第65話 「全額一括で、精算してあげる!」――至近距離の聖なる閃光
「はっはっはっはっ! せいぜい仲良く、無様に殺し合ってくれたまえ!!」
最悪に不快な笑い声を残して、バルツァーのホログラムが空中からパチンと掻き消えた。
「排除……ターゲット。魔塔の反逆者、エルレア=アストレイン……!」
カイルは胸元を抑えながら、苦しげに呻く。
引き裂かれた服の隙間から、かつてエクスが刻んだ【銀色の聖痕】が、内側から強制駆動させられたようにギラギラと異常な光を放っていた。
「……感情変換装置か……五大老め……! カイルの精神回路が、遠隔から強制的に魔素汚染されてるんだ……っ!」
ネムが床に伏したまま、神力の鎖に肉体を焼かれながらも叫ぶ。
血を吐くような執念で、紫色の細い魔力の糸を伸ばし、カイルの脳内へと割り込ませた。
「これ以上、好きにさせないよ……っ!」
ドッと踏み込んできたカイルの容赦のない重撃。
エルレアは手元で魔石を爆発させ、即席の魔法短剣を作り出すと、金属音を響かせてカイルの凶刃を受け止めた。
カイルの放つ王室仕込みの苛烈な剣の切っ先がエルレアの喉元へ触れそうになる度、ネムの伸ばした紫の糸がカイルの剣線の認識をミリ単位で狂わせる。
しかし、神の結界の毒に喘ぐネムのサポートも、限界が近かった。
エルレアはギリギリの精神状態でカイルと切り結ぶ。
だが、彼の重い一撃を受ける度に即席の魔法短剣は砕け散り、懐の魔石は凄まじい速度で消耗していく。
あまりにも早すぎる剣戟の嵐の前に、迎撃魔術を練るだけの刹那の時間すら稼げない。
その間にも、カイルの冷徹な剣は容赦なく彼女の衣服を切り裂き、白い肌へじわりと赤い血の筋を刻んでいく。
「くっ……あ!」
ついに体勢を崩したエルレアは、仰向けの状態で冷たい石床へと倒れ込んだ。凄まじい勢いでカイルがのしかかってくる。
エルレアの喉元わずか数ミリのところで、カイルの重い刃と、エルレアが必死に維持する魔法短剣がギチギチと火花を散らした。
一瞬でも力を抜けば、待つのは確実な死。
エルレアの必死に抗う翠の瞳と、カイルの焦点の合わない濁った青い瞳が、至近距離で交差する。
パリン、と魔法短剣の形状を維持していた最後の一般魔石が、限界を迎えて弾け飛んだ。
これでもう、エルレアの懐に戦闘用の魔石は一粒も残っていない。
――その刹那。
カイルの表情から、一切の「苦悩」と「人間性」が消え失せた。
青かった瞳が、底知れない、神々しくも禍々しい黄金色へと塗り替えられる。
首筋の聖痕が、実験室の不気味な赤をかき消すような、冷徹な銀色の神威を放ち始めた。
カイルの唇が、滑らかに、残酷に釣り上がる。
その口から漏れ出たのは、彼からは絶対に出るはずのない、あどけない少年のような声だった。
「ねえ、エルレア。だから言ったじゃないか。ボクの奇跡を拒むから、こんな虫ケラに殺されかけるんだよ。……ボクがこの男、消してあげようか?」
脳裏を過る、五年前の悪夢。目の前にいるのはカイルではない。彼の中に深く打ち込まれた、エクスの呪いだ。
「誰が……あんたに、助けてなんて言ったかしら……ッ!!」
エルレアは獰猛に睨み返した。だが、手元の魔石はもう一粒もない。
――その刹那。
黄金に染まったカイルの瞳の奥で、強烈な理性の火花が爆発した。
ガチガチと激しく 刃が震え出す。
カイルは己の全神経を動員し、エルレアの喉元から、狂刃をミリ単位で押し戻していた。
「エルレア……っ、あの……王家の、赤い魔石のブローチを、持っているだろ……っ!?」
それは、神の呪縛を内側から食い破るような、血を吐くようなカイルの絶叫だった。
彼の剣を握る右手が猛烈に震え、ミシミシと骨の軋む音が響く。
カイルは己の全神経を動員して、エルレアの喉元から、狂刃をわずかに遠ざけた。
「へえ。ボクの支配を弾くなんて、この虫ケラ、意外としぶといね」
瞬時にカイルの口調がエクスへと戻り、瞳が青と金に激しく明滅する。金の瞳が、不快げに細められた。
エルレアの脳裏に、いつかカイルとの「あのデート」の際に手渡された、王家の秘宝のブローチが鮮明に浮かび上がった。
王族の彼だからこそ持ち得た、国宝級の超上級魔石。確かにあれは、肌身離さず懐に忍ばせてある。
カイルの青い瞳が再び表面へと浮かび上がり、強い信頼を込めてエルレアへと向けられた。
「それを使って……全力で僕を、攻撃するんだ……っ!」
「ば、馬鹿言わないで! あんな国宝級の超上級魔石、こんな至近距離で爆発させたら、あんたの身体ごと肉片も残さず消し飛ぶわよ! 私の計算を舐めないで!」
「僕を、信じて……っ!」
すべてを賭けた強い瞳がエルレアを射抜くように見つめる。
その言葉を受けた瞬間、エルレアの脳内天秤が、コンマ一秒の速度でその矛盾の裏に隠された真実を弾き出した。
(――そうか。王族を傷つけない、あの魔石なら……!)
「いいわ。――全額一括で、精算してあげる!!」
エルレアは懐から赤いブローチを引き抜くと、血に濡れた掌へ叩きつけた。
結晶の奥で、凶悪なまでの白光が爆発する。
溢れ出す奔流を、エルレアは強欲に、力尽くで握り潰した。
――そのまま、ゼロ距離でカイルの胸へと叩き込む。
世界が、真っ白に弾けた。だが、その光はカイルの肌を焼かない。
聖なる濁流は彼の肉体をガラスのように透過し、内側にまとわりつく黒い泥だけを跡形もなく焼き尽くしていく。
「が……ぁ、あああああッ!?」
カイルの背中から、ずるり、と。
巨大な銀色の幻影が、肉を引き裂くように強制排出された。
輪郭を歪め、のたうち回る天使のような光の塊。
同時にカイルの身体から力が抜け、床へ膝をついた。
「っ、は……ぁ……ッ、ぁ……!」
床に飛び散る大粒の汗。
その瞬間、カイルの脳内で何かがパリンと砕け散った。
――五年前の、あの夜がフラッシュバックする。
赤く染まった実験室。
灰色の羽を散らす天使。
絶望に染まった、エルレアの翠の瞳。
陽炎のように薄れゆく魔塔主が繋いだ魔力の糸。
堰を切ったように、失われた記憶と感情が脳髄を駆け巡っていく。
「……エル、レア……?」
焦点の合った蒼眸が、呆然と少女を映した。
その頭上で、引き剥がされたエクスの精神体が、ゆっくりと口角を上げる。
崩壊していく指先が、きらきらと光の粒子になって宙に溶けだした。
「あはは。やっぱり君の手は痛いなぁ、エルレア」
熱っぽく細められる、恍惚の金。
「……でも、ボクの刻印がある限り。君は絶対、ボクの神殿なんだ」
ぞくりとするほど甘い残響だけを置き去りにして。銀色の幻影は、闇の底へと溶けるように消え去った。




