青ざめた。


「文官長、こちらの保留通知より先に」


「分かっている」


バルツァー卿は紙を机に置き、もう一度、最後の行を読んだ。


王宮が保留と書いたころ、北方では出庫していた。

王宮が通知を送ったころ、中継砦で積み替えられていた。

王宮が返事を待っているうちに、北尾根は受け取っていた。


そして、それをすべて記録していた。


文官庁の「保留」は、届いたときにはもう過去の紙になっていた。


そこへ、会計院からの副本も届いた。


北方辺境公家より提出の現地応急配分について、緊急処理として受理済み。

第四補給便以降の王宮費目配分とは別処理として扱うこと。

文官庁は、今後の通知において処理区分を明記すること。


バルツァー卿は目を閉じた。


会計院にまで書かれている。


処理区分を明記すること。


それは、今まで文官庁が曖昧にしてきたものだった。


王妃府にも、同じ写しが届いていた。


王妃陛下は、北方からの受領報告と文官庁への返答を読んだ。


「北尾根は受け取ったのですね」


記録官が頷く。


「はい。本城出庫、中継砦積替、北尾根受領まで記録済みです。印影欠けあり、次報で再確認印を求めるとのことです」


「よろしい」


王妃陛下は紙を置いた。


「届いたことにしていない。届いたことを確認している」


記録官はその言葉を、短く書き留めた。


「文官庁の保留通知については」


「会計院の指摘通りです」


王妃陛下は言った。


「保留するなら、何を保留するのかを書かせなさい。現地在庫か、王宮費目か。応急配分か、正式便か。そこを分けなければ、返事はまた雪に遅れます」


「承知しました」


王妃陛下は、窓の外を見た。


王都には、まだ雪は薄い。


北方の吹雪は、ここからは見えない。


だからこそ、紙が必要だった。


北方本城では、受領証の写しが三部作られた。


一部は補給室。

一部はノルデン家記録庫。

一部は会計院提出用。


私は、印影欠けの箇所に小さく注記を書いた。


印影右端欠け。

ただし受領者名、日付、品目一致。

中継砦積替印あり。

次報で再確認印を求む。


クラウス様がそれを見て言った。


「これで、受領記録として通りますか」


「仮受領としては通ります。正式な照合完了は、再確認印が届いてからです」


「厳密ですね」


「雪で欠けた印を、あとで誰かが都合よく使わないようにするためです」


「都合よく」


「届いたことを疑うためにも、届かなかったことにするためにも、使えます」


クラウス様は、少し黙ってから頷いた。


「なるほど」


マルク副長が、暖炉のそばから言った。


「北尾根の四人は、たぶんそこまで考えていません」


「考えなくていいです」


私は答えた。


「受け取った人は、受け取ったことを書けばいい。こちらで、記録として通る形にします」


「それが、ローデン顧問の仕事ですか」


「今は、そうです」


夜、北尾根からの三度目の信号が届いた。


黒松見張所経由。


灯火信号。

小屋戸板、応急補修完了。

信号布交換済み。

灯油残量、七日見込み。

峠道、閉鎖。


マルク副長が報告を読み上げた。


「峠道、閉鎖です」


補給室の中で、誰もすぐには声を出さなかった。


けれど、信号は届いている。


峠は閉じた。

だが、峠が閉じたことを知らせる線は、切れていない。


私は受付簿に最後の行を書いた。


北尾根信号小屋。

信号継続。

峠道閉鎖確認。


ペン先を離す。


窓の外では、雪がまた強くなっていた。


王宮の保留通知は、机の端に綴じられている。


その隣に、北尾根の受領証がある。


日付は、受領証の方が早い。


私は受付簿を閉じた。


保留通知より先に、北尾根は受け取っていた。

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