02 イリノアの街
「おはようございます、ザィード様」
朝食を取っていると彼女がやって来て、頭を下げ微笑むと目の前の男と話し出す。
「やぁ、リディア」
「お呼びですか? お父様」
「うん、約束の物が手に入ったからね。リディアに渡しておこうと思ってね」
「まぁ、本当ですか? ありがとうございます」
渡された小袋に何が入っているのか、そっと中を見ては父親に感謝のキスをするのを見ていると、腹の中がモヤモヤする。
「リディア、イリノアの街に行くならザィード様の案内を頼んでもいいかな?」
「私がですか?」
「ガリウスが来ているからね」
彼女に話した後、自分に向かって聞いてくる。
「もちろんリディアの案内で問題なら、誰か他の者を付ける様にするが、どうかな?」
「とんでもありません、リディア嬢に案内して頂けるなら光栄です」
飴を与えられ、手のひらで転がされているのが分かるがどうしようも無い。
彼女に案内され屋敷の外に出ると馬と荷馬車が用意され、彼女の弟が護衛の男と一緒に荷を運び入れていた。
「アル、ありがとう」
彼女が弟に声をかけ、護衛の男とも親しげに話している。
「お嬢はどうしますか?」
「そうね、御者台でいいかしら? 頼んでおいた物もあるから、帰りも荷物がありそうなのよね」
「了解っす、ならフードだけしっかり被っていて下さいよ、オレが怒られるんすから」
「分かっているわ、私も散々ロニに怒られたもの」
二人の会話が聞こえてくる。
荷馬車は簡単な幌の付いた物で、とても領主の娘が乗る物には見えない。
これに彼女が乗って移動するのか? そう思っていると従僕に手綱を渡される。
「鞍の調整をお願いしてもよろしいですか?」
見るとイグルスとサイラスも馬を渡され、鞍を付け、鎧を合わせている。
国境を接するノーストリアには何度か行ったし、イーストリアにも招かれた。
どちらに行った時も、あくまで自分は客人として扱われ、それは丁寧であってもただそれだけだった。
どれだけ滞在しても立ち位置は変わらず、それがこの国での自分達のあるべき姿だと認識した。
がここでは違う。
この屋敷の使用人達は、彼女や弟にもおそらく領主に対しても同じ様に接し、それは自分達に対しても変わる事がない。
獣人である自分達を畏怖する事も、恐れる事なく、それは不思議な感覚だった。
エルメニアに来て、どんなに人の姿をしていても自分達は別のものだと思われていた。
それはガルスに居ても同じで、人にとって獣人は特別だ。
彼らが自分達に従っているのは、厳しい国で生き抜く必要があるからでそれ以上のものではない。
イリノアの街まで半日、途中何人かの領民に会う。
彼らはリディアや弟に声をかけ、同行している自分達にも挨拶し、手を振る子供までいて不思議と気分を高揚させられる。
自分達の事が知らされているのかと思っていたが、それが先日の早駆けのおかげだったと街に着いて知る事になった。
「いやぁ、お館様の早駆けに、フランツ様以外の方が付いていったのを初めて見たよ」
イリノアの街門を守る衛兵に背中をバンバン叩かれ、早駆けの件が、メルニアやイリノアの街で噂になり、屋敷にガルスからの客人が来ていると領内に広がったと教えてくれた。
おかげで彼女と街を歩いている間、ずっと誰かに見られる羽目になるが、それは何時もと違う好意的なものだった。
始めは緊張を感じている街の人も、リディアが自分の側にいると緊張感が無くなる。
それはウエストリア屋敷で感じたものと同じで、居心地が良いものだった。
イリノア街は、増築と改築を繰り返して大きくなっていった様で、昨日、移動の途中で見た街とは全く違っていた。
迷路のように伸びる道とそれらを覆うように拡がる建物。
調和が取れているようで、全く統一性の無い街並み。
ここには、薬を研究したり作ったりする薬師堂や、薬草を育てる薬草園があり、魔道具を作る工房や、魔石や魔鉱石の研究を行う所がある。
