最終話 稼ぎにいくわよ!――最高のお仲間(ニート夢魔と王子)と私有財産(天使)を死ぬまでこき使う、強欲令嬢のハッピーエンド
あの大騒動から数日後。
第八研究室には今日も、書類と怒号と問題児が溢れていた。
「――というわけで、魔塔の最高オーナーたる僕の、最初の命令。魔塔主の実務および資産管理の全権を、エルレア=アストレインに丸投げ(委任)しまーす」
「ちょっと待ちなさいよニート!!」
ネムがソファの上で猫のように伸びをしながら気怠げに宣言した瞬間、エルレアの鋭いツッコミが室内に響き渡った。
五大老が失脚し、名実ともに本物の魔塔主としてネムが表舞台に立つかと思いきや、彼は「やっぱりめんどくさい」の一言で、山のような書類の束をエルレアのデスクへとスライドさせたのだ。
「いいじゃないか、エルレア。僕は元々引きこもりだし、それに……」
ネムはソファから音もなく立ち上がると、呆然とするエルレアの前へと滑るように歩み寄った。
そして、蠱惑的な笑みをその極上の美貌に浮かべながら、エルレアの華奢な手を取る。
「エルレアは僕の飼い主だから、ね?」
囁きと共に、ネムはエルレアの左手の薬指――そこに嵌められた『魔塔主の指輪』へと、じわりと熱を帯びた唇をそっと寄せ、深く口付けをした。
「なっ……ちょっとネム、何して――」
「はいそこまで。不適切な接触、およびオーナーとしての職務放棄は減点の対象です、魔塔主」
すかさず、殺気にも似た鋭さで二人の間に割り込んできたのは、カイルだった。
彼はいつものように、王宮仕込みの厳格さと教育的指導の姿勢を崩さず、ネムの手からエルレアを引き離す。
そんな騒がしいやり取りを、部屋の隅でお盆を抱えながら見つめている少年がいた。
エルレアの「私有財産(奴隷)」として家紋の首輪を嵌められ、慣れない手つきで書類整理やお茶汲みをさせられているスズメ(元・神エクス)だ。
彼は、カイルのその熱心な教育的指導を眺めながら、ふふ……と、あどけなくも酷く意味深な笑みを浮かべた。
「カイルってば、それくらいで教育的指導なんて……。あはは、お堅いね」
「……何が言いたい、スズメ」
カイルが不審げに目を細める。するとスズメは、お盆で口元を隠しながら、金色の瞳をいたずらっぽく輝かせた。
「だって、ボクがエルレアにあの『黒い刻印』を刻んだ時のことに比べたら、指輪へのキスなんて可愛いものじゃない? ――あの日君、見てたでしょ?」
カイルがずっと考えないようにしていた光景――かつてエクスがエルレアに刻印を刻む際に、無理矢理口付けをした事をハッと思い出す。
「…………」
カイルは、完璧な笑顔のまま、ピキリと全身を凍りつかせた。カイルの魔力が感情に引きずられるように漏れだす。
パキパキ、と音を立てて床の石畳が白く凍りつき、第八研究室の室温が急激に、かつ凄まじい速度で下がり始めた。
「寒っ。……おいカイル、職場での魔力暴走は給与天引きの対象だぞ」
そんな極寒の空気など一切気にせず、いつもの「よれよれインテリモード」の白衣に戻ったグレイが、デスクで書類に目を通しながら軽口を叩いた。
「文句があるならグレイ、あなたのその無駄に分厚い大胸筋の熱量で部屋を暖めなさいよ。……それより、このバルツァーの隠し口座の差し押さえ書類、王宮への申請はこれで通るかしら?」
「んー、完璧だな。お嬢のこの悪辣な計算式なら、王宮の監査官もぐうの音も出ねぇよ。相変わらず良い性格してやがる」
エルレアは背後でカイルが氷像のように固まっていることなど意に介さず、グレイと書類仕事の合間にガシガシとペンを走らせ、楽しげに軽口を叩き合っている。
その間にも、部屋の隅ではカイルから漏れ出る冷気で涼みながら、スズメがネムへと生意気な視線を向けていた。
