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婚約破棄された地味令嬢は、北方騎士団の命綱でした 〜私を捨てた王宮は止まり、辺境公爵様には政務官として溺愛されています〜  作者: おねぴ


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第16話 雪は、王宮の返事を待ちません

北方本城の朝は、王都より早かった。


窓の端に、白い霜が張りついている。


火鉢の炭はまだ赤かったが、机の上の紙は冷えていた。指先で端を押さえると、乾いた音がする。


私は、北方冬季監視点整理表の控えを確認していた。


霜見砦。

黒松見張所。

北尾根信号小屋。


三つの名前は、ようやく同じ紙の上に並んだ。


だが、紙に載ったからといって、冬が待ってくれるわけではない。


扉が叩かれた。


いつもより少し早い。


「入ってください」


マルク副長が入ってきた。


外套の肩に、細かい雪が残っている。払う間も惜しんだのか、そのまま机の前まで来た。


「北尾根から、積雪報告です」


私は顔を上げた。


「北尾根信号小屋からですか」


「はい。黒松見張所経由で届きました」


差し出された紙は、少し湿っていた。


端が波打っている。途中で雪を受けたのだろう。


北尾根信号小屋。

積雪、膝下。

東風強し。

峠道、半日以内に通行困難の見込み。

灯油残量、二日分。

信号布、一部凍結。

小屋戸板、補修要。


私は、日付を見た。


予定より四日早い。


「昨日の午後時点の報告ですか」


「はい。夜のうちに黒松へ下ろし、今朝こちらへ」


「今日の午後には、さらに悪くなっています」


マルク副長は頷いた。


「そう見ています」


私は北尾根信号小屋の欄を開いた。


冬季信号兵、四名。

役割、峠の積雪、通行可否、吹雪時の信号伝達。

補給経路、中継砦経由。


その横に、まだ空白の欄がある。


翌年度以降の申請方針。


来年の処理は書ける。


けれど、今朝の雪は来年を待たない。


「第四補給便は」


「王都からの正式便は、まだ調整中です。会計院の回答を待つ形になっています」


「北尾根は、待てません」


私は別の紙を引いた。


北方本城在庫表。


灯油。

乾燥豆。

塩肉。

蝋燭。

信号布。

替え紐。

戸板用の薄板。

釘。


在庫は多くない。だが、すべてを送る必要もない。


「正式便と応急便を分けます」


マルク副長が目を細めた。


「応急便」


「はい。王都からの第四補給便は、王宮台帳と会計院の整理が必要です。ですが、北方本城の現地在庫から信号維持に必要なものを出すなら、ノルデン家の緊急配分として処理できます」


