【完】54 百日紅の誓い
「そんなことがあったのね」
来国光の思い出話を聞き終えた玉藻が言った。
「この話、藤倉さんに聞かせるの?」
『じゃのう、どうすべきかのう』
「聞こえてるぜ」
玲奈の泣きそうな声が縁側に響いた。
「そうね。邪斬さん、念話の声が全開だったわ……」
『む……』
「ごめん、ボクも聞いちゃった……」
いつの間に起きたのか、浴衣姿の剣奈が居間のドアに立っていた。邪斬・来国光と結紐でつながっている剣奈である。来国光がかなり意識して遮断しない限り、剣奈には来国光の言葉はまる聞こえなのである。
「クニちゃの昔話、初めて聞いたよ。前は「うう、頭が……」なんて言ってたけど、覚えてたんだね?」
『すまぬ。ワシの過去は重い話が多くての…… 出会ったばかりの剣奈に聞かせる話ではないと思うたのじゃ』
「だからなの?和歌山でも、ずっと黙ってたよね」
『うむ。ワシにとって思い出多き土地だったこと、そして邪気に囚われし時の玲奈殿のことじゃったからの。どう切り出そうかと迷おておったのじゃ』
「あらあ?玲奈さんがさらわれてから、ずいぶん経つわよ?どうして黙ってたの?」
玉藻が邪斬を横目で見ながら聞いた。静かな言葉の中に、明らかな怒気が含まれていた。
『すまぬ。あの時の黒き怪異(黒女)は、ワシらが会うてすぐ逃げ出したでの、再び久継闇原村で玲奈殿を取り込んだ黒女と出会うまで、確信が持てなかったのじゃ。そしてすぐ闘いになって、玲奈殿を救出したじゃろ?言い出す機会がなかったのじゃ。すまぬ』
「いいさ。アタイが何もできなかったのは、事実だしな。数えきれないくらい、多くの女を食らったぜ?アタイはそんな穢れた女なんだよ……」
玲奈が暗い目をして言った。そんな玲奈を藤倉はそっと抱きしめた。
「「君が」じゃない。「君に取り付いた邪気が」だよ」
藤倉は再び、さっきと同じ言葉を言った。
チリン
風鈴の音がなった。静けさの中、赤い百日紅の花が、再び風にザザァと揺れた。
「罪のないものなど、誰もいないよ?我々は命を食らわないと生きていけない、罪深い存在なんだ。俺たちは空気を吸い、コメや野菜を食らい、肉を食らう。身体の中で、空気の中の小さな生き物を殺してる。植物や動物の命をいただいてる。おんなじように、邪気も、生きるために星や人の命を食らっている」
「そうね」
玉藻が息を吐きながら同意した。
「命を取られる側にとっては、人は敵だし…… 我々の住む地球の寿命を食らい、我々自身を食らう邪気は、俺たちの敵だ」
『じゃのう』
「玲奈、君は『邪気が人を食う』、それを見せつけられただけなんだ。それにいったい、何の罪がある?罪があるとしたら人を食らった邪気であり、君の魂を取り込んだ邪気だよ。君は被害者であって、加害者じゃない」
「アタイが…… 被害者……」
ヒュウ
風が吹いた。玲奈の瞳から、涙が一滴こぼれ、風に吹かれて宙に飛んだ。涙は、深紅の百日紅の花の方へ、一筋の糸のように、細く流れていった。
「アタイが…… 被害者…… でも、アタイはずっと女の子たちの悲鳴を、聞き続けたんだ。あの子たち、いつも泣いてた。アタイは…… 何もしてやれなかったんだ」
「何もできないことは、罪じゃないよ!」
剣奈が真剣な目をして口を開いた。
「ボクだって、黒犬から逃げた。何もできなかった。だからこそ、強くならなきゃって思ったんだ。何もできないことは罪じゃない。逃げることは罪じゃない。でも嫌なんだ。心が痛いんだ。逃げたくないんだ。助けたいんだ。だから!ボクたちは、強くならなきゃいけないんだ。そしたら、逃げなくて済む。そしたら助けられる」
