01 ウエストリアへ
「馬は大丈夫だったかな?」
タルパスの街で聞かれた時に、問題ないと答えなければ良かったのか、まさか、そのまま早駆けで半日以上を走らされるとは思いもしなかった。
途中、街中を通る時はさすがに並足になるが、いつもの事なのか街の人々も気軽に声をかけるが足を止める事はなく、街を出て、馬を代えれば、また何時間も走り続ける。
本来の姿であれば走り続けても問題ないが、人の姿での早駆けは流石に辛い、しかし自分達より歳上の男が平気な顔をしているのを見れば、悔しいが何も言えなくなる。
それでもサイラスがそろそろ限界かと思った頃、ぱあっと目の前が開けた。
「よし、着いた」と目の前の男が、草原の先にある小さな屋敷の方へ向かう。
そこには屋敷を守る壁もなく、入口を守る兵もいない。
屋敷自体も王都にあるウエストリア屋敷の方が立派なくらいで、こちらは田舎の小さな貴族の屋敷と言う程度で辺境伯と呼ばれる人の家に見えない。
「おかえりなさいませ」
昨年、王都の屋敷で見た執事に迎えられ、なんとか一息ついた時、会いたかった人の声がする。
「まぁ、お父様、まさか今日も早駆けで帰って来られたのですか?」
「ははっ、無理と言われれば途中で止まるつもりだったのだけどね」
そんな事を言う隙など作らなかっただろうと文句の一つも言いたくなるが、彼女が無理をさせてしまってと心配してくれるのは嫌な気はしない。
しかし、「フランツ、後は頼んだよ」とさっさと階段を上がって行く彼を見ると、疲れた様子を見せることも出来ない。
「ご案内します」と執事に連れられ部屋に行き、食事を運んで貰い、体を休め、数ヶ月ぶりに会った人の事を考える。
会いたかった。
冬の間、長い時間離れていた時より、この数ヶ月の方が会いたくて仕方なかった。
挨拶された時は、髪を結っていなかったので、思わず髪にふれそうになり、ふれたらそのまま抱きしめてしまいそうだった。
一年前、この地に来たいとウエストリア伯に言った時は、ただ彼女の側に行く事だけを考えていた。
まず側に行かなければ彼女に知って貰う事も出来ないが、今は好意を持って欲しいと思っている。
寒くなれば自分達は国に戻らなければならない。
それまでに少なくとも彼女の婚約者より、あの赤毛の男より、自分に好意を持って欲しいが、自分にはエルメニアの公妃という地位も、交易による財を与える事も出来ない。
最近の彼女は自分を怖がる事は無いが、それ以上の気持ちを持って貰うにはどうすればいいのかさっぱり判らない。
駆け引きは苦手だった。
獣人の感情は単純だ。
愛しい相手にはすぐ気持ちを伝えたくなるし、触れて手に入れたくなる。
それが許されない相手に、一体どうすれば良いのか。
「ザィード」
「どうした」
「外をウロウロしたい、ダメかな?」
「エルメニアで姿を変えるのはダメだ」
「王都と違って外は暗い、俺達の姿を見ても分からないだろう?」
元々、サイラスは狼の姿でいる方を好む。
数年前、自分に仕えると言った時から人の姿をする様になったが、王都に比べ自然の残るこの地で本来の姿になりたい気持ちは判る。
しかし、エルメニアで勝手な事は出来ないので、なんとか彼を納得させて部屋に戻す。
明日、どうやら彼女の気持ちより、まずサイラスの気を逸らす方法を考えなければならない。
面倒な事になったと思っていたが、
「構わないよ。街に近づかなければ問題ないさ。
まぁ、街の方にも一応伝えておくが話を拡げたくは無い。その辺りは気にして欲しいけどね。」
とあっさり許された。
サイラスは喜んでいるが、これはエルメニアの法には反する。
「宜しいのですか?」
「何がだい?」
「この国の法に反く事になりませんか?」
「ウエストリア領内では、問題ないよ。国の法律より、領内の決まり事の方が優先される。
ウエストリア領内に、獣人が姿を変えてはならないという決まりは無いからね」
ウエストリアに獣人が居なかった為、そう定められていないだけのように思うが、領主がそう言うのなら気にする必要もない。
「但し、街の人が驚かない様にはして欲しいね」とそこは必ず守れと釘を刺される。
数日、ウエストリアの屋敷で過ごす。
屋敷には多くの人々が出入りしているが、自分達を気にする様子を見せない。
また自分達の行動も制限されないので、リディア嬢やアルフレッド殿と共に、屋敷の周囲に広がる草原を案内して貰う。
始めは屋敷を守る壁や堀が無い事に驚いたが、1メートルにも満たない草木で覆われた草原は、誰でも入る事を許している様で、邪な気持ちを持つ者は、逆に近づく事も出来ないようだった。
おまけにウエストリア伯らしいと言うか、只の草原かと思えば、ハーブや薬草、果ては野菜まで植わっていて思わず笑ってしまう。
また、河の支流まで歩くと、右手には麦畑や牧草地が広がり、目の前には森が広がっていて、王都とは全く違う景色に驚かされる。
その為か、一緒に付いて歩くサイラスは、常にソワソワしていて目も離せない。
「今日は後からロニが昼食を運んでくれますから、川に着いたら釣りをしましょうね」
貴族の令嬢からはおよそ聞かれない言葉が聞こえてくる。
「釣り?」
「はい、この辺りの川にはギーという魚がいます。
外で調理するのは難しいかもしれませんが、食べる事も出来ますよ」
「お嬢、あんまりお転婆を公言しないで下さいよ、俺が奥様に怒られるんすから」
「あら、そうなの?」
川の方に歩きながら、少し肩をすくめるようにして言う。
お転婆と言われても、令嬢らしくないと思われても、本人は全く気にしていないらしい。
大体、いくらドレスを身につけ、日傘を差していても、貴族の令嬢は外をこんなに歩かない。
川に着き、大喜びで水に入るサイラスやイグルス達を、少し離れた所から見ているので話しかける。
「リディア嬢も水辺に行かれますか?」
「私はここで」
「本当に?」
「ええ、お母さまから水遊びはダメだと言われているみたい」
「私達がいるからでしょうか?」
「いいえ、きっと屋敷にいる時くらい領主の娘らしくなさいって事なのね」
「では、私もここにいてよろしいでしょうか?」
「水は苦手ですか?」
「いや、二人が楽しんでいますので、冷静な者も必要になります」
「それならば、是非」
そうして、しばらく木陰で涼む。
タルパスの街からの早駆けが、実は大変だったと言うと、今まで父の早駆けに付いていったお客様はいないと笑って教えてくれる。
その後は、いつも側にいる女性が運んでくれた食事を取り、流石に帰りは馬車に乗って屋敷に戻る。
目の前では相変わらず緑色の瞳が、窓から見える景色について話している。
大切な物を見るように窓の外に向けるその瞳を、どうしたら自分に向けてくれるだろう。