「ねえ、ネム。君、新参だってボクに偉そうにしてるけど、ボクの方がずっと前からエルレアと繋がってるんだからね?」
「へえ、生意気な小鳥だねぇ。神族の力を無くした自覚が足りないんじゃない?」
ネムが紫の瞳を妖しく光らせ、人差し指を小さく振るう。瞬間、スズメの頭上に小さな「雨雲」が出現し、ピンポイントでスズメの頭へ冷たい水をボタボタと降らせた。
「ぴっ!? 冷たっ……はぁ、もう、これだから引きこもり魔族は嫌なんだ!」
水浸しになったスズメがネムに文句を言い、ネムはそれをクスクスと笑いながら再びソファへと寝転がる。
そんな中、エルレアは書類からふっと顔を上げ、未だに背景で静かに吹雪を巻き起こしている幼馴染へと視線を向けた。
「ちょっと、カイル。いつまで笑顔で凍りついているのよ。部屋が冷えてペンを持つ指が震えるじゃない」
呆れたエルレアの声に、カイルはピクリと肩を揺らし、ようやく現実世界へと意識を戻した。
慌てて周囲の冷気を霧散させたものの、その青い瞳にはまだ、スズメの爆弾発言によるモヤモヤとした暗い影が色濃く残っている。
「……すまない、エルレア。少し、昔の不愉快な夢を見ていただけだ」
「ふぅん。じゃあ、その不愉快な夢を吹き飛ばすくらい、美味しいコーヒーでも淹れてちょうだい。ちょうど喉が渇いていたのよ」
エルレアのぶっきらぼうな、けれどいつも通りの注文に、カイルは「……ああ、分かった」と小さく息を吐いてキッチンへと向かった。
先ほどスズメが淹れたコーヒーは、淹れ方が雑で少し豆の雑味が出ていたが、カイルの淹れる手つきは一味違う。
王宮仕込みの完璧な温度管理と丁寧なハンドドリップによって、室内には一瞬にして、先ほどとは比べ物にならないほど深く香ばしい、極上の香りが立ち込めた。
「お待たせ。熱いから気をつけて」
カイルから差し出された温かいカップを受け取り、エルレアはその湯気をそっと吹き消してから、静かに一口、喉へと流し込む。
深いコクと、すっきりとした気品ある苦味。
エルレアは満足そうに目を細めると、カイルを見上げてにっこりと笑った。
「ふふ、やっぱりカイルの淹れたコーヒーが、世界で一番美味しいわね」
「……っ」
その一言が、カイルの耳に届いた瞬間。
彼の脳内に渦巻いていた不吉な吹雪も、スズメへの嫉妬も、暗い独占欲も――すべてが春の陽気に照らされた雪解けのように、跡形もなく綺麗に消え去ってしまった。
「そう、かい? ――なら、良かった。君の好みの豆の比率は、完全に把握しているからね」
さっきまでの氷点下のオーラはどこへやら、カイルはそれはそれは嬉しそうに、すっかり上機嫌になって表情をパッと輝かせた。
現金なまでに一瞬で直ったカイルの機嫌に、背後でネムが「チョロいねぇ」とクスクス笑い、スズメが「単純な虫ケラだなぁ」と呆れたように呟いている。
エルレアはそんな周囲の雑音すら心地よく聞き流しながら、もう一度極上のコーヒーを口に含んだ。
窓の外を見上げれば、あの最悪な夜が嘘だったかのような、どこまでも高く澄み渡った美しい青空が広がっている。
エルレアは不敵に、私有財産となった神様と、最高の仲間たちを振り返り、バン! と景気よく机を叩いて立ち上がった。
「さあ、みんな! 今日も死ぬまで働いて、私に利益をもたらしなさい! ――稼ぎにいくわよ!!」
「横暴だなぁ」
「ブラック研究室だ……」
「給料は出るんだろうな?」
騒がしい声が響く。エルレアは呆れたように笑って、コーヒーを飲み干した。
――悪くない未来だ。
これにて完結です。
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