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2/14

入れ替わった真理とマリー・アントワネット

「もしもし? 遠藤さん? もしもし?」

道路に転げ落ちたスマホから鈴木マネージャーの声が聞こえた。


気を失っていた彼女はふと目を開けてスマホに目をやり、音声の元を確認する。


「きゃっ!」


近くを通りがかった男性が慌てて駆け寄る。


「どうしました? さっきの落雷、すごかったですね。

びっくりして腰を抜かしたんでしょう? 立ち上がれますか?」


親切な男性はそう言って、泥にまみれた彼女の体を起こそうと

優しく手を差し伸べた。


「あれ? 君、さっきのオーディションにいたよね」


「無礼者!」

彼女は男を見上げ、威厳がこもった声で返す。

「触らないでおくれ!」


「へ?」


男性は思わず差し伸べた手を引っ込めた。


「馴れ馴れしく触るなと申しているのです。私を誰だと思っていて?

私はフランス王妃、マリー・アントワネットなのですよ!」


「は?」


男は一瞬呆気に取られ、腹を抱えて笑った。


「ハッハッハ… 君、さっきのオーディションに来てたね。

終わったんだからもういいよ、今になってそんな名演技を

披露してくれなくても… ハハハ…」


ちょっと惜しいけどね、と思いながら彼女を見た。


黒いショートヘアでひょろひょろっとして、

マリー・アントワネットのイメージとは程遠い。

しかしこの態度にこの口調。いい線いってる。


「さっきのオーディションでそういう風に演じりゃよかったのに」


「オー…? 何のことです? 何をおっしゃっているのか

さっぱり分かりませんわ」


「くーっ、その言い方! まるで王妃様じゃないか!」


「はい?」


「先ずは立とうか。はい」


今度は右手を差し出すにとどめた。

女性がその手をじっと見つめているので、すぐに引っ込め、

改めて芝居じみた動きで試しに言ってみた。

「女王陛下、お手をどうぞ」


すると彼女は微かに頷き、差し出された手の上に

すっと自分の手を乗せて立ち上がった。


男は口笛を吹いた。

立ち居振る舞いは自分が描いていた

王妃マリー・アントワネットそのものだ。


「いやあ、こうすれば一発で決まったのに」


全然話についていっていないような表情。

絶妙な間の取り方。

どう見ても、下々の一般庶民という珍しき

生き物と出くわしてしまった気高き女王様じゃないか。

説得力抜群だ。


「ちょっと待って」


そう言って電話を取り出し、女性に背を向け、

しばらくぼそぼそと誰かと話した。


「――はい、すみません! ええ、そうなんです、完璧です。

ぜひ進めましょう! 令和のマリー・アントワネットが見つかりました!」


男性は通話を終え、女性に微笑んだ。


「おめでとう。君が令和ニッポンの王妃、

マリー・アントワネットで決まりだ!」


「は⁉ 先程から何を訳の分からぬことを言っているのです⁉

れいわ? ニッポン? 『王妃・マリー・アントワネット』ですって⁉

何という度重なる無礼! 『女王陛下』と正しなさい!」


男性は目をぱちくりさせ、プッと吹き出した。


「失礼いたしました。仰せの通りでございます、女王陛下。

つきましては我々の方であなたのマネージャーと

連絡を取らせていただきますね」


「…まねえじゃあ?」


まるで初めて耳にする言葉であるかのように聞き返す。

だが、男性の態度に納得いったのか、女性は頷く。


「分かればよろしいのです。拝見したところ、

あなたは遠い東洋の方とお見受けします」


「はい、ジャポネでございます」


「人の話を遮らないでいただきたい。それゆえ、我がフランスのエチケットを

ご存じないのでしょう。仕方ありません。今回は大目に見て差し上げます」


「おお、この上ない幸せ! 女王陛下、ありがとうございます!」



こうして売れない女優の卵、

遠藤真理のマリー・アントワネット役が決まった。



知らせを受けて鈴木啓人マネージャーはびっくり仰天し、

車を飛ばして駆けつけた。


すると、大森翔プロデューサーと遠藤真理は道端に座り、

嚙み合うような嚙み合わないようなやりとりをしていた。




真理。


マリ。


誰かが私を呼んでいる。


マリー…


マリー・アントワネット…


嫌味だ。

落ちたんだからほっといてよ!



