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婚約破棄された地味令嬢は、北方騎士団の命綱でした 〜私を捨てた王宮は止まり、辺境公爵様には政務官として溺愛されています〜  作者: おねぴ


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第14話 慈善事業費は、善意では通りません

孤児院冬布代申請書は、王宮会計院へ回された。


件名。

慈善事業費申請に関する再確認。


添付。

初回申請書。

差し戻し理由。

再申請書。

聖女候補ミレーヌ様付き侍女聞き取り。

王妃府記録官による確認表。


会計院の若い担当官は、封を開いた時点で少しだけ手を止めた。


北方ではない。


けれど、差し戻し理由欄に残っている筆跡は、もう何度も見たものだった。


エリシア・ローデン。


担当官は初回申請書を机に広げた。


孤児院冬布代。

申請者、聖女候補ミレーヌ。

目的、王都北区孤児院への冬布支給。

納入業者、ラヴィエ商会。

数量、空白。

単価、通常相場の約三倍。

業者選定理由、記載なし。


差し戻し理由欄。


数量空白。

単価根拠不足。

納入業者に利益相反の疑い。

再申請時、数量、単価根拠、業者選定理由を添付すること。


担当官は、侍女聞き取りの紙も開いた。


孤児院が寒さに困っていると聞いた。

ミレーヌ様は、急いで布を届けたいとおっしゃっていた。

子どもたちのために、できるだけ早く手配したかった。


善意は読み取れる。


けれど、善意は数量欄の代わりにはならない。


担当官は、次に再申請書を開いた。


数量欄は埋まっている。


冬布、二百枚。


だが、そこまでだった。


単価は少し下がっている。

けれど、まだ相場より高い。

業者は変わっていない。

選定理由も、ほとんど同じだった。


ラヴィエ商会は、良質な布を扱う信頼ある商会であり、慈善の趣旨に賛同しているため。


担当官は、眼鏡を押し上げた。


信頼ある商会。


慈善の趣旨。


どちらも、会計上の根拠ではない。


「主任」


補給費担当主任ではなく、今回は慈善事業費を扱う主任が顔を上げた。


「何です」


「孤児院冬布代の再申請です。差し戻し理由が、ほとんど解消されていません」


主任は紙を受け取った。


一枚目。

二枚目。

差し戻し理由。

再申請書。


順に見ていく。


「数量は入っていますね」


「はい。ただ、必要数量の根拠がありません」


「孤児院の人数は」


「添付なしです」


「在籍児童数、職員数、予備分の算定は」


「ありません」


主任は眉間に皺を寄せた。


「納入業者は」


「ラヴィエ商会のままです」


「ラヴィエ商会」


主任は別の紙をめくる。


「ミレーヌ様の後見人と関係がある商会ですね」


「はい。王妃府確認表にも、利益相反の疑いありと記載されています」


「疑い、ではなく確認が必要ですね」


主任は、赤い線を一本引いた。


「孤児院側の受領予定書は」


「ありません」


「見積比較は」


「一社のみです」


「布の規格は」


担当官は、申請書を見直した。


「暖かい冬布、とだけ」


主任の手が止まった。


「暖かい冬布」


「はい」


「それでは検品できません」


「同意します」


主任は申請書を机に置いた。


