22 アタイ… 死ななくてよかった
ピンポーン
「郵便局です。書留です」
「はーい」
剣奈がインターフォンに答えて玄関に走っていった。
「お母さん、玲奈姉!書留、家庭裁判所からだよ!」
「えっ!?」
千剣破はびっくりして、剣奈の差し出した角二封筒を見つめた。玲奈も同じように封筒を見つめていた。宛先の文字には、千剣破の字で宝梅の住所が記されていた。
(え?うそ。だって、まだ八月二十三日よ?面談から三日しかたってない。こんなに早いわけが……)
千剣破は震える手で封筒を開いた。二枚の紙が入ってるだけの封筒。しかしその封筒は千剣破にとって、なにより玲奈にとって、計り知れない重みがあった。
同封されていた二枚の紙は、審判書謄本と確定証明書だった。その内容は、次のように記されていた。
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【審判書謄本】
事件番号・裁判所名・申立人・対象者
剣奈元年(家)第X号 神戸家庭裁判所伊丹支部
申立人:久志本千剣破 対象未成年者:牛城玲奈
主文:未成年者、牛城玲奈について、申立人久志本千剣破を養親とする養子縁組を許可する。
1. 申立人は、未成年者牛城玲奈の実父母から養子縁組についての同意書を適式に取得している。
2. 未成年者と申立人は、継続的に同居し、生活を共にしている。
3. 未成年者は申立人久志本千剣破の扶養下にあり、精神・身体両面で安定した日常を営んでいる。
4. 実父牛城竜作、実母牛城真理子により、未成年者に身体的及び精神的被害を伴う不適切な養育が認められ、実親による継続的な監護は困難であり、申立人による養育・監護が未成年者の福祉に最適である。
5. 申立人は、未成年者に対し充分な愛情と監護能力を有し、教育・生活・医療・安全のすべてにおいて責任を果たす意思が明確である。
6. 未成年者は申立人との養子関係成立を本人の意向確認をもって受け入れており、精神的安定・健全な成長が期待される。
7. 申立人宅には祖母久志本千鶴が同居しており、家族としての支援体制が整っている。
8. 必要な戸籍謄本、住民票、養子縁組申立書、同意書その他必要書類一式が適法に提出されている。
9. 本養子縁組は、未成年者の利益及びその福祉に合致し、家庭裁判所はこれを許可する。
理由:申立は民法第七百八十九条及びその他関連法規に照らして適法と認められる。実父母の同意、家庭環境の審査結果より、未成年者の福祉に適合することが明らかであるため、申立を許可する。
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【確定証明書】
1. 事件番号:剣奈元年(家)第X号
2. 裁判所名:神戸家庭裁判所伊丹支部
3. 主文:上記事件について、剣奈元年八月二十二日付で「未成年者牛城玲奈と申立人久志本千剣破との養子縁組を許可する」審判に関し、即日審理の結果、同日付で審判が確定したことを証明する。
4. 理由:即日審判手続により、申立・必要書類・関係者同意すべて適法と認定され、不服申立ての予定・根拠が認められないため、家庭裁判所判断により即日確定とした。
5. 発行日:剣奈元年八月二十二日
6. 発行者:神戸家庭裁判所伊丹支部 裁判所書記官
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「っしゃあ!」
千剣破は両手のこぶしをぐっと握りしめ、胸の奥からこみ上げる達成感と安堵が混ざり合うのを感じていた。救えた。やり切った。あの恐ろしい竜作から、玲奈を、家族の名のもとに、法的な守りを勝ち得たのである。
千剣破は本当はずっと不安だったのだ。もし竜作が家に押しかけてきたら?女性だけの家…… 腕力では叶わない。もし剣奈が暴力を振るわれたら?もし玲奈が無理やり連れ去られたら?実の親は向こうだ。救えない。
恐れ、不安、葛藤、焦り、緊張。それら全てが、この一瞬に報われた気がした。これで…… 竜作が玲奈を取り返そうと暴力行為に及んできたとしても、守り切れる。暴力を振るわれたとしても、法で立ち向かえる。守れる。
「玲奈!」
千剣破は両手を広げて、玲奈を抱きしめた。
「頑張ったわね。玲奈。これであなたは私の娘。剣奈の姉よ。生きていてくれて、ありがとう……」
玲奈は泣いていた。どのような言葉を返せばいいのか、わからなかった。当然、感謝している。悪魔のような毒親から解放されたことへの安堵もある。嬉しい。けれど、心の中に思い浮かんだ言葉は違った。
(アタイ…… 死ななくてよかった)
玲奈は何度も死のうと思った。両親から暴力を受け続けた幼少の日々。
実の父から性的暴力を受けた日。母は守ってくれず、それどころか暴力がひどくなった。父は毎日のように性的虐待をしてきた。生理の日も関係なかった。誰も助けてくれなかった。――親も、学校も、警察も、児童相談所も。
優しく接してくれた岸本に希望を見出した時期もあった。しかし、彼は結局、玲奈を食い物にした。毒親の元にいるよりもずっとましだった。けれど、彼女は身体が穢れていく感覚にさいなまれた。
そして頼りにしていた岸本の失踪。やっと見つけた庇護者の失踪による喪失感と絶望感は大きかった。また毒親のもとでの地獄の日々が始まると思い、いく度、死を思ったかわからなかった。
けれど、結局死にきれなかった。刃物を身体に突き立てようとすると、どうしてだか、身体の力が抜け、意識を失った。
薬物のオーバードーズも試みたが、すぐに気持ち悪くなり、嘔吐してしまった。首を吊ろうとしたが、怖さがこみ上げ、泣いてしまった。
(アタイはダメな人間だ。ブルっちまって、死ぬことさえできない)
結局玲奈は死にきれず、ずるずる生きた。彼女はそう思い、ますます自暴自棄になった。岸本にねだって手に入れたバイクだけが、彼女のなぐさみだった。
時折、夫婦岩、越木岩神社を訪れては、じーっと岩を見ていた。表六甲や裏六甲を駆け抜けるのも楽しかった。
けれどそれは刹那的なもので、将来は考えられなかった。十八になって一人で生きていけるようになるまで、ひたすら居場所を探し、身を売るようにしていくばくかの金をもらい、日々を生きてきた。
でも…… 自分の選んだ道は間違いではなかった…… 玲奈は泣きそうになった。体と心への暴力、さらには性暴力まで振るわれ続け、縮こまり、逃げていただけの人生……
だけど、生きていたからこそ今がある。
無垢でおかしな天然剣奈。尊敬する千剣破と千鶴。バカな藤倉。ズッコケ妖。邪斬、狐、蛇、犬。
今日から自分は久志本玲奈として、明日を迎えられる。その現実は、今、夢の様に実感がなかった。
「アタイ…… もう死んでもいい」
玲奈がつぶやいた。
「バカ…… これからやっと始まるのよ。あなたの人生が」
千剣破は玲奈をきつく抱きしめた。玲奈は静かに涙を流していた。
(やっと…… 守れた)
玲奈が失ってきたものはあまりに多い…… 過去は守れない。けれど、命は守れた。未来も守れた。これからは玲奈には、普通の家庭の温もりを感じてもらいたい。傷だらけの娘に、「始まり」を届けることが自分の責任なのだ。千剣破はそう強く思った。
玲奈の苦しみも不安も背負い、家族として、共に生きていく覚悟、彼女は改めて胸に刻んだ。
守りぬこう。愛そう。娘の「帰れる場所」であろう。




