第67話 「傷つけていいのは、ボクだけなんだから」――灰羽の神の理外の乱入
唐突に、静粛であるはずの魔塔主の部屋の外が、にわかに騒がしくなった。重厚な防音扉の向こうから、複数の足音と怒号が微かに漏れ聞こえてくる。
「何事だ、騒々しい! 誰か外を――」
バルツァーが不快げに顔を顰めて叫ぼうとした、その瞬間。
部屋の大きな両開き扉が、外側から室内に向かって勢いよくぶち破られ、豪快に弾け飛んだ。
五大老たちの視線が一斉に突き刺さる。
そこに立っていたのは、虚ろな青い瞳のまま捕虜の首根っこを掴むようにして入ってきたカイル。
そして、彼に後ろ手をネジ上げられ、苦しげに顔を歪めている琥珀色の髪の少女――エルレアだった。
「アストレインの小娘ではないか! カイル、なぜ息の根を止めなかった!?」
バルツァーが目を剥いて怒鳴りつける。だが、カイルは人形のように焦点の合わない瞳をバルツァーへ向け、抑揚のない声で言葉を紡いだ。
「……『魔塔主の指輪』。……前代から外した直後、即座に次代の指に嵌めねば、魔塔主としての魔力供給パスが繋がらない。死体から奪った指輪では……新しい魔塔主にはなれない」
「何だと……!? チッ、面倒な制約を……!」
カイルがもっともらしく並べ立てた大嘘に、バルツァーはあっさりと食いついた。
これ以上、王宮を欺き感情変換装置の軍事利権を貪るためには、正式な魔塔主の権限が今すぐ必要だったからだ。
「っは……! ははは、素晴らしい! 素晴らしいぞバルツァー卿!」
カイルの報告を聞いた瞬間、鋼鉄の義手をガチリと鳴らし、大公爵オズワルドが獣のような笑い声を上げた。
「その小娘が生きたまま指輪を持ってきたのなら、好都合の極みだ! 指輪さえこちらへ移せば、魔塔の全防衛システムは完全に我が軍事部門の支配下に入る! 恐怖を忘れた暴走兵士の量産契約も、今日この瞬間をもって完全成立だな!」
「おお……神の導きか。これで神代の魔族の力も、魔塔主の権限も、全ては我ら五大老の掌中に収まったわけだ」
枢機卿ガルニエは、法衣の胸元でこれみよがしに祈りの印を切りながら、憐れむような目で床のエルレアを見下ろした。
その老いた瞳には、聖職者の慈愛など微塵もなく、莫大な利権を独占した確信の悦びだけがギラギラと渦巻いている。
女侯爵マローネも、伯爵令嬢ヴィクトリアも、これで「不老不死の支配者」になれると確信し、勝利の笑みを浮かべていた。
「ハッ、王宮の異端執行官の第五王子を猟犬として飼い慣らしたわしの勝ちだ。――さあ、その忌々しい指輪をよこせ!」
五大老たちの傲慢な歓声に背を押されるように、バルツァーは極上の恍惚に顔を歪め、エルレアへと詰め寄った。その細い左腕を力任せに引っ張る。
衝撃で、エルレアは床へと激しく膝をついた。
バルツァーは彼女の薬指で鈍い輝きを放つ『魔塔主の指輪』を掴み、強引に引き抜こうとした。
「……っ!? 抜けない……!? びくともせんぞ、どういうことだ!」
どれだけ力を込めても、指輪はまるでエルレアの皮膚と一体化しているかのように、コンマ一ミリも動かない。焦りに血が上ったバルツァーは、エルレアを床へと手荒に突き飛ばした。
「いたたた……。そんな目で睨まれても、私に言われたって分からないわよ。指輪だって、買い手を選ぶ権利くらいあるんじゃない?」
床に倒れ込み、膝をついたまま、エルレアは不敵に肩をすくめてみせる。
「おのれ、生意気な落ちこぼれめ……! 抜けないならば、その指を叩き斬って……いや、首を落としてでも、無理やり指輪の所有権を奪い取るまでだ!」
怒りに我を忘れたバルツァーは獰猛な眼光でエルレアを睨み据えた。
次の瞬間、ギラリと冷たい光を放つ腰の剣をスラリと引き抜いた。
「魔塔を惑わす大罪人め! 死んでその傲慢を反省しろ!」
(よし、かかった……! オズワルドもガルニエも、この場で誰一人として止めなかった。現魔塔主への襲撃を黙認した以上、全員が共犯だ。これでカイルの権限で五大老をまとめて裁ける……!)
ゆっくりと頭上へ掲げられていく、無慈悲な白刃。
死の刃が振り下ろされるその瞬間を、床に伏せるエルレアは、恐怖など微塵もない、あまりにも鋭く冷徹な翠の瞳で見据えていた。
エルレアの脳内天秤が、完璧な勝利のシナリオを弾き出した、まさにその刹那――。
「ぎゃあああああああああああ――ッッ!!」
鼓膜を引き裂くような、バルツァーの野太い絶叫が室内に轟き渡った。
エルレアの目の前で、信じられない現象が起きていた。
振り下ろされるはずだったバルツァーの右腕が、剣を握ったまま、肘のあたりから【空間ごと雑巾のようにネジ切られ】、血飛沫を上げて床へと転がったのだ。
切断面は傷口というよりも、時空の歪みに強引にすり潰されたように、どす黒い銀色の光を放っている。
「が、あ、あああ……っ! 腕が、わしの腕がぁぁぁ!」
あまりの激痛と恐怖に、バルツァーは凄絶な唸り声を上げながら床に倒れ込み、無様にのたうち回る。
「ひっ、ひいいっ……!?」
先ほどまで勝利を確信していたオズワルドの義手が恐怖でガタガタと震え、ガルニエは腰を抜かして法衣を濡らした。
部屋の空気が、凍りつくような圧倒的な神威によって支配される。バルツァーのすぐ後ろの空間が、陽炎のようにゆらりと歪む。
この超常の気配が姿を現した瞬間、カイルは即座に洗脳の演技を投げ捨て、エルレアの前に立ちはだかるべく床を蹴った。
しかし、空間の裂け目から現れた「それ」を視線だけで予測していた人物がいた。
「ねえ、ボクのエルレアに、そんな汚い手で触らないでよ」
どこまでもあどけなく、それゆえに底知れない狂気を孕んだ声が響く。
空間の裂け目から、歪んだ黄金の瞳を輝かせたエクスが、うっとりと、けれど絶対的な拒絶を込めてバルツァーを見下ろした。
「傷つけていいのも、泣かせていいのも、壊していいのも――ボクだけなんだから」
不浄な灰羽色の六翼を微かに震わせ、神の化身が降り立った。




