第20話 戦いの後
――魔族との激闘から一夜。
「……なぁ、野暮なことを聞くようで悪いんだが……一体何があったの?」
不思議そうに尋ねるのは、魔法使いのミルオ。
昨日、人間の少女に擬態した魔族の攻撃で重傷を負わされた彼は、自らの回復魔法で大事には至らなかったものの、まだ万全とは言えない。
そんな彼が疑問に思っているのは、目の前の男の姿だった。
確かに昨日の時点では、ほぼ無傷で試合に勝っていたはず。それなのに今は、敗退した自分より遥かに傷だらけの姿で闘技場へ現れている。
身体中、包帯でぐるぐる巻きになって。
「ミュールから何も聞いてないのか?――あいてて」
「ミュール……? 聞いてねぇよ……気づいたら居なくなってて、俺が寝てる間に帰ってきてた。……まさかあいつ、お前らに手を……?」
ミルオの脳裏に浮かんだのは、考えられる限り最悪の展開だった。
ヤバい奴なのは重々理解しているつもりだが、まさか闇討ちまでして、あのエルフに――。
「いやいや、違うって。確かにくせ者ではありそうだけど、そんな奴じゃないだろ。……なんて言えばいいかなぁ」
◆
――昨日の戦いの後。
「あ、そうそう。この際だからガレットにも伝えておくわね」
去り際、ミュールはふと思い出したように足を止め、自らの正体と、ここに至るまでの経緯を語り始めた。
「中央魔法協会って、大陸でも最も力のある魔法使いが集まるギルドじゃねえか。……変なやつだと思ってたけど、そういうことだったのか」
「ん? 変な奴って言ったかしら?」
「あ、いやあ……ははは。でも、なんでミルオには言ってないんだよ。相棒だろ?」
「綺麗に話をすり替えないの。――そうね、あなた達と同じかしら」
「彼は私がなにかやらかさないように、監視のつもりで同行してると言い張ってるけど……もう子供の頃からの付き合いだから、本音は聞かなくても理解してるつもり」
そう言うと、ミュールは再び踵を返す。
「隠し事は後ろめたいわね。ミルオは特に戦いが得意なわけでもないのに、どこまでも着いてきてくれるの。……そんな彼のことは、私も危険に晒したくないわ」
「……なんだ、いい奴じゃん」
「ええ、そうよ」
「あんたもだよ、ミュール」
その言葉に、彼女の足がほんの僅かに止まった。
「……ふふ。ありがとう」
「てことは、あれか? ミルオが回復魔法を修めたのも、もしかして……」
「ガレット! そんな野暮なこと聞かないの!」
隣で会話を聞いていたフィーリアが、すかさず割り込んできた。
「野暮ぉ? ここまで聞かされたら気になるだろ?」
「それでもダメなの! しっ!」
「えぇ?」
「ふふ。こういう所はエルフちゃんが一枚上手なのね。……出来れば私もそう思いたいけど、隠し事を続ける今の身じゃあ、そんな資格は無いわね」
背を向けたミュールの表情は、二人からは見えない。
それでも、その声の奥には、どこか寂しさが滲んでいた。
「きっとそうだよ! 気持ちわかるもん!」
その雰囲気を知ってか知らずか、フィーリアは背中を押すような言葉を投げかける。
「俺も同意見だぜ。信頼してるんだろ? 長い付き合いなんだ、話してみるのも悪くないと思うぞ」
「……ふふ、ほんとにおかしな二人。なんだか少し救われた気分ね。……あなた達の気持ち、ありがたく受け取るわ」
そう言うと、ミュールは自らの宿へ向けて歩き出した。
(煽るつもりが、煽られちゃったみたい……)
歩みを進めながら、ミュールは小さく苦笑する。
(それでも、やっぱり今はまだ――)
◆
ミュールが宿へ戻る頃には、夜の帳も薄れ始めていた。
東の空がゆっくりと白み、静まり返った街にも、少しずつ朝の気配が差し込んでいる。
――カタン。
部屋のドアを開けると、僅かな寝息が聞こえてきた。
「……こんな時くらいベッドで寝ればいいのに。まったく」
一人用の窮屈なソファ。
そこに身体を預けて眠っていたのは、ミルオだった。
先の試合で負った傷はほぼ塞がっているとはいえ、回復魔法は魔力の消費も激しい。肉体だけでなく、精神にも相当な負担が残っていることだろう。
それでも、彼はここにいる。
きっと彼なりに、彼女を見張っているつもりなのだ。
(俺がソファで寝る! ここなら気配でわかるからな!)
