7、世界の境界線
世界が、何重にも重なっていた。
「……どれが本物だ?」
レンの目の前には、十人のレンが立っていた。
同じ顔。
同じ制服。
同じ赤く光る右目。
そのすべてが、同時に口を開く。
『僕が本物だ』
『いや、僕だ』
『違う。お前は偽物だ』
『本物は、もう死んでいる』
「……っ」
レンは一歩下がった。
どれも偽物に見えない。
むしろ――。
全部が本物に見える。
「レン!」
ユナの声が聞こえた。
振り向く。
そこにはユナがいた。
だが、その隣にもユナがいる。
さらに、その後ろにも。
「ユナ……?」
「違う!」
最初のユナが叫ぶ。
「そいつは偽物!」
「私が本物!」
別のユナが叫ぶ。
その瞬間。
ミサキが頭を抱えた。
「やめて……!」
彼女の周囲に、無数の映像が発生する。
学校。
研究施設。
五年前の街。
そして――。
「私……?」
ミサキ自身が、何人も現れた。
能力《複製》。
それが、アオイの《幻視》をコピーしてしまったのだ。
「ミサキ!」
「コピーした能力が……多すぎる……!」
ミサキの視界には、さらに別の世界が重なっていく。
「これは……現実?」
その問いに、誰も答えられない。
アオイが静かに笑った。
「そう。それが《幻視》」
空中に、青い髪の少女が浮かび上がる。
「見たものを信じる」
「信じたものを現実だと思う」
「そして――」
アオイが指を鳴らす。
世界が反転した。
「現実だと思ったものが、本当に現実になる」
「……そんなわけない」
レンは呟いた。
「なら、証明してみれば?」
アオイが笑う。
「あなたが今いる場所が、現実じゃないって」
レンは黙った。
周囲を見る。
空。
地面。
建物。
ユナ。
ミサキ。
何一つおかしくない。
完璧だった。
だからこそ。
「……一つだけ、おかしい」
レンは自分の右目に触れた。
赤い光が強くなる。
「この世界には――」
視界が切り替わった。
建物の表面に、無数の文字列が浮かび上がる。
《OBJECT》
《MEMORY》
《PERCEPTION》
《REALITY》
そして、その奥。
すべてのデータに共通しているものがあった。
「……矛盾してる」
レンが呟く。
「何が?」
アオイの表情が変わった。
「世界は全部、繋がってる」
レンは地面を見る。
「でも……この世界だけは違う」
そこには、一つだけ存在しないものがあった。
「影だ」
誰にも影がない。
五年前から何度も見た。
普通の世界なら、光があれば影ができる。
なのに、この世界には影だけが存在しない。
「だから、ここは現実じゃない」
「……!」
アオイの目が見開かれた。
レンは右手を前に出す。
「《反転》」
空間が震えた。
しかし、何も起こらない。
「……え?」
アオイが笑う。
「無駄だよ」
「この世界では、能力のルールすら私が決められる」
「だったら――」
レンは拳を握った。
「ルールそのものを反転する」
「……!」
アオイの笑顔が消えた。
「そんなこと……」
「やってみる」
レンの右目が、真っ赤に輝いた。
「《反転》――対象、世界法則」
瞬間。
世界が止まった。
音が消える。
風が止まる。
空の雲さえ動かなくなる。
そして。
世界の中央に一本の線が走った。
まるで、巨大なガラスに亀裂が入ったように。
「な……」
アオイが呟く。
「何をしたの……?」
「簡単だよ」
レンは答える。
「お前の世界は、こういうルールだった」
レンの目の前に文字が浮かぶ。
《認識したもの=現実》
レンはその文字列に手を伸ばした。
「だったら、逆にする」
文字列が反転する。
《現実=認識》
「見たものが現実なんじゃない」
「現実に存在するものだけを、俺は認識する」
――パリン。
世界が砕けた。
「……!」
視界が真っ白になる。
そして。
レンたちは、元の場所に立っていた。
崩れかけた研究施設。
薄暗い廊下。