「ははは。オメエは単純でいいなぁ」
玲奈が優しく微笑んで、剣奈を見つめた。
「ほら。来い」
剣奈はそっと玲奈の横に足を運び、ストンと座った。そして、そっと上目遣いで玲奈を見つめた。
ガシ
玲奈はそんな剣奈を抱きしめ、頭をごしごし撫でまわした。
「オメエの言うとおりだ。強くなんねぇとな。救えなかったあの子たち、決して忘れねぇ。そして、アタイは強くなる。強くなって、今度こそ逃げねぇ。絶対助ける」
「うん!」
玲奈の瞳に光が戻った。玲奈は庭の百日紅を見て、静かに笑った。
「百日紅の花言葉、「雄弁」「愛嬌」「潔白」か。全部、アタイに無えもんばっかだ。けど、アタイは、前を向くぜ。やられっぱなしだったあの頃とは違う。見てるだけだったあの頃とも違う。そんな自分になんねぇとな」
玲奈は遠くを見つめながら、虐待され続けた幼少期、そして怪異と化した数百年を、静かに思い出していた。
彼女の心中に猛烈な感情がこみあげてきた。幼少期に親から受け続けた理不尽な暴力、救いと思った相手からの搾取。それらに対する「怒り」と「悔しさ」。
「あのとき誰も助けてくれなかった」という、世界への「絶望」と「孤独」。
自分は愛される価値がないのではないと、刷り込まれてきた「自己嫌悪」と「劣等感」。
数百年もの間、人の惨劇を見せつけられながら、止められなかったことへの「罪悪感」と「恥」、「うしろめたさ」と「無力感」「届かなかった声」「無意味だった警告」。
自分が喰らったんじゃないと、頭では分かっていても、消えない「加害者感」と「恐怖」。
自分でもどうしようもない感情の渦にとらわれ、玲奈は顔面蒼白になり、ガタガタ震え出した。
しかし、震える玲奈を藤倉がそっと抱いた。剣奈がギュっと彼女の腰にしがみついた。玉藻は優しく玲奈の頭を抱いた。
震えは止まらなかった。けれど、藤倉や剣奈、玉藻に受け止められたことで、じわじわと「安堵」と「救われたいという願い」が、玲奈の胸に広がっていた。
「二度と同じことを繰り返させたくない」「自分と同じ目にあう子を救いたい」「救える限り救いたい」。
玲奈の心に、そんな感情がじわじわと生まれ、心にしみ出していた。
「フフフフフ。ルラ、ラララ……」
「藤倉ぁ、テメェ、苦労するぜ?アタイなんかを捕まえてたらよ」
玲奈が藤倉に悪態をついた。しかし、その声は…… 甘かった。
「いいさ。そんな苦労なんて、いくらでも分かち合うよ。だって……」
藤倉は震える玲奈を抱きしめ、耳元でそっと囁いた。
「あなたを信じてる。俺は、いつまでも、あなたを愛してる……」
チリン
庭の風鈴が小さく鳴った。玲奈の震えはいつしかおさまっていた。玲奈は藤倉を抱きしめ、口づけを返した。彼女の眉根は寄せられ、瞳は固く閉じられていた。
剣奈は頭の上で起こっていることを理解せず、ただぎゅっと玲奈に抱き着いていた。玉藻はそっと手を放し、にこやかに玲奈たちの様子を眺めていた。
「アタイは生きなきゃな。生きていてもいいって思えるまで、みんなを救わなきゃな。勉強もする。大学も行く。千剣破母さんみたいに、多くの人を救えるよう。剣奈みたいに、邪気を少しでも浄化できるよう……」
玲奈は再び顔をあげた。その顔に月の光は優しく降り注いでいた。赤い百日紅の揺れる中、決意を込めた女の顔は、とても美しく輝いていた。
完




