5.王子の髪飾り
その日、訪れた離宮は、いつもと様子が違っていた。
「エドゥアール、殿下……?」
エドゥアールの部屋は、かつてないほどに散らかっていた。というより、部屋中ひっくり返して何かを探していたかのようだ。けれども見つけられなかったのか、散乱する物の中、ぼんやり佇むエドゥアールが居た。
「一体どうしたんですか? 何か探していらしたんですか?」
「ああ、うん……」
どこか上の空のエドゥアールは、反射的に頷いたのだろうか。失敗したとでもいうように、すぐに口を閉じてしまった。
「殿下?」
「いいんです、気にしないで。大丈夫」
俯いていた顔を上げたエドゥアールは、柔らかく笑みを浮かべていた。
「——っ!」
それは、夢で見た……処刑台の上でエドゥアールが浮かべたものと、あまりにもそっくりだった。
ありがとう、の形に動いた唇がリーゼの脳内で閃く。リーゼは顔を青くし、その場に座り込んでしまった。
「……姫? 大丈夫ですか?」
「は、は、はい……」
いま目の前で同じ顔が、いつもの顔に少しだけ心配そうな色を載せて、覗き込んできている。かろうじて返事をしたリーゼは、息を整え、それから立ち上がった。
「探しましょう」
「え?」
「失くし物です。探しましょう、必ず見つけます!」
強く宣言するリーゼを、エドゥアールがポカン、と見上げる。
「どんなものですか?! 何がなんでも見つけます!」
「あ、えっと、鼈甲の髪飾りで……」
「わかりました!」
言うが早いか、離宮を管理する執事の元へリーゼは走った。
「絶対絶対、見つけてください!」
一歩も引かない勢いできつく言い含めたおかげか、大捜索の許可が出た。使用人たちが全ての仕事を止めて、小さな髪飾りを探す。その間に、見覚えないかと一人一人に執事が問うて回った。中庭にある小さな東屋に仁王立ちになって、リーゼは捜索を見守る。その横で椅子に腰掛けたエドゥアールは、いつもの泰然とした雰囲気はまるでなく、まるで迷子の子のように所在なさげにちょこんと座っていた。
「……姫さま」
ほんの小一時間ばかりの大捜索の末に、執事が何かを手にして東屋にやってきた。
「どうも、こちらの女中の一人が、殿下のお部屋で見かけてしまったらしく」
どうにも深刻な顔の執事は、後ろに立って俯いている侍従長にチラと目をやった。
「申し訳ありません。姫さまのお目に触れる前に、と彼に預けていたようです」
「なぜなの?」
「その、不穏な品なので……」
「どういう意味?」
「ええと、姫さまがご覧になると、誤解を招くかと思い……」
誤魔化しは許さない、とばかりにリーゼは執事を見つめた。観念したように、執事は手の上の布を広げ、包まれた品をリーゼに示した。
「……」
リーゼは、静かに目を見張った。絶句し、次いで顔色を悪くした。
古く、欠けた、けれど可憐で美しい鼈甲の飾り。女性のためのものであるのは一目瞭然だ。王子自身のものではなく、そして姫への贈り物でもない。
——予想は、していた
リーゼは唇を噛んだ。髪飾り、と聞いた時から少しだけ不安があった。でも違うと良いな、と思っていた。お身内の誰かのものかな、とか、もしやもしや、私への秘密の贈り物かな、なんて思ってみたりもした。
「これは……」
リーゼは、手が震えるのを止められなかった。どうにか、そっと手の上に髪飾りを載せる。鼈甲はこの国ではあまり馴染みがないものだ。だが繊細かつ煌びやかな意匠は、若い女性のためのものだ。
それは金属の部分が少しサビかけて、長く使われていないのがよくわかる。かけた部分も昨日今日割れたというよりは、時間が経っているように見えた。
その時初めてリーゼは思い至った。これほど高価な品を異国に持たせ、思い出のよすがとさせるような相手が、エドゥアールにはいたのではないか。あの時、なんとしてでも国に帰りたいと思う理由があったのでは……。
これまでずっと考えてこなかったその可能性に思い至り、姫は胃の腑がずっしりと重くなるのを感じた。
◇◇◇
エドゥアールは、椅子の上で俯いていた。
使用人たちとの会話、何より姫君の反応を見て、なぜ髪飾りが消えたかようやく理解したのだ。
言い訳をすべきだろうか。そう思ったが、結局エドゥアールは口を閉じた。ごちゃごちゃと言い訳するような気力もなかった。髪飾りは、このまま処分されるだろう。そうなっても仕方ない。エドゥアールは続く会話を聞かないように、明るい日差しに照らされた芝生が風に揺れるのを、目で追った。
「……それがなんであっても関係ありません。殿下の大事なものにみだりに触れることは許しません」
リーゼがキッパリと言い切ったのが聞こえた。顔を上げると、手のひらの上に髪飾りを乗せたリーゼが、自分の方へ差し出していた。
「殿下、申し訳ありません。大切なものを無碍に扱ってしまいました。どうぞお許しください」
「……」
エドゥアールは言葉を失ったまま、そっと髪飾りを受け取った。手の上の繊細な意匠は今にも折れてしまいそうだ。日の光に照らされた鼈甲は、薄い金色にキラキラと輝いている。
「……いえ、俺の方こそ、ここまで探してくれて……見つけてくださって、感謝します」
ようやくそれだけ言い切ると、じっと手の上の髪飾りを見た。ほんの少し、欠けが広がっている気がする。けれどちゃんと戻ってきた。無くなったと気づいた時は血の気が引いた。それが今こうして、手の上にある。
「……」
張り詰めていた力が抜けていく。それからエドゥアールは、リーゼが視線を地面へ逸らせているのに気づいた。その顔は、切なそうで、けれど何も言うまいとでも言うように硬く唇を噛んでいる。
誤解を解かなくては、とエドゥアールは思った。そんな顔をさせたいわけじゃない。
「——母の、形見なんです」
エドゥアールは静かに口を開いた。リーゼがハッと顔を上げた。
「俺の母は、早くに亡くなっていて……母が唯一残してくれたのが、この髪飾りです。父に見初められ、初めて城に上がった日につけていたのだ、と聞きました」
そこまで話すつもりはなかったのに、気がついたらエドゥアールの口は言葉を続けていた。
「そうだったのですね……」
リーゼがほっと安堵した顔になり、それからまたサァッと青ざめた。
「待ってください……そ、そ、そんな、大切なもの……! ほ、ほ、本当に申し訳ありません……!」
今にも倒れそうな顔で、リーゼが後ずさる。だが、その調子はいつも通りの、どこかバタバタした女の子に戻っている。
——やっぱり、こっちの方がいいな
エドゥアールは小さく笑った。




