第60話 【悲報】魔塔主と新当主、王子の一言で正座させられる
戦場に吹く突風のように、ちりんと、来訪者を告げる魔道具の音が鳴り響く。
グレイが端末のパネルで渋々顔を確認し、ロックを解除した。
魔物たちの巣窟に、陽だまりのような美しい亜麻色の髪を激しく揺らして現れたのは、カイルだった。
室内に足を踏み入れた瞬間、カイルの青空のように澄んだ蒼眸が、急速に雷雨を孕んだ暗雲のごとき不穏な色へと翳る。
「……これは、どういう状況かな?」
低い、地を這うような声だった。
カイルの視線の先では、猛獣のごとき獰猛な顔で、荒い呼吸のままネムをソファに組み敷いているエルレアの姿があった。
「あっ……カイル……たすけてぇ……」
乱れた髪、はだけた法衣のまま、頬を羞恥(※実際は恐怖)に赤らめて瞳を潤ませるネムは、さながら貞操の危機に瀕した乙女のそれである。
ピキ、と空間が鳴った。
カイルの全身から吹き出す、王子としての絶対的な「威圧」が、周囲の温度を急速に氷点下へと引き下げていく。
グレイがまさに今口をつけようとしていた淹れたてのホットコーヒーが、一瞬にしてカチカチのコーヒーシャーベットへと変質した。
「――教育的指導、だ。全員、そこに正座」
かつて深夜の研究室で、エルレアのボタンの掛け違いを直していた「元・生活指導部」の目が、本気で据わっていた。
――半刻後。
「はぁ……。僕がエルレアの屋敷に行けば『すでに魔塔へ殴り込みに行った』と言われるし、慌ててここへ来たら今度は『バルツァーが君を地下牢へ連行した』と聞いて、心臓が止まる想いだったんだぞ。……本当に、何をやっているんだ君たちは」
すっかりお説教モードになったカイルをどうにか宥め、これまでの経緯(と、このソファのニートの正体)を説明すると、カイルは深いため息と共に天井を仰いだ。
「なるほどね。……それで、ネム。いや、魔塔主。貴方はなぜ魔塔を離れたんだ?」
カイルの鋭い蒼眸がネムを射抜く。
「5年前のあの日を境に、魔塔の術式も、上層部の連中の雰囲気も、明らかに『狂った』。まるで別の何かに丸ごと乗っ取られたみたいに。……貴方がいながら、なぜあんな暴走を許した?」
「ああ、それは……」
ネムはいつもの軽薄な笑みを消し、複雑な陰りを帯びた顔で苦笑した。
「……はぁ、食べなきゃよかったなー、ゲテモノ」
「何の事よ」
「うーん、何から話そうか。……グレイ、例の石版はあるかい?」
「ああ、写しならここだ」
山積みの紙束をガサゴソとかき分け、グレイが数枚の古い書類を差し出した。
エルレアは「よくこのゴミ溜めから目的のものを一発で見つけられるわね」と、妙なところで相変わらずの職人技に感心してしまう。
グレイから書類を受け取ると、ネムは気怠げな指先で文字をなぞり、朗々と響く冷徹な声で読み上げ始めた。
「――瑕なき一粒の聖魔石より、彼は生出でたり。純白の翼をもつその姿を、人は『御使い』と呼びて額づき崇めり。人らは彼がために――」
「ストーップ! 異世界言語の直訳はいいから、現代語訳……なんなら、わかりやすいビジネス用語でお願いするわ!」
「おや、エルレアは相変わらず古語が苦手だね。……いいよ、じゃあ夜の倉庫で、僕がつきっきりで『お勉強』を教えてあげようか?♡」
ネムは机に肘をつき、蠱惑的なアメジスト色の瞳で誘うような甘い流し目を送ってくる。
エルレアは拳を握りしめながら、その顔面を押し返すようにして書類をひったくった。
「要するに、そのエクスってのは『聖魔戦争時代の遺物』さ」
グレイが冷えたコーヒーを突きながら苦く笑う。
「人間たちの身勝手な信仰と悪意を吸いすぎて、破壊兵器――審判の天使にバグっちまった生きた聖石だ。俺たちも新種のエネルギー鉱石だと騙されてた」
グレイの深いため息を聞きながら、エルレアはひったくった書類に目を落とした。
(……人間の怪我や病を無償で癒し続けた天使。けれど人間の底なしの欲望と戦場の血を吸い続け、翼は黒く染まり、最後は世界を審判……すべてを滅ぼした?)
ゾワリと、背筋に冷たいものが走る。そして書類の一文に指をなぞらせた。
「……最後の一文は、私の実家にあった石版の内容だわ。……アストレインの先祖が、そいつの封印に関わってたってワケ?」
(人間の悪意の汚染……。待って、じゃあ五年前の魔塔の実験って――)
脳裏に、かつて狂乱していった研究員たちの顔がよぎる。カチリ、とエルレアの頭の中で計算の歯車が噛み合った。
「ネム。貴方、まさか彼らの精神汚染を食い止めようとして……」
ネムの紫色の瞳が細められる。――正解、と言うように。
「僕も5年前の実験中に、途中で研究員たちの様子が絶対におかしいって気づいたんだよね」
ネムはソファに深く背を預け、自嘲気味に笑った。
「いやぁ、あれは参ったよ。……あいつらの夢、中身を開けたら真っ白で清らかに狂っててさ。噛みついた瞬間、内臓を素手でグチャグチャに灼かれるかと思ったよ。繊細な美食家の夢魔の僕には、ちょっと刺激が強すぎたね」
てへぺろ、と不気味なほど愛らしく舌を出して笑うネム。
五年前、魔塔の最高権力者たる彼が突然表舞台から姿を消した本当の理由は、人間たちの暴走の尻拭いをした結果の「名誉の負傷」だったのだ。
「何でも口に入れるな。子供じゃないんだから」
エルレアは、ふざけた態度を崩さない目の前のニートを睨みつけた。その声は怒声ではなく、どこか痛ましさを堪えるように低い。
「変なゲテモノを拾い食いするからそうなるのよ、この馬鹿電池」
「酷いなぁ」とネムはいつものように笑う。
だが、そのアメジストの瞳の奥底にある闇は、深く、冷たかった。
「でもさ、エルレア。本当に悪いのは、ゲテモノを並べた奴らだよね。……僕の魔力を奪い、君からすべてを奪った、あの強欲な人間たち……五大老だ」