「うぐっ」


私は飛び起きた。

強烈な悪臭と激しい窒息感に襲われながら。

気を失っていたようだ。


「ぐうっ! ゲホッ、ゲホッ! なにこれ、臭っ…」


鼻を突く強烈なアンモニアの匂い。まるで、何ヶ月も掃除していない

公衆便所に顔をぶち込まれたかのよう。


なぜか、子供時代を過ごした田舎の肥溜めが脳裏に浮かぶ。

これに比べりゃ高級な香水のようだ。


「おっ! いらした!」

「あそこだ!」

「女王陛下! こんなところで一体何を⁉」


何やら外野が騒がしい。顔を上げて辺りを見渡した。


ん? ここはどこ?


東京… じゃない?


青い空。輝く太陽。花々が咲き誇る美しい… 大庭園?

この悪臭を除けば。


息を止めよう。


「王妃様、お散歩されていたのですか?

この地区には汚物が溢れておりますので

避けてくださいとご忠告申し上げておりますのに!」


汚物? ああ、この悪臭のことか。

うっ、息を止めるにも限界がある。

マンマミーア! なんと強烈だ!


100人分の排泄物をまとめて発酵したような…

って、そんなモノがあちこちに散乱しているって、なんで⁉


ん?


ちょっと、私を支えている、このやたらと丁寧な女性、

ハロウィーンの仮装パーティにでも行くの?

髪の毛は後ろできれいなお団子。

白い綿の帽子みたいなのを頭に被り、ウエストをぎゅっと締めて、

その下は落下傘のように広がるロングスカート。

苦しそう。


そういえば私のおなかもかなりきつい。


見ると、私もコルセットみたいなやつでウエストギチギチ、

ボリューミー落下傘のドレス姿だ。


オーディションに落ちたショックでトチ狂って、無意識に衣裳部屋に入って

その辺にあったドレスを着てしまったのだろうか?


「女王陛下!」


7,8人の男女が血相を変えて走ってきた。

何かあったの?


「お怪我は?」

「大丈夫ですか?」


え? 私? 女王陛下って、私に言ってんの?


「お歩きになれますか? 失礼いたします」


いくつもの手が私の背中にまわり――

あーあ、右側の人、もろに肥溜めに浸かっちゃった。


私をそっと、しかししっかりと立ち上がらせ、どこかへ誘導していく。


…ちょっと待って。


目の前の、あれ。


あれって…

ベルサイユ宮殿じゃないの⁉


「マリー様、お気をつけあそばせ!」

「アントワネット様、早く中に入ってお着替えを!」


この人たち、私に話しかけているんだよね?


