17 地獄からの救済
連れていかれた家は、宝塚の豪邸だった。
(世間知らずの嬢ちゃんの道楽か。純真なこって。ま、保護者に断られたらさっさと退散するか)
ところが、初対面の怪しげな女を、娘の祖母は受け入れたのである。
「初めまして牛城さん。私は久志本千鶴と言います。剣奈の祖母です。お話は剣奈と来くんから聞きました。好きなだけ、ここに滞在していってください」
「はぁ?婆孫揃ってお人好しか?アタイみたいなもん入れたら、金目のもん持ってバックれるで?」
「その時はうちと剣奈に、見る目がなかっただけのこと。仕方あらへん。ただ、その時はちゃんとけじめ、つけさせてもらいますけどなぁ」
「へぇ、警察に突き出すってか?」
「いいえ。二度と剣奈に会わせんだけですわ」
「甘っま。持ち逃げしとんねんから、会うわけないやろ」
女は玲奈の言葉に反応せず、じっと玲奈を見つめてきた。玲奈は心が見透かされているような気持になった。玲奈はじっと見つめられ、バツが悪くなって、うそぶいた。
「チッ。お人好し一家め。どないなっても知らんからな」
「大丈夫。ボク、お姉さんのこと信じてる。もし邪気に操られて敵になっても、ちゃんと殺してあげる。そして何度でもやり直すよ。ボク、知ってるもん。お姉さんの心、とっても綺麗だって」
「くっ……」
ボクっ娘の言うことは全く理解できなかった。けれど、玲奈の心に何かが届いた。気がつくと、玲奈は大粒の涙を流していた。玲奈は自らの涙に戸惑いつつ、なんとか言葉をひねり出した。
「こえーよ、怖すぎてブルっちまったよ」
玲奈はうつむき、しばらく嗚咽を漏らしていた。そしてぽそりとつぶやいた。
「ありがとな……」
「ボク、何か変なこと言っちゃった?ちょっと怖がらせちゃったかな。あれ本心だったんだけど、よく考えるとやばいよね。なんて言ったっけ。サイコパス?」
少女がおかしなことを言い出した。玲奈ははっと我に帰った。そして恥じた。
(初対面のやつの前で、ガキのように泣いちまった。みっともねー。いつもはこんな時、お礼に身体を好きにさせてたんやけどな。それでババアやとボクっ娘が喜ぶわけないわな。返せるもん、なにかないかな……)
「飯代と宿代はちゃんと返す」
「ええんやで。その代わり、剣奈の面倒を頼むわ。泣かせたら承知せえへんで」
「わかった。ナンパ野郎が寄らんよう、ギンギンに目を光らせとくわ。なんならアイツ、藤倉、しばき倒したろか?アイツ、嬢ちゃんのこと女として見とるで」
「難儀やなぁ。藤倉さんも。まあ分からんでもないわ。剣奈は魅力的すぎるからな。美人は辛いもんや。美女の宿命な。まあ男はそんなもんやろ」
「男はクズや」
「そやな。クズ多いわ。ほんまにな。まあでも藤倉さんは大丈夫やろ。ヘタレやし。なんやでける人やったら、あの歳まで独身やないわ。なんかしよったら、千剣破黙ってへんやろしな」
「千剣破?」
「うちの娘。剣奈の母親」
「そうかよ。まあアタイは好きに守っとくわ。これで話は終わりやな?飯くれるんか?腹減ったわ」
「じゃあご飯にしましょかね。ハンバーグ焼いたげるわ」
「うわぁ、ボク、ハンバーグ大好き」
「手伝うわ。飯の手伝いぐらいできる」
「じゃあ、お願いしよかね」
そんな浮世離れしたやり取りを経て、玲奈は決心した。
(こんなどうしようもないお人好し連中、よう生きて来れたな。甘々やんけ。しゃあない。アタイが守るしかないわな。このお人よしババアとお人よしボクっ娘め……)
こうして玲奈は十七歳の夏、久志本家に居候することになった。正直、玲奈にとって久志本家への居候は、願ってもない申し出だった。明日がどうなるかわからない不安定な毎日だったからである。
玲奈は少女の遊びに付き合い、家事手伝いのメイド仕事をするだけで、不安のない日々を過ごせるようになった。彼女は身体を差し出さない毎日を送るようになってはじめて、それが彼女に大きな負担になっていたことを自覚した。
ルララララ ルララララ
「どこの歌?」
「いや、アタイにもわかんねぇ。でも、小っちゃいころから聞かされてきた歌や」
「そうか。変わった子守唄やな」
千鶴は笑いながらその歌を受け入れた。両親から気味悪いと言われ、岸本からもいい顔をされなかった子守唄。玲奈は「自分が受け入れられた」、そう思えた。彼女はうつむいて、小さく微笑んだ。
玲奈は生まれてはじめて平穏な生活を送れるようになった。彼女は久志本家に深く感謝した。しかし玲奈にはわかっていた。この安定した生活は、少女の夏休みの間だけのことであると。
少女、剣奈が東京に帰る時、それは…… 玲奈が再び居場所を失う日であると……
――――
しばらくして玲奈は剣奈たちと淡路島に出かけた。藤倉の発案による淡路島合宿に同行したのである。剣奈たちが淡路島から帰った翌日、千剣破は剣奈を連れて病院に出かけた。病院から戻った千剣破は玲奈になにげなく話しかけた。
「あなたの両親と話をつけてきたわ」
「え?」
玲奈には、何のことかわからなかった。ひょっとすると、両親がまた猫をかぶったのかもしれない、そう思った。再びあの地獄の家に連れ戻されることになる。そう考えた玲奈は、顔が青ざめた。
「それはつまり、邪魔やから、アタイに家に戻れってことな?」
(アタイはなんてうかつやったんや。こいつらにとって、アタイは邪魔者に決まっとる。なんでいつまでも、ここにいれると思ったんや)
玲奈は自分の甘さを後悔した。なら決断は早いほうがいい。そう思った。
「まっぴらごめんや。ならアタイは出てく。あいつらのもとには戻らねぇ」
玲奈は急いで支度をしようと、きびすを返した。
「違うわよ。あなたがここに居れるように、話をつけてきたってこと」
千剣破が言った。何でもないような言い方だった。しかし、玲奈にはわかっていた。あの両親が、簡単にそんな話を呑むわけがないということを。
「無理したんやろ?いいで?アタイは出ていくし。そしたら、あんたらも厄介払いできるやろ」
パシィ
千剣破の手が、玲奈の頬を打った。
「馬鹿なことは言わないで!あなたは私の娘になるの!ちゃんと同意書、もらってきたんだから」
「え?」
玲奈の頭が真っ白になった。千剣破が何を言っているのか、さっぱりわからなかった。とまどう玲奈に、千剣破は同意書を見せた。玲奈の両親の筆跡だった……
「い、いったいどうやって……」
「ふふふ。これが大人の実力というものよ?あなたもちゃんと学びなさい。法律の知識を。ちゃんと学ぶことで、自分の身を守れるわよ?」
千剣破が笑って言った。
「でも…… アタイ中卒やから……」
「大丈夫よ?いくらでも方法はあるから。高校に編入してもいい。同級生との年齢差が気になるようだったら夜間もある。高等学校卒業程度認定試験(かつての大学入学資格検定)に合格するという手もある。一緒に考えましょ?」
「……」
「まずはちゃんと親子にならないとね」
「ううっ……」
玲奈が千剣破に抱きついた。そして、大粒の涙を流した。千剣破は玲奈を抱きしめ、やさしく背中をさすっていた。




