49 贄の訴えと男たちの笑み 霧の洞窟
翌朝、雅は思い詰めた顔をして、桐の箱を開けた。箱には白い刀袋が収められていた。雅は刀に向かって深く平伏した後、刀袋の紐をほどいて短刀を取り出した。拵は黒漆仕上げで全体的に質実剛健な趣だった。
雅はしゅるりと短刀を抜いて朝陽に照らした。
平造りのすっきりとした短刀だった。地鉄はよく詰んだ板目に柾がかり、澄んだ冴えがあった。刃紋は明るい直刃を主体とし、刃先にわずかに小互の目があった。切先は小丸帽子となり、その小丸の内側に、木の年輪を思わせる刃紋が幾重にも巡っていた。
無銘だが見事な大和伝の短刀だった。邪を払う短刀との言い伝えがあり、たきが嫁入りの際に嫁入り短刀として持参したものだった。
雅は短刀を刀袋に入れ、大切にリュックに入れた。目の下にクマができていた。まぶたは赤く腫れていた。しかしその目は、なにかを覚悟したような、思いつめたように強く、けれど不安定に輝いていた。
昨日の祖母の話から雅は今夜、戸津井鍾乳洞で儀式が行われること、そして儀式の中で京子が贄として闇神に捧げられることを確信していた。
雅は静かに廊下を渡っていった。慎重に、足音を板に吸い込ませるように静かに。見つかったら止められる。その確信があった。危険なのはわかっていた。それでも、行かねばならない。誰にも頼れず、胸の奥に勇気を振り絞って歩き始めた。
遥と静には連絡しなかった。言えば彼女らも付いてくると言うにきまっていた。けれど危険なことなのだ。彼女らを巻き込むわけにはいかなかった。
椛乃への連絡は迷った。剣道初段の確かな腕前だということは知っていた。いや、昇段試験に彼女が落ちるはずはないので、今は二段になっているはずである。
本音を言うと彼女の助けが欲しかった。 しかし、京子消失事件に、彼女の責任はない。椛乃を巻き込むことは、やってはいけないと思った。
そうして一晩延々と思い悩んだ末、雅は、一人で戸津井鍾乳洞に行くことを決めたのである。
彼女はぶらくり丁を経て、国鉄東和歌山市駅から、濃黄色(黄かん色)に青ラインが入ったディーゼルカーに乗車した。車内は木造の床張りで、ストーブが置かれていた。列車が動き始めた。一時間弱ほどの乗車で彼女は広川駅に到着した。
雅は広川駅からボンネット型の和歌山県営自動車に乗車し、戸津井鍾乳洞入口で降りた。太陽が沈み始める時刻だった。彼女は鍾乳洞に向かって歩いていった。周りの木々が微妙にぼやけたような気がした。
(泣きすぎたし、寝不足やもんな。なんや景色、二重にぼやけて見えるわ)
雅は気を引き締めて戸津井鍾乳洞を見つめた。夕陽が山影に溶け、世界はゆるやかな紫色に沈んでいった。足元に淡い霧がせり上がり、冷たい空気が肌を撫でた。海から潮騒の音が聞こえてきた。鍾乳洞の口は暗く開け、ナニカを誘い込むような気配を漂わせていた。
ゴクリ
異様な気配に雅は思わずつばを飲み込んだ。知らず知らず膝が、がくがくふるえていた。雅はギュっと目をつぶり、道から見えない様に岩陰にしゃがみこんだ。そして両肩を強く抱きしめた。
――――
「ほほう。ええ獲物がかかっとるのう」
「い、痛い…… なんでこんなことするん?縄ほどいて」
「ああ、ほどいたるわ。傷物なったら困るさかいな」
少女はくくり罠で片足をくくられ、高く持ち上げられ、逆さ吊りになっていた。一人の男が木に登り、少女の足首の縄をウメガイ(山の民族の伝統的な小刀)で切った。
ドサッ
落下する少女を、下で待ち受けていた男が抱きかかえるように受け取った。男の手は節くれだっていた。男の腰にもウメガイが装着されていた。男は舐めるような視線で少女を見た。
