30 八百比丘尼と不老不死、そして儚い歌
「剣奈ちゃん」
「なあに?タダっち」
「八百比丘尼の話、知ってたよね?」
「知ってる。クニちゃが言ってた人だよね?八百年生きたって」
『うむ。彼女はワシとは別系統で、邪気退治の旅をしていた可能性がある。そう思うておる。ワシが打たれる前の話じゃがな』
「その人がどうしたの?」
「"gerontogenes"、「加齢と寿命の調節に関わる遺伝子群」に関する研究が進んでいてね」
「そうなんだ?」
「つまり、「テロメア・DNA修復系」「細胞老化・がん抑制系」「サーチュイン(長寿)系」、ほかにも代謝や炎症、エピジェネティクスをいじる系統とかたくさん見つかっているのだけれど……」
(注:「インスリン/IGF-1シグナル系」「mTOR・栄養応答系」「ミトコンドリア・酸化ストレス応答系」「エピジェネティクス・クロマチン制御系」「炎症・SASP関連系」など)
「へ、へー」
「つまり八百比丘尼の長寿は、人魚の肉を食べたことで、老いを抑えるような遺伝子の欠損が起きたとか、体質そのものの変化が起きたとか、そんな可能性があると思うんだ。ふつうは、遺伝子のブレーキ機能が欠損、つまり壊れて働かなくなると、老いは遅れるけれど、がんになりやすくなるみたいな不都合もあるんだ。でも八百比丘尼は、その悪い方が起きなかった例外かもしれないって」
「う、うん……」
自分の思考に夢中になっていた藤倉である。剣奈が生返事を返していることに気がついた。そして、ちらりと顔を上げた。
はっ!
藤倉は見た。剣奈の目が、ぐるぐるうずまきになっていた!
(小学四年生の剣奈ちゃんに、いきなり遺伝子の話なんて…… 俺も焦ってるな。仕切り直そう)
「ん…… ま、まあ、難しい話はさておき、要するに「老いない体質」をもたらす変異があり得る、ということなんだ」
「なるほど?」
「邪気が取り付いた依り代の遺伝子を操作することを学んだら…… 自覚の有無は別にして」
「ん?」
邪気の話が出てきて、剣奈はなんとか藤倉の言う事を理解しようと気を引き締めた。
「安土桃山時代に捕らわれた邪気の依り代、玲奈の魂が封じられた巫女……」
「うん」
「その巫女が命を繋いでいる可能性はないだろうかと……」
『なんじゃと!』
来国光が突然叫んだ。その声には驚愕が含まれていた…… 藤倉が続けた。
「剣奈ちゃん、まずは現世で闇原村を探そう。そして邪神のご神体を見よう」
「うん!」
「もし依り代の巫女が生きているなら…… 剣奈ちゃんは死乃路を通らず、苦痛を経ず、力を保ったまま、玲奈を救えるかも知れない」
「ぜったい、それがいいよ!」
『……』
篠の道を通らなくてもすむかもしれない。その可能性を聞き、剣奈の顔がぱぁっと明るくなった。一方、来国光は黙り込んでしまった。藤倉は来国光のそんな様子にも気づかず、ただ自分の思考に沈んでいった。
(その方がいい。もちろん玲奈に数百年の呪縛を強いることになるのは、胸が張り裂けそうだ。だが、死乃路で剣奈ちゃんが過去に戻った場合、いくつか問題点がある。
一、移転で力をなくし、タダビトとなった剣奈ちゃんは邪気を払えるのか。おそらくむりではないか。
二、移転に同行する玉藻さんは、邪気を退治できるだろう。しかし、依り代の巫女ともどもに消滅させはしまいか。浄化でなく、退治。その場合、玲奈の魂も、道連れで消滅するのではないか?
三、過去の玲奈を救出した場合、それは別の世界が分岐するだけではないか?もし今、その巫女が生きていて、玲奈もとらわれたままの場合、タイムパラドックスが起きる可能性が高くないか?
つまり、今この時点の玲奈を救わなければ、玲奈を取り戻せないかもしれない…… 玲奈…… すまん)
――――
藤倉は山をバイクで登った。まずは久継闇原村のご神体を確認しようと思ったのである。杉野原集落は有田川町、長峰山脈の支尾根に位置する。久継闇原村はきっと長峰山脈のどこかであろうと、あたりをつけた。アドベンチャーバイクのVストロームは軽快に峠道を駆け上っていった。
ルララララ ルララララ。かすかに、風に乗って、歌のような声が聞こえてきていた。人には聞こえなかった。しかし、妖の耳には、それは届いたのである。
「まちゃれ藤倉。この先の方角から、何やら面妖な気と歌を感じるのじゃ?」
白蛇が言った。
「そうね。ちょっと嫌な感じ、それから歌のような音もするわ」
玉藻も白蛇に同調した。
キキィ
藤倉はバイクをとめた。そして道から少し外れた場所にバイクをとめた。
「白さん、玉藻さん、それはどちらから?」
「あの分岐からなのじゃ」
藤倉は白蛇が顎で示した方向を見た。峠道から、未舗装の細いけもの道が伸びていた。
「バイクで行くと目立ちますね」
藤倉が言った。
「なのじゃ」
白蛇が答えた。
「まだ午前中だし、バイクをここに停めて、歩こう」
「ん!」
「手掛かりが見つからなければ、また明日探せばいい」
「らじゃ!」
「じゃあ行こうか」
藤倉が気を引き締めて言った。
「うん!なんだか冒険っぽくなってきたね!」
剣奈が機嫌よく言った。
白蛇が感じた音と気配、それは、風に溶け、儚く消えていった。