「出せますか」


「出せる形にします」


私は紙に表題を書いた。


北尾根信号小屋 現地応急配分案。


目的。

吹雪前の信号維持。

対象。

北尾根信号小屋、冬季信号兵四名。

期間。

七日分。


「七日ですか」


「第四補給便の再編に必要な時間です。二日分では足りません。多すぎれば、運べません」


マルク副長が在庫表を覗き込む。


「馬車は無理です」


「そりは」


「中継砦からなら出せます。本城から直接は距離があります」


「では、本城から中継砦へ小型馬車。中継砦でそりへ積み替え。北尾根へ上げます」


「荷を絞らなければ、そりが持ちません」


「絞ります」


私は品目を書き出した。


灯油、小樽二つ。

乾燥豆、一袋。

塩肉、一箱。

蝋燭、二束。

信号布、予備二枚。

替え紐。

薄板三枚。

釘、小袋。


マルク副長は、そこで少し口を開いた。


「四人の小屋に、そこまで」


言いかけて、自分で言葉を止めた。


私は品目から目を離さずに言った。


「四人が止まれば、峠が黙ります」


「……その通りです」


「これは食糧補給ではありません。信号を切らさないための荷です」


黒松見張所と北尾根信号小屋は、小さい。


帳簿の上では、小さいものは後ろに回りやすい。


けれど、冬の中では、小さい場所ほど先に切れる。


そして、切れたことに気づくのが遅い。


「マルク副長」


「はい」


「中継砦で積み替えるなら、荷札を変えてください。本城出庫時の宛先と、そり積み替え後の宛先を分けます」


「同じ北尾根行きでは」


「馬車で届く場所と、そりで届く場所が違います」


私は紙に線を引いた。


本城出庫。

宛先、中継砦。

目的、北尾根信号小屋向け応急配分積替。


中継砦出庫。

宛先、北尾根信号小屋。

目的、信号維持。


「本城から出した時点で北尾根行きとだけ書くと、中継砦で積み替え記録が抜けます。あとで、どこで荷が止まったのか分からなくなります」


マルク副長は短く頷いた。


「積み替えも記録する」


「はい。雪の中で荷を探すことになります」


「それは避けたい」


彼はすぐに部下へ指示を出した。


私は応急配分案の下に、根拠を書き添える。


北尾根信号小屋より、積雪および灯油残量報告あり。

峠道、半日以内に通行困難の見込み。

信号維持が途絶した場合、中継砦および南砦への通行可否伝達に遅延が生じるため、現地応急配分を実施。


書き終えたところで、ユリウス閣下が入ってきた。


外から戻ったばかりらしく、革手袋の縁に雪が残っている。


「北尾根ですか」


「はい」


私は応急配分案を差し出した。


閣下は、その場で読んだ。


読み飛ばさない。


表題、目的、対象、期間、品目、経路、根拠。


順に目を通していく。


「第四補給便を待たないのですね」


「待てません」


「理由は」


「北尾根信号小屋の灯油残量が二日分です。峠道は半日以内に通行困難の見込み。第四補給便の調整を待てば、信号が先に切れます」


「この荷で何日持ちますか」


「七日です」


「その間に」


「第四補給便の経路と積み替えを組み直します。北尾根を通常経路に入れるか、別便に分けるかは、明日の黒松見張所からの報告を見て判断します」


ユリウス閣下は頷いた。


「よいと思います」


彼は署名欄に名を書く。


ユリウス・ヴァン・ノルデン。


その横に、ノルデン家の緊急配分印が押された。


「マルク」


「はっ」


「この案で出せ。中継砦には、積み替え記録を必ず残させろ」


「承知しました」


マルク副長は紙を受け取り、すぐに部屋を出ていった。


扉が閉まったあと、ユリウス閣下は私を見る。


「怖いですか」


思っていなかった問いだった。


「何がでしょうか」


「紙の上で、七日分と決めることです」


私は返事に少し迷った。


北尾根には四人いる。


灯油が足りなければ、信号が切れる。

食糧が足りなければ、人が動けなくなる。

荷を増やしすぎれば、そりが上がらない。


どれか一つを多くすれば、どれか一つが遅れる。


「怖くないわけではありません」


私は答えた。


「ですが、怖いからこそ、数を書きます」


「そうですか」


「はい」


私は控えの紙をそろえた。


「怖いという理由で余分に積めば、そりが止まります。怖くないふりをして減らせば、小屋が止まります」


「あなたの案で動かします」


「承りました」


私は応急配分案の控えに、受付番号を書き込んだ。


午後になる前に、荷は本城の倉から出された。


小型馬車が一台。


御者と騎士が二名。


灯油の小樽は幌の奥へ。

乾燥豆と塩肉は中央へ。

信号布と蝋燭は、濡れないよう革袋へ。

薄板と釘は、外側にくくりつける。


以前なら、私はこの場にいなかった。


王宮の机で、荷札の控えだけを見ていた。


今は、倉の前に立っている。


灯油樽の重さで車輪が沈む音がした。馬の鼻から白い息が出る。騎士の一人が、荷札をもう一度確認した。


本城出庫。

宛先、中継砦。

目的、北尾根信号小屋向け応急配分積替。


「ローデン顧問」


マルク副長が声をかける。


「積み替え後の荷札も、革袋に入れました」