一体何が起こっているの⁉

一度冷静になろう。


私はオーディションに落ちて、帰り道に変な蟻に会った。

トラックに轢かれそうになってイケメンに助けられて、

その蟻がまた出てきて、願いを叶えてやるって言った。

「貴族ライフ」がどうとか…。


「…え? え?」


嘘。

あり得ない。


ほっぺを抓る間もなく、

私は言われたとおりに建物に足を踏み入れた。

低い階段を昇り周りを見渡すと、

そこは息をのむほどに豪華絢爛な部屋だった。


天井まで絵がどどーんと描かれ、金色の刺繍が施された壁、

巨大なシャンデリア。


いかにも貴族っぽい2人の女性が立っている。

羽のついた扇子でお上品に口元を隠して。

私を見るなり軽く膝を曲げてお辞儀した。

「女王陛下」と言いながら。


壁際の鏡が視界に入った。何気なく覗いてみた。


「は⁉」


思わず声が出た。


全面的に白い粉をはたいたような、

見事な金髪の縦ロール。

オーディション用に読み漁った資料で見た顔…

悲劇のフランス王妃の顔だ。


まさか…

私、本物のマリー・アントワネットになっちゃった⁉


そんなバカな。

あり得ない。


頬をつねってみた。

痛い。


ど、どうしよう⁉


「女王陛下? どうかなさいましたか?」


まずいよ、これ。


「誤解です! 私は21世紀の日本からやってきてしまった

者です」


なんて正直に言ったらどうなる?


1.女王陛下の気が触れたと思われる。

2.私が王妃を消した犯人にされて捕まる。


この時代って確かギロチンがあったはず。

ということは… 打ち首⁉


いや、落ち着け。

私は遠藤真理。

マリー・アントワネットの役が欲しかった

役者に過ぎない。

たまたまこの時代に来てしまっただけ…

そう、あの変な蟻に会ってから。

そうだ、あの蟻を見つけて

元の世界に戻してもらわなくては。


隙を見てさっきの庭園に行って探そう。

それまでは誰にも怪しまれずに

マリー・アントワネット役を演じるしかない。

オーディションで落とされたけど、

それはさておき。


周囲はみんな私を怪訝そうな目で見ている。

ええい、ままよ。


「今日の女王陛下、なんだかご様子がちょっと…

変ではございませんか?」


煌びやかなドレス姿の貴族が厭味ったらしく言う。


ぐ。


マリー・アントワネットならどう応える?


考えろ、真理。


「さ、さようでございますか?

冷たい風に当たりすぎたせいかしらね。ホホホ」


「…外は寒かったですか? 今日はかなり暑いように思いますが」


冷や汗ダラダラで、暑いか寒いかなんてわかんないよ。


「散歩中にふらつきましたの。風邪気味なのかも知れませんわ」


「まあ、それはいけませんわ。お休みになった方がよろしいのでは?」

「そ、さようでございますね。そうさせていただきますわ」


セーフ。かな。

苦し紛れの言い訳だけど、何とかいけたんじゃない?


先ずは情報整理をする時間が必要だ。


本人になりきろうと頑張った事前リサーチが、

まさかこんなところで役に立つとは、

人生何があるか分からない。


あの蟻を探しに行くのはそれからだ。

今はとにかく王妃役を完璧に演じるしかない。


だって、私は今、なぜかマリー・アントワネットなのだから。


そもそも長野の片田舎から出てきた私に

そんな生活は想像すらできない。


でも、どうせ誰かに成り代わるのなら、

人々が傅く身分の高い女性、

国のトップになってみるのも悪くないかもしれない。

期間限定であれば。


そのためには、先ず心の準備だ。


「すぐにお付きの者を呼びなさい」


ド派手ドレスの貴族が私の後ろに控える使用人に命令した。

なるほど、貴族=偉い。

使用人=しもべなのね。


そしてそのトップに君臨するのは私。


これは舞台どころではない。

ベルサイユのリアルに

来てしまったようだ。



寝室に案内されると、そこもまた、

溜息が出るほど贅沢な空間だった。

天蓋付きのベッドに、壁一面の美しいタペストリー。


「皆様、下がってよろしくてよ。一人で静かに休みたいの」


おお。

使用人たちは一斉に頭を下げて部屋を出ていった。


ふう、と深く息を吐き、ベッドになだれ込む。


狙っていた王妃役。ガチでやることになってしまった。


でも大丈夫。私は女優。

ギロチンの運命がやってくる前にちゃちゃっとあの蟻を見つけて

2026年日本に帰ってやる。


「やってやろうじゃないの。崖っぷち女優の底力、見せてやる!」

誰に、かわからないけどね。


というわけで、マリー・アントワネットとしての、

私の新しいサバイバルが今、始まった。


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