2.大好きになってもらうことにした
リーゼは、自分の悲鳴で目が覚めた。ベッドの上に寝かされている。
「……こ、ここは……」
処刑を目の当たりにして気が遠くなったのは覚えている。誰か親切な人が宿に運んでくれたのだろうか。
けれどここは、まるで自室のようだ。
「……?」
もしかして、今のは夢だったのだろうか、とリーゼは思い直す。ここはまだ出発の前で、きっと不安のあまり酷い悪夢を見てしまったのだ。……人混みの生々しい質感も、エドゥアールの鮮明な顔も、とてもそうとは思えなかったが。
なんにせよ、夢ならば早く出発しなければ。悪夢が現実になる前に。
「あ、あれ?」
何かおかしい、とリーゼは思った。天蓋のレースをかき分けた先はやはり自分の部屋だった……だが、見慣れた部屋とは少し違う。何がとは言えないが、違和感があった。
「あれ……?」
自分自身にも、なんだか違和感があった。視線が低い。それに寝巻きも、なんだか見覚えはあるけどいつもと違う。なにより、真夏の最中だというのに肌寒さを感じた。
鏡を見ようと思った。成人の祝いで両親から贈られた化粧台がある。それなのに、あるべき場所には何もない。
「どうして?!」
リーゼは、混乱した。
部屋を飛び出す。廊下を走って居間へ急ぐ。使用人が、驚いた声を上げるのにも構わず。
「まぁ! 姫さまいけませんよ! 寝巻きのままで!」
「ごめんなさい! あとで!」
居間には両親がいた。朝食を終えたところなのだろう。父は新聞を、母は紅茶を持っていた。二人とも、とても夏場とは思えないような厚着だ。
「おおおお父様、お母様!」
リーゼは居間に飛び込むようにして、両親に訴えた。
「わ、わ、私早く出発しなくては、エドゥアール殿下が……」
「あら、よく覚えていたのねリーゼ。そうですよ、今日です」
母が、優しく見える顔でにこりとした。
「へっ?!」
「まだだよ、リーゼ。エドゥアール殿下の到着は午後になってからだ」
父が、苦笑した。
「えっ、ど、どういう……」
「そんなことより、リーゼ。一体なんですかその格好は」
母の目がグッと怖くなった。リーゼは思わず体を固くする。
「初めて会う婚約者の前に、そんな格好で出るつもりですか? はしたない」
「あっ、す、すみませ……は、初めて……?」
リーゼはますます混乱した。
結局、懇々とお説教される間、リーゼは混乱し切っていた。今日は初めてエドゥアール殿下がここに来られる日で、夕方には婚約の儀を執り行う予定だという。
——おかしいわ、だって私、もう婚約してから随分経つのに
——婚約の儀は十四歳の時にもう終えたはずなのに
「聞いていますか、リーゼ」
「は、はいぃ……」
ブルブルと震えながらリーゼは俯く。怒った母上は怖いのだ。だが、今はそれどころではない。
「あの、あの、つかぬことをお伺いしますが……」
リーゼは、思い切って顔を上げた。
「今日って何日ですか……?」
呆れた、と言わんばかりの顔の母。その隣で苦笑いを浮かべていた父が、日付を教えてくれた。
——リーゼの認識している日の、三年も前の日付だった。
「どういうことなの?」
着替えるようにと厳しく言い渡され自室に戻ったリーゼは、まだ混乱の中にいた。
昨日まで生きていたはずの人生は、夢だったのだろうか。でもあまりに実感がすごい。やっぱり過去に戻ってるとしか思えない。
「すっごく長くてすっごく臨場感ある予知夢を見ていたのかな……」
それにしたってあまりに酷い夢だった。
隣国のエドゥアール王子は、三年前にリーゼの婚約者となった。そしてリーゼの国の、離宮で暮らすようになった。
あまりにも政治の絡んだ婚約だった。隣国との和平締結の生きた証拠……これは、当時の父の言葉だ。
わずか三年の間に隣国で政変が起き、和平条約自体が破棄された。同時に婚約も終了せざるを得なくなった。隣国からは、エドゥアール王子の身柄の返還を求められた。継承権を持つ者が他国にいるのをよしとしない、暫定政府からの要求だった。
