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黒女の哭音が聞こえる ~拐かしの隠れ里~  作者: 夏風
一章 震災の轟音が奪う人の道 希望と絶望、虐待と搾取

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5/18

5 轟く音、阪神淡路大震災と喪失の朝

 ルラララ ルララララ 


(アタイが生まれた町、神戸市長田区。昔はゴム工場の町だったんだとさ。しみついた機械油の臭い、溶けたゴムの臭いが混じり合って、なんとも言えない独特の臭いが町を包んでいたんだと)


 当時の長田では、朝になり、立ち並ぶ小さな町工場のシャッターが開くと、鉄と油の混じった重い空気が流れ出した。やがて、どこからともなくソースや揚げ物の匂いが漂っていた。

 

 生活と仕事が混ざりあい、人の汗の匂いが染みこんだ、そんな町。


 アタイのクソ親父、竜作も、そんな空気の中、モノづくりに向き合う一人だったんだと。


 金属を削る音、油煙を含んだ重たい空気。独特の長田の臭いをかぎながら。

 

 クソ親父も、昔は希望にあふれてたらしいぜ?でもよ、地震がやつの人生を、すっかり変えちまったんだと…… 


 いろいろ苦労して、幸せになろうって頑張ったらしいぜ。でも、ことごとくうまくいかなかったんだとさ。けどさ、だからと言って、それをアタイにぶつけられてもね……

 

 ―――― 一九九五年(平成七年)

 

 玲奈の父、牛城竜作(うしきりゅうさく)は、神戸市長田区の町工場で働いていた。彼は地元の中学を卒業後、すぐに近所の川口金属工業で働きはじめた。

 

 川口金属は、ケミカルシューズ製造に使われる金属部品の下請けをしていた。社長の川口勝三は長田生まれ、叩き上げの金属加工職人だった。

 

 川口は粗野なところはあったが、情に厚い人だった。いい加減な仕事をすると、拳骨が落ちた。スパナが飛んでくることもあった。


「仕事はちゃんとせなあかん。手ぇ抜いたらあかん」

 川口の口癖だった。川口は空襲や戦後の混乱の中で育った。戦後、近所の町工場で修業し、やがて自分で小さな工場を立ち上げた。

 

 川口の仕事ぶりは確かだった。彼は丁寧に金属を削り続けた。彼の確実な仕事ぶり、確かな品質精度で削り上げられた製品、期日通りの納品により、着実に実績を築き、評判をあげていった。

 

 自ら営業を行わなくても、発注先が川口を尋ねてきた。従業員や下請け仲間は、川口を「オヤジ」と呼んで慕った。


「営業なんて必要ないんや。ちゃんとお天道様に恥じへん仕事しとるだけでええんやで?そしたら仕事は勝手にくるんや。色気出したらあかん。余計なこと考えたらあかん。良い仕事だけしとったらええ」

 川口の口癖だった。

 

 竜作は川口の背中を見て育った。川口は竜作の憧れだった。彼はひたすら川口をまねた。竜作は、毎日、旋盤やフライス盤に向かい、油まみれになりながら、黙々と金属を削り続けた。


「おお。ええ仕事するようになったのぉ」

 川口は竜作の筋が良いと褒めた。竜作は独立して自分の町工場を持つのが夢になった。良い仕事をしていれば、注文は黙っていても転がり込んでくる。竜作は知らず知らず、その職人気質が叩き込まれた。


 当時の神戸市長田は、住居と工場が混在する工場集積地だった。小規模な町工場が密集していた。彼らは横のつながりが強く、分業協力が盛んだった。

 

 この分業ネットワークが長田のゴム・靴産業を支えた。どの工場の誰が、どんな仕事が得意で、どんな仕事振りか、その地域のものであれば誰もが知っていた。仕事は口コミで、舞い込んできた。

 

 川口金属の給料は安く、忙しさのわりに生活は貧しかった。しかし竜作は自分の仕事に自信を持ち、将来を夢みて充実した毎日を送っていた。


 

―――― 一月十七日

 

 一九九五年一月十七日、午前五時四十六分。正月明けの、暗い冬の朝だった。


 ドーン グラグラグラ

 ミシミシミ バキバキバキ

 

 突然、地面が突き上げられた。轟音とともに、一気に大きな揺れがきた。


 長田の町は突然、激しい揺れに襲われた。

 

 竜作は驚いて跳ね起きた。凄まじい音が響いていた。古い木造アパートが恐ろしいほど揺れていた。竜作は慌てて外に出た。その瞬間、アパートが崩れ落ちた。


「うおぉぉ」

 周囲の町工場の外壁が、あっけなく崩れていった。竜作のアパートは、住居と工場が混在して密集する場所だった。地震で工場や家屋がどんどん倒壊していった。そこらじゅうで叫び声や悲鳴が響いていた。


「い、いったい何が……」

 長年住み慣れた古い木造アパートは、轟音とともに無残に崩れ落ちた。一階が潰れ、二階の部屋や廊下も、瞬く間に瓦礫と化した。土埃が舞い上がった。竜作はそれをぼうぜんと見ていたが、はっと我に返って叫んだ。


「お、おやじ!おふくろ!」

 竜作が叫び声をあげた。しかし返事は返ってこなかった。周わりの工場や古い住宅は、どんどん瓦礫に変わっていった。


 人々の叫び声、悲鳴が響き渡っていた。竜作はあまりの衝撃と恐怖に動けず、ただただ、目の前の現実に圧倒されるばかりだった。


「ちくしょう!」

 竜作は呼吸を整え、瓦礫の中に足を踏み入れた。ホコリっぽい匂い、そして油の臭いがした。遠くに赤い炎が見えた。工場の倒壊による、鉄板のひしゃげる音が、あちこちから聞こえた。助けを求める声も、あちこちから聞こえてきた。

 

 竜作は、割れたガラスや古新聞、油缶を踏み分け、アパートの瓦礫に踏み入った。震える手で口元を押さえ、必死に現実を受け止めた。


「おやじ!おふくろ!」


 竜作は、崩れたアパートの瓦礫の隙間に、懸命に叫び続けた。

 

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