「……ふふっ。起きもしないくせに、監視になるわけないじゃないの」
物音を立てないよう、静かにソファへ近づく。
そのすぐ側にしゃがみ込み、窮屈そうに眠るミルオの手へ、そっと自分の手を重ねた。
温かい。
その温もりを確かめるように、ミュールはしばらく何も言わなかった。
彼女には、まだ言えないことがある。
いつか話さなければならない。
それでも、今だけは――。
「ごめんね、ミルオ。……もう少しだけ、待っててね」
囁きは、静かな部屋の中へ溶けていった。
握った手を離すことなく、ミュールはしばらく彼の寝顔を見つめていた。
◆
「まあ……あいつの隠し事はもう慣れっこだ。戦いのことなら器用なくせに、自分のこととなるとからっきしだからな!」
「……そっか」
文句を言うミルオだが、そこに憤りは全く感じられない。
(なんだ。ちゃんとお互い理解し合えてるじゃん)
歪なように見えた関係も、蓋を開けてみれば、ただ不器用なだけの二人。
互いを大切に思っているからこそ、言えないことがある。
(変な親近感の正体はこれか……やれやれ)
ガレットは少し笑って、ミルオの背中をパシッと叩く。
「ま、お互い頑張ろうぜ。大事な相棒のためにな」
「なんでそうなる……でも、そうだな。精々死なないように頑張るよ」
◆
それからしばらくして、闘技場に全ての出場者が集められた。
「諸君らの中にも気づいていた者はいると思うが――昨日の試合にて、ミルオ・ミュールの二名と戦ったアリスとエリスという双子の魔法使いについて話をしておきたい」
出場者の前に立つのは、ギルドマスター・レイヴン。
「簡潔に言えば、魔族がアリスという存在しない人間に化け、エリスという少女を操っていたというのが事の顛末だ。今朝、中央魔法協会の使者よりその魔族討伐の知らせが届いたわけだが……」
そこまで語ると、レイヴンは突然、深々と頭を下げる。
「申し訳ない。我々の管理能力の甘さが出た。魔族の接近に気づかず君たちを危険に晒したこと、心より謝罪申し上げる」
出場者たちの間に、ざわめきが広がる。
ギルドマスターが頭を下げていることもそうだが、皆、話を聞くうちに今回の事件に潜む問題へ気づき始めていた。
「あのぉ、頭を下げるのはええんですが、おたくのギルドは大丈夫でっか?」
重い空気を切り裂いたのは、一人の男。
完全に目が隠れるほど深いニット帽をかぶり、口元には不敵な笑みを浮かべている。
(なんだあいつ……変な喋り方しやがって)
ガレットは眉をひそめた。
「現在調査中だ。状況からして、他にも操られてエントリーを受諾した者がいるはずだ」
「ふーむ……」
男は顎をさすりながら、さらに言葉を続ける。
「ククッ。さすがにそこまで馬鹿じゃあらへんか。それなら良かったですわ……で、大会はどうしまんの? ワイらも暇やない、やるならやる、やらないならやらないでハッキリさせてくれまへんか?」
一切の遠慮なく畳み掛けるその様子に、ガレットは怒りを覚えた。
(知らないところで命懸けで戦った奴らもいるんだぞ――)
しかし、レイヴンは顔色ひとつ変えずに話を続ける。
「すぐには答えを出せん。――皆、聞いてくれ。この男が言ってくれたが、大会については皆も気になっているところだろう。そこで、今日一日を休養日にして、調査に使わせてもらいたい」
「それで何か変わりますのん?」
「変えてみせるさ。ただ、納得できぬ者もいるだろう。申し立てがあれば出場の取り消しも認める。皆も一日考えておいてほしい。無論、私としては明日以降の大会を盛り上げる力になってほしいと願っている」
レイヴンが真剣な眼差しで皆に思いを伝えると、男は頭の後ろで腕を組み、口笛を吹いた。
「本日はこれで以上とさせて頂きたい。――また、沙汰は追って通達する」
◆
「なんだよあいつ、ヘラヘラしやがって」
ガレットは歩きながら、先程の光景を思い返していた。
「そんなに怒らなくてもいいじゃん。言いたいことは分かるけど……あの人の言ってることも間違ってはないよ。こんなことになっちゃった以上、大会に出るのはリスクもあるしね」
フィーリアが宥めるように言うも、ガレットの苛立ちは収まらない。
「分かってるよ。……でも、俺たちだって命を懸けて戦ったのに――」
その時だった。
「おーい、お兄やん!」
背後から飛んできた、妙に軽い声。
――振り向くまでもない。
特徴的な喋り方と、あの不敵な笑み。
「……なんの用だよ」
「君、さっきから怒りっぱなしやなぁ。何をそんなに目くじら立てとるん?」
「なんか用かよ」
「用ってほどやない。さっきも言うたやろ? 何をそんなに怒っとるんやろなぁ、って気になっただけや」
彼に悪意がないのはガレットにも分かっていた。それでも今は、その軽さがどうにも癇に障った。
「いい加減にしろよ、お前」
「しないと、どうなりまんのん?」
わざとらしく首を傾げる。
その瞬間、ガレットの中で何かが切れた。
「ガレット! だめ!」
フィーリアの制止も届かない。握り締めた拳が、真っ直ぐにクインの顔面へと伸びる。
――だが。
「無鉄砲やなぁ」
クインが、ぽつりと呟いた。
「だから、魔族如きにそないやられんのとちゃいますの?」
「……ッ!?」
その言葉に、ガレットの意識が一瞬だけ揺らぐ。
――なぜ、こいつがそれを知っている?
