1.運命の日
——急がなければ
ガタガタと揺れる馬車の中、リーゼはただ一心に両手を組んだ。
隣国に着いたのは今朝の早い時間だ。寝る間も惜しんでリーゼは馬車を出した。少しでも早く着くようにと命じた。石畳の上を走る馬車はひどく揺れるが、とても座り心地など気にしていられない。
賑わう広場の横を通れば、宮殿はもうすぐそこだ。リーゼの両手に力が籠る。
広場には、群衆が所狭しと押し合うように詰めかけている。リーゼは、ふと目を向けた。一体何をしているのだろう。窓の外を見て、リーゼは背筋を震わせた。
群衆の向こう側、処刑台が見えた。
「……!」
思わず手で口元を覆う。周りで歓声を上げる人々は、あれが恐ろしくないのだろうか。
目を逸らそうとしたその瞬間、リーゼは体を強張らせた。処刑台の側に立つ人の中に、あってはならない顔を見つけた気がしたのだ。
「——馬車を止めて!」
見間違いかもしれない、けれどもそうは思えなかった。気のせいかもしれない、そうであってほしい。でもそうじゃなかったら?
震える手で馬車の扉を開けたとたん、真夏の日差しが体を包む。眩しい日差しの下、目を凝らしてもう一度見た姿は、やはりその人に見えた。
「エドゥアール殿下……!!」
悲鳴をあげた。転がるように馬車から降り、群衆の中に飛び込んで処刑台の方へ急ぐ。むっとするような人いきれに包まれ、息が苦しい。だがそんなことには構っていられない。
「待って! 待ってください!」
その人は優しい人なの、いい人なのよ、死なせないで。私の婚約者なの。
歓声の中でいくら叫んでも、声はかき消されてしまう。
いよいよ、エドゥアールの順番が来たのだろう。ひときわ大きなどよめきが上がった。罪状でも読み上げているのか、隣に立つ身なりの良い男性が、紙を手にして声を張り上げている。だがそれも、聞こえない。
「待って! まだだめです! その人の処刑は待ってください!!」
リーゼは精一杯声を上げた。
「私は! 助命交渉に来た、特使です!!」
悲鳴のように叫んでも、誰もこちらを見てくれない。服の裾が何かに引っかかる。それでも無理に進むと、ビリ、と薄い布の裂けた音がした。結った髪はすっかりぐしゃぐしゃになって、ほつれ髪が汗で顔に張り付いた。いつのまにか片方の靴は無くなっていた。
押される人波の中、ようやくあと少しのところまで近づいた。
エドゥアールの顔がよく見えた。何も感じていないかのような顔をしている……いつも、この人はこんな顔だった。それなのに優しかった、いつでも。優しいところが好きだった。
もっと仲良くなれば、違う顔も見られるのかしらと思っていた。もっと大人になって、婚約から正式に結婚すれば、一緒にいる時間が長くなれば……。
エドゥアールは処刑台に据えられても顔色も変えなかった。その時、リーゼと目があった。
「……!」
エドゥアールが少し目を見張った。唇が震えて、リーゼ姫、と動いたのを確かに見た。
「殿下……!」
エドゥアールが、ほんの少しだけ口端を上げた。
——ありがとう
唇が、再び動く。
「殿下?! 待ってて、今……」
あと少しで群衆の波から出られそうだった。必死に手を伸ばして前へと進む。隣に立っている人はきっとこの国の偉い人だ。話をすれば、猶予を与えられるはずだ。
——さよなら
口の動きだけで、そう言ったのがわかった。見えてしまった。見えるくらいに近くにいたのに。
「だめ、だめ——!!」
リーゼは絶叫した。刃の落ちる音をかき消すほどの大声で。




