3.相手のことを知ることにした
リーゼは、暇さえあればエドゥアールの住む離宮まで遊びに行くことにした。
「殿下! 今日はお散歩いたしましょう!」
挨拶のお辞儀もそこそこに、姫は王子を誘う。
「中庭のお花が綺麗に咲いてます! そこでお茶会しましょう」
「……ええ、構いませんが」
王子は、いつものすました顔のまま、手にしていた本を閉じた。
早速中庭にテーブルセットを出してもらって、甘いお茶を侍女たちに入れてもらう。
「殿下、見てくださいお花! あっ蝶々も!」
「そのようですね」
あれやこれや話しかけるも、エドゥアールはすまし顔のままだ。けれど、よく相槌をうってくれた。
別の日には、リーゼは本を手にしてやってきた。
「今日は御本を一緒に読みにきました!」
「そうですか」
昨日と同じ本を手にしたエドゥアールがソファーに座る。リーゼは当然のように隣に座った。もう少し近づいた方がいいかしら、と少しだけ首を傾げる。けれども結局、ページを捲り始めるとそんなことは忘れてしまった。
静かな時間が流れる。はらり、と紙をめくる音だけが大きく聞こえる。持ち込んだ本を半分まで読み進めたところで、リーゼは隣のエドゥアールをちらりと見上げた。
「……」
エドゥアールは、静かに本へと目を落とし、ページを捲っていた。冷たい印象を与える目元だが、長いまつ毛が瞬きのたびに震えて、綺麗だった。薄い紙をそっと捲る指先は、ほっそりしているが骨張っている。男性の手だ、とリーゼは思った。ぎゅっと自分の本を握ってしまった。
用意してもらったお茶を何度も口にしたが、香りも味もよくわからない。
「あ、あの……」
「はい」
静かな空気に耐えかねて、ついリーゼは話しかけてしまった。
「何を読んでいらっしゃるんですか?」
「……これです」
パタリ、と本を半分だけ閉じて、エドゥアールは表紙を見せた。派手な意匠もないすっきりとした表紙だ。それはこの国の歴史と記録の本だった。
「……わぁ……」
思わず、リーゼは自分の手の中にあるロマンス小説と見比べてしまった。分厚さもさることながら、文字の大きさが違う。
「む、難しい本を、読まれてるのですね」
「そんなことはないです」
王子はそっけなく謙遜した。それから、リーゼの手元をちらりとみる。
「リーゼ姫は、可愛らしい御本をお読みなのですね」
「うっ、これはっ、その」
実のところ、『殿下を私に夢中にさせる作戦』のために、参考にしようと持ってきたものだ。いつしか自分が夢中で読み耽っていたのだが。そうとバレたわけではないだろうが、後ろめたさを感じてリーゼは顔を引き攣らせた。
エドゥアールの視線が、リーゼの手の中の表紙を滑っていく。タイトルは『意中の人を射止める最高の方法』。
「……そういう、お話が好きなのですね」
「あっ、その、……は……はい」
リーゼは赤面した。顔から湯気が出るくらいに。
「殿下、ゲームはお好きですか?」
その日、リーゼはとっておきのものを持ち込んだ。かなり自信があった。
「ええと、たまに……一人で……」
「一緒にやりましょう! 兄上からお借りしたのです」
両手に抱えているのは双六にチェス、カードとよりどりみどりだ。一つ一つ広げながら、兄から教わったルールを説明する。エドゥアールもいくつかはやったことがあるようで、これとこれはわかります、と教えてくれた。持ち込んだどことなく丸みのあるチェス駒を、興味深そうにしげしげ眺めていた。
「あっ、私の勝ちです!」
「そのようですね」
陣取りゲームで、最後の駒を置いたリーゼが得意げに胸を張る。エドゥアールは、小さく拍手した。
リーゼはひとしきり喜んでから、ふと、違和感を覚えた。いつもと変わらぬそっけない顔のエドゥアールは、テキパキと次のゲームの準備をしている。そこには悔しさも、喜びも、何も浮かんでいない。ただ、少し気を張っているようにも見えた。
——あれ、なんか、これ……あれ?
