43 地図にない村 無視された忠告
町役場に入った四人は、玄関ホールで「受付」と書かれた窓口を見つめた。受付の奥は大部屋で、「庶務係」「税務係」「住民係」「農林係」などの札が、机上に立っていた。
「えっ?どこに声かけたらええんやろ」
「庶務ちゃうし、税金でもないし、住民でも、農業でもないなぁ」
「えーー?」
「お嬢さん方、どうされましたん?」
受付の前でキャアキャア騒ぐ女学生たちを見かねて、年配の女性事務員が声をかけてきた。津村雅が取り澄まして尋ねた。
「地図にのっていない村のこと、お伺いしたいんです」
「地図にのってへん、言わはるんは?」
「久継闇原村いう村が、この近くにあるって、うちの祖母から聞いてきたんですけど…… ご存じありませんか?」
ピキン
久継闇原村、その名前が出たとたん、ざわざわしていた役場の中が一瞬、静まり返った。しかしすぐに何事もなかったようにざわめきが戻った。
「おばあさまから聞いてきはったんですね。山ん中の村やったら、森林とか田んぼとか、字の名前よう知ってる係がおりますさかい、いま呼んで来ますわ。そこの椅子に掛けて、ちょっと待っててくださいね」
女性は一瞬眉をひそめ、それから役場の奥の方へと振り返った。
「三浦さん。ちょっと、ええですか?」
帳場の向こうで、書類に目を落としていた四十前後の男が顔を上げた。がっしりした体つきだった。三浦と呼ばれた男は、ペンを置いてゆっくり立ち上がった。
「なんや?」
「この子らな、久継闇原村いう村、知ってるかって」
女性が軽く顎で少女らをさし示した。男はその名を聞いた瞬間、わずかに目を細めた。しかし、すぐに何事もなかったように歩きだし、受付の横手から廊下に出てきた。
「おう、お嬢さん方。久継闇原村、言うたか?」
遙が地図を慌ててひろげた。
「はい。熊野から裏高野に抜ける道沿いに、霧の日だけ現れる村やって……」
「はは、霧の日だけ現れるて、またえらいとこ探しに来たなぁ」
三浦正一は口元をゆがめて笑い、若い女学生らの顔を順に眺めた。
「まあ、とりあえず、ここ座り。ちょっと地図、見てみよか」
三浦は廊下脇の木の長椅子を顎で示した。少女たちが並んで腰を下ろすと、三浦は受付脇の戸棚に向かい、分厚い地図帳を二冊と、背表紙の色あせた布張りの台帳を何冊か引っぱり出してきた。
「ようけ歩いてきたんやろ。ほな一緒に見てみよか。……迷うてしもたら、かなわんからな」
三浦は地図帳を膝の上に広げ、指先で有田川の筋と支流、それに沿うように並ぶ集落の名をたどっていった。
「ここが藤並で…… ここが清水や。ほれ、杉野原とか上湯川とか、山の中の小さい集落も書いとる」
少女たちが身を乗り出して地図を見つめた。若い女学生に囲まれて、三浦はどぎまぎした。
「久継闇原、って名前は……」
「ちょい待ちや」
三浦は高まる胸の鼓動を抑え、地図帳を押さえたまま、片手で台帳の紐をほどいた。そして古びた紙束をぱらぱらとめくった。そこには地番と字名が細かい字で、びっしりと書き込まれていた。
「字名やと、「久野原」「西原」ちゅうのはあるけどな。「久継闇原」いうんは、ここには載っとらん」
三浦は指先で紙面をパンと叩くと、顔を上げた。
「お嬢さん方、そん村、誰から聞いた?」
「祖母です。熊野から裏高野に抜ける「隠れ道」の途中にある、て」
「隠れ里、か……」
三浦はため息をつき、視線をさまよわせた。
「まあ、そういう話は、うちのばあさんもしてたわ。「真っ黒い神さん祀っとる村が山の奥にあってな、霧の日にしか辿り着けん」、とか」
少女たちの目が輝いた。
「ほな、やっぱり何かあるんですね!」
「おいおい。そやけど「でったい行ったらあかん。命、落とすで」って言われたで?」
三浦は苦笑まじりに、右手をひらひら振った。
「迷信は迷信や。けどな、山ん中は甘く見たらあかん。道、一本まちごうたら、ほんまに戻れんようになる。年寄りの話も子供らに山の怖さを教えるためやろ。お嬢さん方、そんなとこまで行くつもりなんか?」
「はい!もちろん、気ぃつけて行きます」
京子がそう言うと、三浦の表情が険しくなった。
「「気ぃつける」言うんはな、帰ってこられてから初めて言えるんや。遭難するで?笑い話やのうてな」
少女らは三浦の剣幕に思わず息をのみ、顔を見合わせた。
「この辺の村と山道のことなら、だいたいはこの台帳に出とる。せやのに「久継闇原」はどこにも書いてない。いうことはやな…… 少なくとも、今、清水の役場が面倒見てる「村」やないっちゅうこっちゃ」
三浦はそう言いながら、地図帳をぱたりと閉じた。
「お嬢さん方。興味あるんはわかる。やけどな、話が「よそもん」の領分になってきたら、うちら役場がどうこう言える筋合いやない世界や」
少女たちの初々しい熱に押されつつも、三浦の目には確固たる確信と心配が混じっていた。
(久継闇原いう名も、その周りを巡るいやな噂も、まったくの作り話やない。ほやからこそ、なんとかここで「危ないからやめとき」と言い切って、彼女らを町に引き返させたい)
まぼろしの村探索に夢中になっている四人の少女たちである。三浦の心配は全く届かなかった……