「濡れない場所に」


「はい。中継砦の責任者に、受領印と積替印の両方を押させます」


「お願いします」


騎士が馬車に乗る。


門が開いた。


風が入り、雪の粒が足元を走る。


馬車は、ゆっくりと本城を出た。


その後ろ姿は、思っていたより小さかった。


紙の上では、一行で済む。


北尾根信号小屋へ応急配分。


けれど実際には、馬がいる。御者がいる。凍った道がある。積み替える者がいる。受け取る四人がいる。


私はその一行の中に、これだけのものを入れていたのだと、今さら分かった。


「ローデン顧問」


ユリウス閣下が隣に立っていた。


「中へ」


「はい」


風で指先が冷えている。


私は手を握り直し、補給室へ戻った。


戻ってすぐ、王妃府と会計院へ送る報告書を作る。


件名。

北尾根信号小屋への現地応急配分実施報告。


内容。

積雪報告に基づき、信号維持を目的とした緊急配分を実施。

王都からの正式補給便とは別処理。

本城出庫、中継砦積替、北尾根受領の三段階で記録予定。

使用在庫はノルデン家管理分。

会計院への費目整理回答には、本件を応急処理として添付。


「王宮へ先に許可を求めないのですか」


クラウス様が確認する。


「求めません」


私は答えた。


「王宮の正式費目を動かすわけではありません。ノルデン家の現地在庫を、緊急配分として出します。報告は必要ですが、許可を待つものではありません」


「雪が待たないからですか」


「はい」


私は少しだけ手を止めた。


「雪は、王宮の返事を待ちません」


「報告書には入れますか」


「入れません」


「承知しました」


代わりに、私はこう書いた。


遅延により信号維持に支障を来すおそれがあるため、現地責任者判断により応急配分を実施。


それで足りる。


感情のための言葉は、報告書にはいらない。


日が傾くころ、黒松見張所から狼煙が上がった。


窓の外、遠い稜線の向こうに、細い煙が二度上がる。


マルク副長が、望遠筒を下ろした。


「黒松より確認信号。北尾根からの信号、継続」


まだ荷が着いたわけではない。


けれど、信号は切れていない。


少なくとも、今は。


私は受付簿に短く記録した。


黒松見張所より確認。

北尾根信号継続。


その一行を書いたとき、少しだけ息が深く入った。


王都の会計院に、ノルデン家からの報告書が届いたのは翌朝だった。


若い担当官は封を開き、件名を読んだ。


北尾根信号小屋への現地応急配分実施報告。


「主任」


補給費担当主任が顔を上げる。


「北方からです」


「今度は何です」


「北尾根信号小屋です。積雪により、現地応急配分を実施したと」


主任は報告書を受け取った。


本城出庫。

中継砦積替。

北尾根受領予定。

三段階記録。


使用在庫、ノルデン家管理分。

会計院費目整理回答へ、応急処理として添付予定。


主任は最後まで読み、紙を置いた。


「許可申請ではないのですね」


「はい。実施報告です」


「正しいです」


担当官は少し驚いた顔をした。


主任は続ける。


「王宮費目を動かすなら許可が要ります。ノルデン家管理在庫の緊急配分なら、実施後に記録を添えて報告する。信号維持なら、待たせる方が危ない」


担当官は、報告書の余白を見た。


「雪は待ちませんからね」


主任は眼鏡の奥で、一瞬だけ担当官を見た。


「報告書には、そうは書いてありません」


「はい」


「だから通ります」


担当官は、小さく頷いた。


報告書は、王妃府にも送られた。


王妃陛下はその写しを読み、短く言った。


「北方は、動いていますね」


記録官が頷く。


「はい。王宮の回答を待たず、ただし記録を残して動いています」


「それでよいのです」


王妃陛下は紙を置いた。


「王宮は、返事を急ぎなさい。返答が遅れれば、次は報告書の方が先に積み上がります」


記録官はその言葉を記録しなかった。


だが、意味は十分だった。


北方本城では、夜になっても補給室の灯りがついていた。


中継砦から、第一報が届いたからだ。


応急配分荷、到着。

そりへ積替完了。

北尾根へ向け出立。

受領印、中継砦押印済み。


私は、その紙を受付簿に綴じた。


一つ目の記録。


本城出庫。


二つ目の記録。


中継砦積替。


あとは、北尾根の受領印を待つだけだった。


「ローデン顧問」


マルク副長が言った。


「今夜は休んでください。北尾根からの受領は、早くても明朝です」


私は紙から顔を上げた。


「明朝」


「はい。雪道です。人も馬も、帳簿ほど早くは動きません」


その言葉に、少しだけ口元が緩みそうになった。


「その通りです」


私はペンを置いた。


机の端には、まだ王宮へ送る回答案が積まれている。


けれど、今夜の最後の紙は、王宮のものではなかった。


北尾根信号小屋。


その名前が書かれた受付簿を閉じる。


王宮の返事は、まだ来ていない。


けれど、北尾根の受付簿には、もう二つ目の記録が綴じられていた。

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