閑話Ⅲ 神崎カイ
俺は、時間が嫌いだ。
正確には。
時間そのものが嫌いなんじゃない。
戻せないことが嫌いなんだ。
***
五年前。
俺は、研究施設の廊下を走っていた。
「カイ!」
後ろから誰かが叫ぶ。
振り返らない。
足を止めたら。
間に合わなくなる。
だから走った。
曲がり角を曲がる。
目の前に大きな扉が現れる。
《NULL PROJECT》
俺は扉に手を伸ばした。
――その瞬間。
世界が止まった。
「……っ」
音が消える。
風も。
光も。
人の声も。
全部。
俺の能力。
《加速》。
本来なら。
時間や物体の速度を操るだけの能力だった。
でも。
あの日。
俺は初めて気づいた。
俺が触れているのは。
速度じゃない。
――時間そのものだ。
扉に触れる。
時間を進める。
錆びる。
壊れる。
扉が開く。
「……入るぞ」
誰もいない部屋。
中央に、一つのモニターがある。
そこに映っていたのは。
レンだった。
「……レン?」
画面の中で。
レンは誰かと話していた。
ユナ。
そして。
俺。
「……俺もいたのか」
映像の日付。
《2021/09/08》
五年前。
俺は映像を見つめる。
『本当にやるの?』
映像の中の俺が言う。
『うん』
レンが答える。
『この世界を作る』
『世界なんて、簡単に作れるのか?』
『作るんじゃない』
レンは笑った。
『戻すんだ』
その言葉に。
俺は眉をひそめた。
『何を?』
レンは答えなかった。
代わりに。
モニターの画面が切り替わる。
《REAL WORLD》
俺は息を呑んだ。
「……リアルワールド?」
その瞬間。
警報が鳴った。
《UNAUTHORIZED ACCESS》
「まずい」
俺は部屋を出た。
廊下の向こうから。
黒い制服の人間が走ってくる。
「止まれ!」
俺は能力を使った。
世界が遅くなる。
敵の動きが止まったように見える。
俺はその横を通り過ぎる。
だが。
振り返った瞬間。
違和感があった。
敵の一人が。
俺より速く動いていた。
「……何?」
黒い影が迫る。
その瞬間。
世界が白くなった。
***
気づいた時。
俺は床に倒れていた。
目の前に。
レンが立っている。
「レン……?」
「カイ」
「お前……何をした?」
「分からない」
レンは自分の手を見る。
「でも」
その目が。
一瞬だけ赤く光った。
「世界のルールを変えられるみたい」
「……は?」
意味が分からなかった。
でも。
レンは笑っていた。
「大丈夫」
「何がだよ」
「僕が守るから」
その言葉を。
俺は信じた。
信じてしまった。
――それが間違いだったのかもしれない。
***
現在。
「……また、この夢か」
俺は目を覚ました。
暗い部屋。
壁には。
《ADMIN》
の文字。
俺は五年間。
ADMINにいる。
理由は一つ。
レンを探すためだ。
あの日。
世界が反転した直後。
俺たちは離れた。
レンは記憶を失った。
ユナも消えた。
俺だけが。
何もできなかった。
だから。
探すしかなかった。
「レン……」
机の上には。
一枚の写真。
五年前の俺たち。
レン。
ユナ。
そして。
俺。
写真の端には。
もう一人。
誰かが写っている。
顔は。
黒く塗り潰されている。
「……誰だ?」
何度調べても。
名前は分からなかった。
記録にも存在しない。
なのに。
写真には確かにいる。
俺は写真を裏返す。
そこには。
手書きの文字。
『七人で、世界を作る』
「七人……?」
俺は眉をひそめた。
俺が覚えているのは。
レン。
ユナ。
俺。
そして。
数人の研究員。
それだけだ。
なのに。
なぜ。
七人?
***
「神崎」
背後から声がした。
振り返る。
「任務だ」
ADMINの男が立っていた。
「内容は?」
「異常データの回収」
「場所は?」
「Eden」
その言葉を聞いた瞬間。
心臓が一度だけ強く鳴った。
「……Eden?」
「ああ」
男は端末を渡す。
「未登録異能者がログインした」
「名前は?」
「レン」
時間が。
止まった。
「……もう一度」
「レンだ」
俺は端末を見る。
《USER:REN》
《STATUS:ONLINE》
五年。
ずっと探していた。
それが。
たった一つの表示で。
全部繋がった。
「……そうか」
俺は立ち上がる。
「行く」
「殺せとは言われてない」
「分かってる」
「なら、なぜそんな顔をする?」
俺は答えなかった。
五年前。
レンは俺に言った。
『僕が守る』
だったら。
今度は。
俺が守る。
たとえ。
世界の敵になっても。
***
Eden。
その夜。
俺は空を見上げていた。
遠くに。
一つの白い光。
「……ユナ」
その名前が。
自然に口から出た。
そして。
その隣。
黒い髪の少年。
「……レン」
俺は拳を握る。
「今度こそ」
一歩。
前へ。
「全部、聞かせてもらうぞ」
その瞬間。
通信が入った。
《ADMINより神崎カイへ》
《対象:REN》
《命令:確保》
《備考――》
最後の一文。
俺は読んだ瞬間。
動きを止めた。
《対象が“NULL”へ移行した場合、接触を禁止する》
「……NULL?」
俺は空を見上げる。
五年前。
誰も教えてくれなかった言葉。
そして。
俺が忘れていた。
もう一つの記憶。
「……そういうことか」
俺は歩き出す。
だが。
まだ知らない。
その先で。
俺自身の「五年前」が。
もう一度。
俺を待っていることを。