「これは、なぜ再申請として受け付けられたのですか」


担当官は答えられなかった。


受け付けたのは文官庁だった。


そして、差し戻したのはエリシア・ローデンだった。


主任は、差し戻し理由欄をもう一度見る。


数量空白。

単価根拠不足。

納入業者に利益相反の疑い。


「ローデン嬢の差し戻しは、妥当です」


担当官は頷いた。


「少なくとも、現時点の書類では」


「現時点どころか、初回申請も同じです。差し戻さなければ、会計院で止めていました」


主任は、新しい紙を取った。


「王妃府へ回答します。あわせて、ノルデン家を通して本人確認を求めてください」


「本人確認ですか」


「夜会での罪状に関わっています。ローデン嬢が不当に妨害したとされているなら、彼女が何を根拠に差し戻したのか、本人確認を取る必要があります」


担当官は、すぐに照会文を作り始めた。


宛先。

北方辺境公家。


件名。

慈善事業費申請書差し戻し理由に関する本人確認。


確認事項。

一、孤児院冬布代申請書を差し戻した事実の有無。

二、差し戻し理由。

三、再申請時に必要とした資料。

四、当該差し戻しが、王宮予算への不当な干渉にあたるか否かについて、本人の認識ではなく、当時確認した書類上の根拠。


主任は最後の一項目を見て、少しだけ頷いた。


「本人の認識ではなく、書類上の根拠」


「はい」


「よいです。感情の話にしないでください」


「承知しました」


照会書は、その日のうちに北方へ送られた。


北方本城では、黒松見張所と北尾根信号小屋の整理表が、ようやく一段落していた。


午後の補給室には、乾いた紙の匂いと、火鉢の熱が残っている。


クラウス様が封書を持って入ってきた。


「ローデン顧問。王妃府経由、会計院からの照会です」


「北方ではなく?」


「慈善事業費です」


その言葉で、手元のペンが止まった。


慈善事業費。


孤児院冬布代。


夜会で、殿下が口にした罪状のひとつ。


ユリウス閣下が封書を確認する。


「宛先は北方辺境公家。件名もあります。回答責任者は会計院慈善事業費担当主任」


「受けられます」


私は言った。


封を開き、文面を読む。


確認事項は四つ。


どれも、答えられる。


ただし、慎重に答えなければならない。


これは、ミレーヌ様が善意だったかどうかを問う紙ではない。

私が彼女を嫌っていたかどうかを問う紙でもない。


申請書が通る形だったか。


それだけの話だった。


「回答します」


クラウス様が書板を開く。


私は、まず差し戻し時の控えを出した。


孤児院冬布代申請書。

数量空白。

単価過大。

納入業者に利益相反の疑い。


同じ文字が、そこにある。


「一、孤児院冬布代申請書を差し戻した事実」


私は読み上げる。


「あります」


クラウス様が書き取る。


「二、差し戻し理由」


「数量欄が空白であり、納入物の検品ができませんでした。単価が当時の王都相場から大きく外れており、根拠資料がありませんでした。納入業者が申請者関係者の商会である可能性があり、業者選定理由の確認が必要でした」


マルク副長が、少し離れた机から顔を上げた。


「冬布の検品、ですか」


「はい」


私は答えた。


「枚数が分からなければ、届いたかどうか確認できません。規格が分からなければ、使える布かどうか分かりません。単価根拠がなければ、高いのか必要な品質なのか判断できません」