父は、彼を帰さないだろうと思っていた。何よりエドゥアールが帰りたがらないはずだ、とも。帰ったらどんな目に遭うかなんて、考えるまでもないのだから。それなのに、エドゥアールは行ってしまった。
その後リーゼは必死で父を説得した。なんとか助命交渉を許された頃には、王子の返還からすでに二ヶ月も経っていた。刑の執行が決まったという新聞記事を父から見せられ、リーゼは震え上がった。なんの罪かはわからない。ただ、一刻も早く助けに行かなければと思った。身支度も何もかも後回しにして隣国まで馬車を走らせたのだ。
——そして、間に合わなかった。
リーゼは、ゾッと身を震わせた。もう二度と見たくない光景だ。思い出すのも恐ろしい。夢であったとしても、とてつもない悪夢だ。
もし本当にあれが未来を垣間見たのなら……神の慈悲により、エドゥアール殿下を助けるための時間を下さったのなら。
なんでもいい、またとない好機だわ、とリーゼは思い直した。
「とにかく、国に帰るなんて言わせなきゃいいんだわ!」
我ながらいい考えに思えた。
「つまり、そう、身も心もこの国の人間にしてしまえばいいの!」
ふっふっふ、と悪ぶった笑い声を出す。一人で。
「そうして故国を捨ててもらうのよ。……そうだわ、私に夢中になればいいんだ! 離れがたくて故郷とかどうでも良くなるくらいに!」
リーゼは頷く。完璧な作戦だ。
……と、決意したはいいが、なにからしたらいいかわからない。色仕掛け、というわけにもいかない。なにせ今が三年前なら、自分はまだ十四歳である。
「……まずは、手を繋ぐところから、かな……」
真剣な顔で、リーゼは思案した。
リーゼがジタバタしているうちにあっという間に午後になった。エドゥアール殿下の到着の時間だ。
一番素敵な装いで、と頼んだら侍女たちは微笑ましそうにしていたが、リーゼは恥ずかしがるのを一旦横に置いた。なにしろ自分は最大限にエドゥアールを魅了しなければならないのだから。
両親と共に部屋で出迎えたエドゥアールは、最後の記憶よりいくらか若く、幼く見えた。初めて会った時、三つばかり年上のエドゥアールが、ずいぶんと大人の男性に見えていたのを思い出す。
——そうか、今は同い年だ。
少なくともリーゼにとっては。そう思うと、王子がなんだか可愛い気がしてきた。
絶対に私に惚れ込ませてみせる、今日はその大事な第一歩だ。気合を入れて笑顔を向け、できる限りの完璧なお辞儀を披露した。
「お初にお目にかかります、リーゼロッテと申します。どうぞリーゼとお呼びください」
「はじめまして、リーゼ姫。エドゥアールです」
あの頃は自分の挨拶にいっぱいいっぱいだった。だが、少し余裕のある今は、応えるエドゥアールの硬い表情にうっすら緊張が含まれているのがよくわかった。
——殿下も緊張なさってたんだわ
自分だけじゃなかった、と思うとなんだか自然と唇が吊り上がってしまう。とにかく第一印象は完璧だ、作戦はうまくいっている。
ふと王子の付き添い人を見ると、そこには処刑場で何かを読み上げていた男が立っていた。
「ひぃ!」
リーゼは思わず悲鳴を上げて飛び退いた。突然の奇行に、エドゥアールが首を傾げるのが見える。だがそれどころじゃない。
「こっ、こここ、このかたは?!」
「え……あの、立会人です。我が国の宰相で……」
「お初にお目にかかります、公女殿下」
手を取られそうになって、リーゼは慌てて後ずさった。不思議そうな顔の二人を前に、だがリーゼは少しも気持ちが落ち着かない。
「な、なぜその人と仲良くしてるの?!」
「いえ……別に仲良くは……」
ますます困惑した二人に見られながら、リーゼはブルブル震えた。
——やっぱりあの夢は本物だ、本物の、本当に起こる未来だった
今度こそ、リーゼは確信した。