考えるより早く。
バゴッ!!
視界が反転した。
「……え?」
気づけば、ガレットは地面に転がっていた。
何をされた?
殴られたのか、蹴られたのか。それすら分からない。ただ、身体だけが結果を理解している。
「ガレット!」
フィーリアが駆け寄る。
「堪忍してや、嬢ちゃん。……いや、姉さんか? ふっかけてきたんは、そっちの兄やんやで」
「そうだね。それは悪いことをしたと思うよ」
フィーリアはガレットを庇うように立ちながら、クインを見据える。
「……でもさ」
その声から、先ほどまでの柔らかさが消えた。
「なんの意味があって、ガレットを煽ったの?」
「おおっと。喧嘩したいわけちゃうねん」
クインは両手をひらひらと振る。
「ワイは、ただ挨拶したかっただけや」
「……挨拶?」
「せや」
クインは帽子の奥で目を細める。
「ワイの名前はクイン。言うまでもないやろけど、魔法使いや」
そして、ガレットとフィーリアを交互に見た。
「ワイな、決勝では絶対に君らと戦う気がしてるねん」
「……まだ大会が続くかどうかも分からないだろ」
ガレットが立ち上がりながら言う。
「せやからこそや。こういうのは、先に顔を合わせとくもんやろ?」
クインは、まるで明日の予定でも話すような気軽さで笑った。
「……あんだけ捲し立てておいて、決勝の話かよ」
ガレットは服についた土を払いながら、クインを睨む。
「よく分かんねえ奴だな」
「そもそも決勝って、僕たちだってまだ進めるかどうか分からないよ。それに、君たちだって――」
フィーリアが続けた、その瞬間。
――クインの顔から笑みが消えた。
「……それはない」
声は低く、静かだった。
先ほどまでの軽薄さが、跡形もなく消えている。
「ワイらは決勝までいく」
クインは真っ直ぐに二人を見据える。
「そんで、君らと戦う。それ以外は無いんや」
空気が、変わった。
「……ッ」
ガレットの背筋を、冷たいものが走る。
魔力を放っているわけじゃない。
それなのに――重い。
ただそこに立っているだけで、身体が勝手に警戒している。
(な、なんだこのプレッシャー……)
昨日、命を懸けて戦った魔族。
あの時に感じた恐怖とは、明らかに違う。
これはもっと純粋なもの。
「……面白いね」
隣から声がした。見ると、フィーリアが笑っている。
「そこまで言うなら、まずはお手並み拝見させてもらおうかな。明日の試合、楽しみにしてるね」
そう言うと、フィーリアは踵を返し、ガレットの腕を掴んだ。
「おお! しっかり見たってや! ほな、また明日なぁ!」
去っていく二人の背中へ、クインはブンブンと腕を振る。
最後まで軽い。
けれど、二人は理解した。あの軽さの奥に、とんでもないものが潜んでいることを。
◆
「お、おい! どうしたんだよ、フィーリア!」
闘技場を出ても、フィーリアはガレットの腕を掴んだまま歩き続けていた。
「フィーリア!」
「え?」
強めに名前を呼ぶと、ようやく彼女が足を止めてキョトンとした顔で振り返った。
「なんか、らしくないぞ。どうしたんだよ?」
「……武者震い、かな」
「武者震い?」
「うん」
フィーリアは、自分でも確かめるように胸元へ手を当てる。
「人間の魔法使いと手合わせすることは、今まで何度もあったけど……」
そこで、ほんの少しだけ笑った。
「こんなのは初めてだよ」
「……」
「間違いなく、クインは決勝まで上がってくる」
ここまでフィーリアに言わせる人間を、ガレットは初めて見た。
ついさっきまで、空気を読めない飄々とした奴――それくらいにしか思っていなかった。
けれど。
「俺にはよく分かんねえけど……でも、お前がそこまで言うなら、きっとそうなんだろうな」
「うん」
フィーリアは頷く。
その瞳には、いつもの好奇心とは少し違う光が宿っていた。
「僕も、珍しく確信めいたものを感じてる」
そして、ぽつりと。
「彼は……ここ何百年かで出会った魔法使いの中で、一番強い」
――そう語る彼女の顔は、まるで胸の高鳴りを抑えきれない子供のようだった。




