38 戦後復興のぶらくり丁 和歌山のお嬢さん
昭和三十年二月、一人の女学生が和歌山市内の商店街を歩いていた。厚手のウールコートの下に、襟と袖に白いラインの入った紺色のセーラー服が見えた。
和歌山市内在住の人なら、彼女の通う学校はすぐに分かっただろう。彼女は和高女院(和歌山県立和歌山高等女子学院)の女学生である。戦前は独特のえび茶色の袴で有名だった。
和高女院は一八九一年(明治二十四年)、和歌山県初の高等女学院として創立された全国で六番目の公立女学院である。県下最上位の女子進学校であり、お嬢さん才女の通う学校として知られていた。
――憧れの和高女院。
和高女院一年生の雛川椛乃は、上機嫌でニコニコしながらぶらくり丁商店街を歩いていた。
ぶらくり丁は和歌山の中心にある商店街である。江戸時代、和歌山城下の大火(一八三一年・天保元年)の後、復興の一環として商人が集まり、京橋から北に延びる大手通り沿いに商店街が形成されたと伝わる。店先にぶら下げた商品がぶらぶらし、買い物をする客がぶらぶら歩くことから、いつしかそう呼ばれるようになった。
椛乃はぶらぶら歩きながら、のんびりとした雰囲気を楽しんでいた。商店街の両脇に、間口の狭い店がぎっしりと並んでいた。彼女はこの商店街が好きで、よく買い物をしていた。店の店主らは、彼女と顔なじみになっていた。
「ほれ、今日は新鮮な鯛やで!これ見てみ、とれとれや!」
「椛乃ちゃん、ええ野菜揃ったで。きょうは安うしとくわ!」
「おっ、椛乃ちゃんかい。学校はどや?お父さんにはいつもお世話になっとるわ」
「美味しそうね!でも、今日はお買い物、頼まれていないからまた今度ね」
「おう。楽しみにしとるで」
魚屋や八百屋の賑やかな掛け声が、椛乃の心を浮き立たせた。乾物屋の匂いが香ばしかった。菓子屋や駄菓子屋からは、子供たちの笑い声が響いてきた。
店々の軒先には色とりどりの品々がぶらくって吊るされていた。店の主人たちは顔を覗かせ、道行く人々に挨拶を送っていた。道には和服姿の婦人たちが、慎ましく立ち話をしていた。車夫がリヤカーを押して通り過ぎていった。
あなたと見る花 静かに揺れて
小さな幸せ そっと数える
笑顔を忘れず この街で暮らす
明日もきっと 陽は昇る
不意に路地奥から、島田千代子の「この世界の花」の歌声(※歌手・歌詞:作者オリジナル)が聞こえてきた。戦争でたくさんの人が死んだ。そんな焼け野原になった街がどんどん復興し、日が昇る。歌を聴きながらそんな事を思いつつ、椛乃は相棒の「邪斬・来国光」に念話で話しかけた。
『見たまえ邪斬君。日本が戦争で敗れてわずか十年しかたっていない。人々は笑い、活気にあふれている。実にたくましいものだよ』
『じゃのう。人は実にたくましい。戦の傷は深かろう。しかし、人は陽を見上げて歩みを止めぬ。街のみなは笑い、汗を流し、家族を慈しむ。皆それぞれの営みを大切にしておる。時に手を貸し合い、幸せに暮らしておる。げに人とは強きものじゃな』
――――
邪斬・来国光、意志を持つ霊刀である。一三三〇~一三三五年頃(鎌倉末期~南北朝)、刀匠来国光は、「地脈に巣食う邪気が、大地に瘧を呼ばんとしている。精魂込めて聖なる短刀を打ち、天土に供え、邪気を滅っせよ」との神託を受けた。
来国光はこの神託に従って、寝食を忘れて刀を打ち、天土に奉納した。その時、ひとまず邪気は薄らいだ。しかし邪気の浄化は足りなかった。
一三六一年(康安元年・正平十六年)の六月二十四日、暁寅刻、大地は激しい瘧(地震)に襲われた。山城、大和、摂津、河内など広い範囲で多くの被害が出た。後に言う康安地震(あるいは正平地震)である。
多くの人が地震で命を奪われた。はたして神の意思なのか、亡くなった大勢の人の無念の意思がそうささせたのか、その時、奇跡が起きた。奉納されていた邪斬来国光に突然、意識が芽生えたのである。
『ワシは邪気を滅することが出来なんだのか…… そして邪気に殺された多くの無念の魂たちが、ワシに責を託したか…… 二度と同じ轍を踏むなと……』
来国光はそれ以降、多くの巫女とつながりを持ち、邪気退治を行ってきた。今のパートナーが雛川椛乃である。
――――
椛乃は豆大福に目を留め、和菓子屋に声をかけた。
「おじちゃん、豆大福ひとつ、ちょうだい!」
「おお、椛乃ちゃんかい。今日も元気やなぁ。はいよ、豆大福、ひとつな。八百万円や!」
「うん!はい。ありがとう。おじちゃん!」
「毎度おおきにな」
椛乃は八円を和菓子屋の主人に渡し、大福を受け取ると、大口を開けてかぶりついた。
ガブリ もぐもぐもぐ
「うまっ!」
椛乃は頬いっぱいに豆大福を頬張りながら、幸せな気分で町を歩いた。
七曲市場を抜けていくと、アーケードの脇に和歌山市駅の白い駅舎が見えた。店々の看板や暖簾が重なり、お好み焼きやたこ焼きの美味しそうな匂いが立ち込めていた。
「うまそう!」
『買い食いするかの?』
「いや、今は大福の味を堪能する。たこ焼きはまたにしよう」
カッコいいことを言っている椛乃である。実はお金がなかっただけである……
椛乃は和歌山城の天守を遠くに望みながら、一銭橋(南海橋)を目指した。紀ノ川へ向かう途中の大通りには、土蔵造りの家屋や長屋が並び、制服姿の学生たちや、着物姿の婦人らが行き交っていた。
チンチン カタンカタン
南海和歌山軌道線の路面電車が、鐘を鳴らしながらやってきた。朱色とクリーム色の電車が、商店街の雑踏の中を滑るように走っていた。
キラキラ
陽の光にきらりと窓ガラスが反射した。市駅と新和歌浦を結ぶ路面電車は、市民の足として絶えず行き来していた。椛乃はチンチン電車が通るのを見届けながら、交差点に差し掛かった。
チンチン キキィ ガラガラガラ
チンチン電車が本町二丁目の駅に停車した。乗降客が和やかに声を掛け合い、降車していった。
街路にはスーツ姿の会社員、制服姿の学生、自転車を押す店員らが行き交っていた。時折リアカーが通り過ぎていった。
彼女はこの街が、この路面電車が好きだった。椛乃は制服のまま、道を歩いた。そしてふっと立ち止まり、淡嶋に続く紀州街道に目を向けた。和歌山の街は、戦後復興の力をみなぎらせていた。
焼け跡にどんどん新しい建物が建設されていた。陽が西に傾きはじめた街に、笑い声が響いていた。変わりつつある街の活気と庶民の温かさに包まれ、椛乃は戦後復興の街を歩き続けた。遠く海から潮の匂いが風に乗ってふわりと届いた。