割れたモニター。
そして――。
青い髪の少女。
白石アオイが、その場に座り込んでいた。
「……負けた」
アオイは小さく呟いた。
レンは警戒しながら近づく。
「お前は、どうしてこんなことを?」
「……怖かったから」
「怖かった?」
「この世界の外が」
アオイは俯いた。
「私は五年前から、ここにいる」
「ADMINに見つかれば、消される」
「だから、ずっと《幻視》でこの場所を隠してた」
ユナが静かに尋ねる。
「誰を?」
アオイは答えなかった。
代わりに、研究施設の奥を指差した。
「あなたたちが探してるものは、そこにある」
レンたちは顔を見合わせる。
奥には、巨大な扉があった。
扉には、見慣れた文字。
《NULL PROJECT》
そしてその下に――。
《WORLD BOUNDARY》
レンの心臓が跳ねた。
「世界……の境界線?」
「そう」
アオイが立ち上がる。
「ここから先は、Edenの管理領域じゃない」
「じゃあ何なんだ?」
アオイはしばらく黙ってから答えた。
「Edenの外側」
その言葉に、ユナが反応する。
「……外側?」
「うん」
アオイは扉を見つめる。
「私たちが『現実』だと思っている場所より、さらに外」
「そこに――」
アオイの声が震えた。
「もう一人の異能者がいる」
レンの表情が変わった。
「七人のうちの一人?」
「そう」
「その人は何をしてる?」
アオイは答えない。
代わりに、扉の横にある端末を操作した。
モニターが点灯する。
そこに映し出されたのは、一人の少年だった。
黒い髪。
白い服。
そして――。
レンと同じ顔。
「……また、俺?」
レンの声が震える。
だが、ZEROとは違った。
その少年はレンより少し幼い。
おそらく、五年前。
映像の中の少年が、カメラに向かって話し始める。
『もし、この映像を見ているなら――』
少年は一度、画面の外を見る。
『僕の計画は、失敗した』
レンの呼吸が止まる。
『だから、七人を集めてほしい』
『七人が揃えば――』
映像が乱れる。
『世界の外側へ行ける』
ノイズ。
そして最後に。
『そこにいる僕を――止めてくれ』
画面が暗くなった。
誰も喋らなかった。
レンだけが、呆然と立っていた。
「……俺を?」
その瞬間。
施設全体に警報が鳴り響いた。
《WARNING》
《ADMIN侵入》
《未登録異能者、複数確認》
アオイが顔を上げる。
「来た……」
ユナが身構える。
「ADMIN?」
「違う」
アオイの顔から血の気が引いた。
「この反応は……」
遠くから、足音が聞こえてくる。
一歩。
また一歩。
そして。
暗闇の向こうから、声がした。
「七人を集める必要なんてない」
聞き覚えのある声。
「最初から――」
銀色の髪が、暗闇から現れる。
神崎カイだった。
「七人目は、もう見つかってる」
レンは目を見開く。
「カイ……?」
カイはレンを見る。
その表情は、今まで見たことがないほど険しかった。
「レン」
「お前に伝えなきゃいけない」
カイはゆっくりと口を開く。
「俺たちが探している『七人目』は――」
その瞬間。
施設の床が大きく揺れた。
地下から、巨大な何かが起動する音が響く。
そして、床に巨大な文字が浮かび上がった。
《WORLD BOUNDARY : OPEN》
レンの右目が、赤く輝いた。
その視界の奥に――。
世界の外側が見えた。
そこに広がっていたのは、空でも宇宙でもない。
無数の世界。
無数のEden。
そして、その中心に立つ――。
レンと同じ顔の少年。
「……俺が、いる」
カイが呟く。
「違う」
レンは首を振った。
「俺じゃない」
少年がこちらを見た。
そして、笑った。
『やっと来たね』
通信越しではない。
確かに、この世界の外から聞こえた声。
『黒瀬レン』
『僕が――』
少年の目が赤く光る。
『本当の七人目だ』