「まぁ、痣になっとるし、すれて血じょっと滲んどるけど、骨はだいじょうぶじゃ」
「あ、あんたら誰なん?なんでこんなことすんの?縄ほどいてぇや!」
「前の器が壊れかけとってなぁ。新しい器ほしい思うとったところや。ほんならお嬢さんがたがうちの村さがしちゅうことやったし、村に迎え入れたろか思てな」
「わ、私は村に入りたい思て来たんちゃうんよ。それやのに、村に迎えてくれる言うて、こんなきついことしよるんは、ありえへんわ」
「ひとりやったら、大人しゅう連れてきたんじゃがな。四人やったさけ、はぐれんように気ぃつこうたんじゃよ」
「獣に使う罠を人に使うなんて、ありえへんやんか」
「いや、それはほんま獣用やで。お嬢さんらが熊にやられんよう、罠を仕掛けてあったんや。ふつうに道、歩いてたら、かからへんはずやったんやけどな」
京子は唇をかんだ。確かに道から足を踏み外したのは自分である。しかしこの男たちは「狩りをする」と言っていたのである。しかも前後から挟み撃ちにしながら罠のある小道に誘い込んだ。明らかに意図的だった。
しかし…… それはあくまで状況証拠に過ぎない。なにを言っても反論されるにきまっていた。それどころか逆上されて、暴力を振るわれるのが怖かった。京子は男たちの話に乗ることにした。
「器って、いったいなんのこと?」
「器は器や。うちら、よそとあんま付き合いないさけ、村ん中でばっかり結婚しとったんよ。ほしたら、だんだん変な子ばっかり生まれるようなってな」
「器って……」
「そや、子ぉ産んで育てる器ちゅうこっちゃ」
「そんな、人を道具みたいに……」
「そら知らん。けど、うちらの村じゃ昔からそう呼んどるんや」
「わ、私はまだ高校行っとる身やよ。結婚なんて、まだまだや」
「そうかのう。お嬢ちゃんより若い子かて、子ぉ、いっぱい産んどるで?」
「私はまだ学生なんや。頼むし、卒業するまで待ってくれへん?」
「いや、うちの村来たら、学校行かんでもええさけな」
「そんなん、あかんやろ…… それ、誘拐や、犯罪やんか!」
「犯罪言われてもなぁ、むかぁしからずっと、うちの村はこんなやり方しとるんや」
もう普通の生活には戻れない。京子は絶望の気持ちで心がいっぱいになった。胸が不規則に震え、喉が狭くなった。指先がじんじんした。耳鳴りの向こうに、自分の名を呼ぶ気配がかすかに聞こえた気がした。
やがて世界は墨のように黒く沈み、意識はしじまの底に沈んでいった。彼女の瞳から涙がこぼれた。小さな光の粒は瞼を離れ、遠い空にのぼっていった。
「ほう、この娘、気ぃうしないよったで」
「都合ええわな。おとなしゅうなったら扱いやすいさけ」
「ほかの三人の娘っ子は、どないしよったかいの」
「見えんようなってしもた。結解の外に逃げてったんやろ」
「そら惜しいことしたなぁ」
「まあ一人捕まえたら十分や。毎年子ぉうんでもろたら、二十人くらいは外の血が入った子どもできるさけ」
「ほんまやな」
「そんだけおったら、しばらく村ん中だけで回しても、困らへんがな」
「ほんまやなあ。これは闇神さまにお礼言わなあかんな」
「ちょうど明日が新月やで」
「ほたら、まさに闇神さまのご加護やな」
「まったくや」
男たちは笑いながら京子を肩に乗せて歩いて行った。彼女の両手・両足は、逃げられないように、縄で緊縛されていた。
意識の底で、彼女は「たすけて」と、誰にともなく祈っていた。どこか遠く、微かな泣き声と、歌のような声が聞こえた。そんな気がした。
京子は捕らわれた獲物になってしまったのである。贄に……