またウエストリアの重要な産業の一つでもある“フレ”の糸を染めたり紡いだりする工房もあるので、他国の人や商人たちは気軽に出入りが出来ない。
この街に暮らす人々は、街の外に出る事を好まず、情報を得、研究する事を好むため、商人たちは、彼らの作った物を得るため、国内外から珍しい物を仕入れてはここに来る。
それ故にここには、古いもの、新しいもの、雑多なものから珍妙なものまでが集まっていた。
研究や作業を目的に街が広がったため、迷路のような街では、一歩間違うと目的の所に着く事も出来ない。
街に入った後、リディア嬢から話しかけられる。
「見てみたい所がありますか?」
「それはありますが、我々が入れる所は決まっているのではないですか?」
「特に禁止されている訳ではないのです。以前、ここに持ち込まれた植物が繁殖しすぎて大変な事になってしまい。それ以来、手続きを面倒にしただけなのです。ザイード様達に何か制約がある訳ではありませんから。」
「では、薬草や魔鉱石の研究なども行っていると聞いていますので、話を聞く事が出来ますか?」
「分かりました。それではまず薬草園にご案内しますね」
そのまま街の左側にある薬草園に連れて行って貰う。
薬師の女性に、エルメニアだけでなくガルスの植物まである園を案内して貰い、説明を聞き、ガルスの国に薬草として優れている植物があると知る。
獣人は体調管理に“ノゼル”と“イラ”を必要とするが、それ以外の薬を使わない。
ガルスにいる人族にも薬師は必要なはずだが、自分達に必要がない為どうしても疎かになってしまっている。
薬師の話を聞いてみても簡単に使用できるものでは無く、薬草を安全に使う為には知識が必要だと判る。
「ガルス国には、薬師の方がいらっしゃらないのですか?」
「いない訳ではありませんが、ウエストリアの様に薬草を研究したりする様な者はいません。
情けないとは思いますが、こういった施設を作るには理解も余裕も我々には無い」
「数年前まではこの薬草園もこれ程ではなかったそうですが」
「ウエストリア伯の力で?」
現在のウエストリア伯は、交易で利益を得ていると言われている。
きっかけになったのは、二十年以上も前のアッタリア戦だが、その後、フレの売買などを始めたのも彼で、今ではウエストリア領の収入源の一つになっている。
元々、ウエストリア領内では“トゥグ”と呼ばれる魔道具を作るための鉱石が取れた為、恵まれた土地であったが、その辺りは開拓されておらず危険も多い。
その為、鉱石を得るため未だに冒険者などと呼ばれる人がイルネラの街には集まる程だったが、彼の代になって、財政を鉱石に頼らなくなった為、領内も安定したと言われている。
「私の父が、と言うより、友人の父のおかげかしら?」
「ご友人ですか?」
「この奥に彼女の温室もあるので、そちらにも行ってみますか? 薬草については彼女も詳しいですし、ちょうど私も渡したい物があるので」
薬師と別れて奥に進む。
彼女は何度もここを訪れているのか、植物の知識はあるようで、見た事も無い花や実の名前を教えてくれる。
その話を聞いているのは、楽しかった。
薬師の話とは違い、薬草の知識にはならないが、目の前にある植物にどんな色の花が咲いて、実が生るか。
その実は食べる事が出来るか否か、美味しいかそうでないかなどを表情豊かに話す。
「今は花も実も少ないですが、温室には沢山ありますから、気を付けて下さいね」
そう言われ、薬草園の奥にある透明な建物の前に着く。
「すごいな」
王都にも温室と呼ばれる部屋はあるが、それに匹敵するくらいの建屋がある。
「友人の温室です。彼女の父親が、ここに人が近づかない様にする為にあの薬草園を作ったの」
そう言われると、薬草園の奥には背の高い植物が植えられていて、この温室の存在を消している。
「イリノアにいる間は、彼女の屋敷であるローエングルグ家に滞在します。後で紹介しますね」
そのままリディアと共に温室の中に入る。




