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黒女の哭音が聞こえる ~拐かしの隠れ里~  作者: 夏風
一章 震災の轟音が奪う人の道 希望と絶望、虐待と搾取

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10 蒼き月と接吻 夜の御蔵橋

 竜作は、足しげくスナック夜風に通うようになった。真理子が、だんだんと笑顔を見せるようになった。


「……ぜんぶなくなってもてな。今の俺にゃ、パチンコと酒しか残っとらん」 

「誰やって同じですよ。私も全部なくなくしてしもて、ここしか居場所がありません」 

「はは。似たもんどうしやな、俺ら」 

「……似てますね。家族もなんも、なくしてもて」 

「……そやな」

 竜作がぽつりとつぶやき、会話が途切れた。ふと、竜作は真理子の視線を感じた。その目には、哀しみが漂っていた。


「……たまには、こうやって誰かと話すのも……いいですね」 

「……一人は…… 長いと辛いからな」 

「……もう一杯いただいてもよろしいですか?」 

「ああ……」

 真理子は新しいグラスに氷を入れ、芋焼酎を静かに注いだ。そして静かに、寄り添うように隣り合った。


 二人は静かに、互いの空白を埋めるように話し続けた。久美は微笑みながら、それを見守っていた。


 ――――

 

「最近、えらいがんばっとるやんけ。なんやええことでもあったんか?」

 社長の山田が声をかけた。竜作は照れくさそうに、額の汗をグイっと腕で拭った。


「……はい。最近、パチンコから、足が遠のいてます。スナック夜風で飲んどるんですわ」 

「ほう、そらええな。あそこのママ、気立てええしな。最近、若い子、入ったいう話きいたで?」 

「……その子、真理子いいますねん。なんや、話してたら楽になるんですわ。気がついたら、ちょくちょく通ってます」

 竜作の言葉に山田が苦笑した。


「お前が女に骨抜きになるとはな。お前もまだ若いんやし。ほしたら身、固めてもええんちゃうか?度胸出して、アタックしてみたらどや?」 

「いや、俺みたいなんに言い寄られたら迷惑やろし…… ただ、一緒に酒飲んで、話しとるだけで、楽しいんですわ」 

「ほうか?まあ、それもええやろ。お前は、よう頑張ってきたんや。羽伸ばしや」 

「はい。社長、おおきに」

 山田は竜作の肩を叩いて事務所に入っていった。竜作は小さな笑みを浮かべて、その背中に頭を下げた。


――――

 

 ある夜、いつものように酒に酔った竜作は、ぼんやりと真理子を見ていた。真理子と話すのが楽しかった。彼女を見ているだけで幸せだった。


 カラン


 グラスの中で、氷が鳴った。竜作はいつの間にか、彼女の好みに合わせて、焼酎をロックで飲むようになっていた。


「あら?竜作さん、おかわり入れますか?」 

「ああ。もらおか」


 トットットット

 カラン


 真理子がグラスに焼酎を入れ、氷を足した。カランカランという氷の音と、ほんのり鼻をくすぐる焼酎の匂い。


 ふと、真理子の女の匂いが、竜作の鼻孔をくすぐった。久美はグラスを拭きながら、二人をそっと見守っていた。


 竜作は唇を湿らせ、小さな声で切り出した。


「……真理子さん。ここに来るようなって、なんや、前より生きとるっちゅう気ぃするんですわ。前まで、パチンコと酒しかなかったんやけど……」

 竜作が真理子を見つめた。真理子はグラスを両手で包み込みながら、静かにうつむいた。


「……私もです。私、ずっと一人で、どこにも居場所なかった…… 夜風で働かせてもらえて、竜作さんと出会えて、寂しくなくなってきました」 

「俺、真理子さんと話せるだけで、なんや…… ほんま、嬉しいんですわ」

 竜作は指先でテーブルをそっとなでた。そして、勇気を振りしぼって、ぎこちなく言葉を続けた。


「……よかったら、今日、俺と……つきおうてもらえませんか?嫌やったらええんやけど…… 俺、真理子さんのこと…… 好きになってしもて……」

 竜作は真剣だった。真理子は、じっと竜作を見た。カウンターの明かりが、彼女を美しく照らした。


「……嫌やなんて…… ええよ。私みたいなんでよかったら……」 

「ほんまですか?俺、嬉しいですわ。ほんま真理子さんのこと、好きなんですわ」


 真理子の頬に、ポロリと一筋の涙が流れた。カウンターの灯に照らされて、その風景はとても美しかった。


「……はい。……私も、竜作さんが好きです。一緒にいたいです」

 真理子は小さく、けれど確かな声で答えた。久美はそれを見ながら、ふっと微笑んだ。久美がそっとカウンターを離れた。

 

 竜作は真理子の肩を、不器用な手つきで抱きよせた。真理子は体を小さく震わせながら、竜作の腕にそっと寄り添った。


「……ありがとう、真理子さん」 

「はい…… 竜作さん」

 二人はしばらく何も言わず、ただ静かな夜のスナックで寄り添い続けた。やがてグラスが空になると、竜作はぼそりと言った。


「……一緒に、帰ろか」

 真理子はうなずいた。二人は夜風を出た。そしてゆっくりと、並んで歩き出した。夏の風が、なまぬるく吹いた。御蔵橋から見る川が、街の灯に輝いていた。


 二人は御蔵橋の真ん中で見つめ合った。そしてどちらからともなく、顔が近づいていった。


 二人の唇が触れ合った。竜作と真理子は、抱き合いながら、長く口づけをかわし続けた。


 ヒュウ


 風が吹いた。二人は唇を離した。お互いを見つめ、ふっと微笑んだ。二人は手を繋ぎ、見つめ合った。会話はなかった。蒼い月が二人を照らしていた。


 二人の影が

 重なった……


 竜作と真理子はいつまでも、夜の御蔵橋の上にたたずんでいた。蒼き月だけが二人を照らしていた。


 竜作は、震災で止まってしまった時が、再び動き出すのを感じた。


 その日…… 二人は結ばれた。そして…… 真理子の胎には、子種が宿された。

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