リーゼが首を傾げるのと、エドゥアールが問いかけるのはほぼ同時だった。
「楽しいですか?」
リーゼはすぐさま頷く。
「はい! とっても!」
「それはよかった」
エドゥアールの肩が、かすかに下がった。安堵の息を吐いたように。
——ん? なんだか……これ……
リーゼは、眉根を寄せた。
散歩、お食事、カードゲーム、三目並べにチェス、それからそれから……
「これ私が殿下を構ってるのではなくて、構ってもらっているのでは?!」
ある日、ついにリーゼは気がついた。
「今まで私の遊び相手をしてくれていた?! だから王子は、私が楽しんでると聞いて安心していたの?!」
これでは結局、かつて殿下の周りをうろちょろして構ってもらってた幼い自分と何も変わらない。いや、遊びに行く頻度が上がったことで、かつてよりも邪魔をしているとも言える。
「これじゃダメだわ……」
リーゼは頭を抱えた。このままでは好きになるどころか、面倒臭い子供と思われてしまいかねない。
——好きになってもらうって、なんて難しいの
だが、ここで挫けては処刑一直線だ。リーゼはグッと奥歯を噛み締めた。
「……まずは、殿下の好きなものを探るのよ、そこからだわ」
翌日からも、リーゼはまたエドゥアールの元に頻繁に通った。ただし今度は、じっくりとエドゥアールを観察するために。服の色、読んでいる本、部屋の中にあるもの、最初に手をつける食べ物……
「最近、少しお元気がないようですが」
「……えっ?!」
ある日、エドゥアールにそう聞かれてしまった。
「何かありましたか?」
「あのっ、いえ、その……」
あなたの観察に夢中で、会話を忘れました、などというわけにはいかない。リーゼは焦って言葉を探す。
「え、え、エドゥアール殿下を、見てましたっ」
言ってしまった。
リーゼは自分の頬を引っ叩きたくなった。だが口から飛び出た言葉はもう引っ込められない。
「そう、ですか」
流石のエドゥアールもこれには戸惑ったのか、いつものすまし顔が崩れていた。少し目を見開くようにして、それからふいっと逸らした。
殿下の好みを探りに探ったリーゼが次に始めたのは、贈り物作戦だった。新しい服、小物、小箱に、トランプ、少し変わった意匠のチェスの駒、壁に飾る絵、書き物のための筆記具、良質な紙、文鎮……。とにかく、エドゥアールの気に入りそうなものを見かけるたびに父母にねだった。父母がダメなら兄や姉にまでも。
訪れた時、以前に贈った筆記具が王子の机の上にきちんと並べてあり、使った形跡まであるのを見て、リーゼはその場で飛び跳ねたくなるのを我慢するのに苦労した。
その日はとっておきの贈り物を持ってきた。父上の部屋で見かけて、きっと本をよく読まれる王子も使いたいに違いないと、似たようなものを市場で探してもらったのだ。折り畳める小ぶりな書見台を渡すとパッと目が輝いたのを、リーゼは確かに見た。すぐにいつものそっけない表情に戻ったが、リーゼは口角が上がるのを抑えられない。
「お気に召しました?」
「ええ……いえ、そうじゃなくて」
一瞬喜んだのを隠すようにエドゥアールはそっぽを向いた。恥ずかしがっているんだ、とリーゼは思った。これは大成功かもしれない。
エドゥアールは、一つため息をついた。ニコニコしているリーゼをまっすぐ見下ろして、真面目な顔で言った。
「なぜいつも贈り物を持ってきてくれるんですか?」
「えっ」
「貴女の気遣いには感謝してますが、俺にはこんなにたくさんのもの、必要ないです」
「あ……」
とうとう、言われてしまった。
「あの、それはっ、あのー、あなたにこの国のものをいっぱい持っててもらいたくて!」
しどろもどろの言い訳は、目も当てられない。
——これではこの国に根を下ろしてもらうつもりなのがバレバレだわ
リーゼは思い直し、言葉を選ぼうと頭をひねる。
「つまりですね、えーと、そう、わたし、あなたのお部屋を物でいっぱいにしたくて!」
——あぁ〜、なんか変なこと言っちゃった! どういう意味なの? 自分でもわからないわ!
「だから、だからですね、殿下には、たくさん素敵なものに囲まれてて欲しくて……ええと、その……それだけです……」
口を開けば開くほど、リーゼの言い訳はどんどん迷走して行く。これじゃあ、おかしな女と思われたに違いない。リーゼは肩を落とした。
「……そう、ですか」
エドゥアールは、虚を突かれたような顔をしていた。それから、ぎゅっと口を引き結んだあと、いつものすました顔で、ありがとう、と言った。
不思議なことに、それ以降、エドゥアールの表情が、前より柔らかくなった。少しだけ、だが。