「孤児院へ布を送るだけでも、そこまで必要なのですか」


「孤児院へ送るから、必要です」


言ってから、少しだけ声が硬かったことに気づいた。


けれど、これは譲れない。


「薄い布が届いても、帳簿の上では冬布です。枚数だけ多くても、子どもが寒ければ意味がありません」


補給室が静かになった。


私は紙へ視線を戻す。


「三、再申請時に必要とした資料」


「数量、単価根拠、布の規格、納入業者の選定理由、孤児院側の受領予定確認。可能であれば、複数業者の見積比較」


クラウス様の筆が止まる。


「四つ目は」


「当該差し戻しが、王宮予算への不当な干渉にあたるか否か」


私は少しだけ考えた。


ここは、私が判断するところではない。


「本人の認識としては回答しません」


ユリウス閣下が、わずかに頷いた。


私は続ける。


「当時確認した書類上、数量、単価根拠、業者選定理由が不足していたため、会計処理上の差し戻しとして行いました。不当干渉にあたるか否かは、王宮会計院の判断事項です」


クラウス様が書き終える。


私は最後に一文を加えた。


「なお、上記は当時の申請書控え、差し戻し記録、および現時点で確認可能な会計院照会事項に基づく回答です」


「控えを取ります」


クラウス様が言った。


ユリウス閣下は文面を読んだ。


「このまま返します」


「はい」


少しして、マルク副長が低く言った。


「ローデン顧問」


「はい」


「薄い布が届いても、帳簿の上では冬布、というのは」


私は顔を上げた。


「北方の補給と同じですね」


「はい」


彼は頷いた。


「名前が同じでも、中身が違えば、人は守れません」


その言葉は、私が言ったものではなかった。


けれど、同じ方向を見ている言葉だった。


「その通りです」


私は答えた。


会計院に回答が戻ったのは、翌日の朝だった。


担当官は、ノルデン家からの回答と再申請書を照合した。


数量はある。


だが、その根拠はない。


布の規格もない。

単価根拠も、見積比較もない。


業者選定理由は、信頼ある商会であり、慈善の趣旨に賛同しているため。


主任は、そこで紙を置いた。


「慈善の趣旨は、単価の根拠になりません」


担当官は頷いた。


主任は、赤い処理印を手に取った。


「再申請は不受理ではなく、差し戻しです」


「不受理ではないのですね」


「孤児院に冬布を送ること自体は、必要かもしれません。そこは否定しません。ですが、この申請では通せません」


印が押される。


差し戻し。


赤い文字が、申請書の余白に置かれた。


主任は理由欄を書く。


数量根拠不足。

単価根拠不足。

布規格不明。

業者選定理由不足。

利益相反確認未了。

孤児院側受領予定確認なし。


最後に、一文。


前回差し戻し理由、未解消。


担当官は、その一文を見て手を止めた。


前回。


つまり、ローデン嬢が差し戻した時点で、問題はすでにあった。


今回は、それが会計院の印で確認されただけだった。


王妃府へ、会計院の回答が送られた。


慈善事業費申請、差し戻し。

前回差し戻し理由、未解消。

ローデン嬢による初回差し戻しは、会計上妥当。


王妃陛下は、その回答を読んでも表情を変えなかった。


「記録官」


「はい」


「罪状確認表へ追記を」


記録官が筆を取る。


王妃陛下は言った。


「慈善事業妨害の件。申請書不備による会計上の差し戻し。ローデン嬢の初回差し戻しは妥当。再申請も同理由により会計院差し戻し」


記録官が書き取る。


アレクシス殿下は、その場に呼ばれていた。


バルツァー卿もいる。


今回は、ミレーヌ様もいた。


白いドレスに薄い肩掛けを重ね、胸元で両手を握っている。夜会のときと同じように、少し震えて見えた。


「そんな」


ミレーヌ様は小さく言った。


「私は、孤児院の子どもたちのために」


王妃陛下は、彼女を見た。


「慈善の目的は、否定していません」


「では、なぜ」


「申請書が通らないからです」


声は冷たくなかった。


だからこそ、逃げ場がなかった。


ミレーヌ様は目を潤ませる。


「私は、難しい書類のことは分かりません。ただ、寒い思いをしている子どもたちに布を」


「ならば、分かる者に任せるべきでした」


王妃陛下は言った。


ミレーヌ様の唇が止まる。


「慈善事業費は、王宮の予算です。善意だけでは動きません」


アレクシス殿下が、そこで口を挟んだ。


「母上。ミレーヌは悪意で申請したわけでは」


「悪意の有無は、今は問うていません」


王妃陛下は息子を見る。


「申請が通る形だったかを確認しています」


「しかし、公の差し戻しは、ミレーヌの名誉を傷つける」


「名誉を守るために、根拠のない予算を通すのですか」


返事はなかった。


王妃陛下は記録官へ視線を戻した。


「追加で記録してください」


「はい」


「慈善事業妨害の罪状については、現時点で根拠不十分。むしろ、差し戻し理由は会計院により妥当と確認された」


記録官が、淡々と書く。


ミレーヌ様の目から、涙が落ちた。


だが、その涙は記録欄には入らない。


王妃陛下は、会計院の差し戻し通知を彼女へ向けて置いた。


「再申請するなら、必要な資料を揃えなさい。数量、規格、単価根拠、業者選定理由、受領予定確認。利益相反があるなら、その説明も必要です」


ミレーヌ様は、答えられなかった。


アレクシス殿下が書類を見下ろす。


そこには、エリシア・ローデンの名前はほとんどない。


あるのは、会計院の印。


差し戻し。


そして、前回差し戻し理由、未解消。


王宮予算への不当な干渉。

慈善事業の妨害。


その二つの言葉は、紙の上で居場所を失った。

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