表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

59/71

第59話 あの時の極上スイーツ(悔し涙)のツケを払う時間が来ました

 


 これはまだ、エルレアが魔塔の研究者だった頃の記憶だ。


「はぁ、どうしてもここが繋がらない……」


 エルレアは数週間かけて机に広げている魔法陣を前に、がっくりと突っ伏した。


 彼女が今手がけているのは、任意の温度を一定に保ち続ける魔道具の開発だ。


 極寒の雪国の凍てつく寒さから、南国の燃えるような暑さまで、誰でも自在に操作できる魔導ヒーターのようなものを目指している。


「さ、寒い……。そもそも、なんで魔塔ってのは揃いも揃って石造りなのかしら。底冷えするのよ」


 エルレアはかじかむ手を擦り合わせ、息を吹きかけながら、小さな天窓を見上げた。


 外ではしんしんと雪が降り始めている。窓枠を縁取る薄い霜が、魔導ランプの光を細かく砕いて青白く散らしていた。


 この部屋には暖炉がない。それどころか、ここは彼女の部屋ですらない、忘れ去られた空き倉庫だった。


 以前、徹夜続きで倒れて研究室を騒がせて以来、お節介な同僚のカイルが四六時中見張るようになり、彼女の睡眠不足を察知するや否や、寝る(気絶する)まで単調な歴史書を子守唄代わりに読み聞かせてくるようになったのだ。


 あの「世話焼き小姑王子」の目を盗んで、思う存分研究に没頭したい時、エルレアはこっそりこの倉庫へ籠ることにしていた。


 疲労のあまり、しばし机の上で意識を飛ばしていたエルレアが、ふと顔を上げた時のことだ。


 魔導ランプの光が、以前より心なしか温かく感じた。描きかけの魔法陣の上に、いつの間にか、鮮やかな「赤い線」が引かれている。


「ん!!!?」


 一瞬、お化けかと思って肩をびくつかせた。だが、よくよくその赤字を目で追った瞬間、エルレアの全身に鳥肌が立った。


 数週間、いくら計算を尽くしても繋がらなかった欠陥魔法陣が、これ以上ないほど完璧な理論によって補完されていたのだ。


「んんん!!!?」


 目が落ちそうなほどに見開かれる。

 あまりにも無駄がなく、流麗で、美しい魔法陣。甘い蜜のような赤い魔力がふわりと漂い、次の瞬間には霧のように薄れていく。


 それは恐ろしいほど高密度で、しかし決して押しつけがましくない、そっと差し出されるような魔力だった。


『論理の飛躍、および前提条件の確認不足』


 そう、最後の講評を残して、魔力は途切れた。


 指先でその赤い筆跡をなぞると、ぞくり、と背筋が震えた。澄み切っているのに、どこか甘い。

 清廉なのに、底知れなく危うい。まるで、夜明け前の夢のような魔力だった。


「一体、誰が……。いや、それより、ひっひっひっ! これで完璧に解決するわ!」


 疑問よりも先に職人としての強欲な歓喜が勝った。エルレアはすっくと勢いよく立ち上がると、机に広がる資料を乱暴に引っ掴んで鞄に押し込む。


「……えっと、誰だか知らないけれど、助かったわ! 赤ペン先生! 貴方は最高のビジネスパートナーよ!」

 エルレアは高揚感のままに、小走りで空き倉庫を後にしたのだった。



 ――そして今、目の前にいるのは、吸血鬼の同僚に、魔塔主たる夢魔の王。


 あまりの衝撃の連発に、普通の人間なら恐怖で狂うか、あるいはその場にへたり込んで平伏するところだった。


 だが、エルレアの銭ゲバな頭脳は、極限状態の中で全く別の「決定的な矛盾」を瞬時に弾き出し、最悪の形で結びつけてしまった。


「……ちょっと、待ちなさい。あんたが魔塔主、ってことは……」


 ゾワリ、と第八研究室の空気が爆発した。


 エルレアの背後から、あの狂神エクスと対峙している時以上の、ドス黒く圧倒的な「殺意」が立ち上る。


 彼女は懐から、この五年間、呪いの藁人形代わりに肌身離さず持っていた、あの真っ赤に添削された魔塔時代の論文を引っ張り出した。


「魔塔主は、この魔塔に提出されるすべての論文の最終審査官――つまり、最高責任者よね……?」


 ギリ、とエルレアの奥歯が鳴る。


「この、私が三日三晩寝ずに泣きながら計算し直した血と汗の結晶(論文)に、流れるような美しい赤文字で『算数からやり直せ。金の亡者特有の視野の狭さが見える』って書き殴り、翌朝、私の机に不法投棄していった……あの【赤ペン悪魔】の正体も……あんたね?」


 ネムの顔から、みるみるうちに強者の余裕が消え、血の気が引いていった。


「グ、グレイ……! 助けて、エルレアの目が、野生の魔物より怖い……!」


「知るか。自業自得だ、そのまま精算されて死ね」


 グレイが冷淡にコーヒーを啜る中、エルレアは計算台帳をドサァッ!! と机に叩きつけ、ネムの胸ぐらを掴んで激しく揺さぶった。


「ネム!!! あんたのせいで私がどれだけプライドを傷つけられたと思ってるのよ! 五年間の休業損害、精神的慰謝料、そしてこの第八研究室の運営費!! 夢魔の王だか魔塔主だか知らないけれど、今すぐ秒単価十万金貨で、全額一括精算しなさい!!  この最高コストな不良在庫ニート!!!」


「ひえぇぇ! ごめんなさい! でもあの時の君の悔し涙の夢、本当に極上のスイーツみたいで美味しかったんだよぉぉ!!」


 神の結界を欺くための「魔族の極秘シェルター」だったはずの第八研究室は、今や魔塔主に対する「過去の売掛金回収の戦場」へと変貌を遂げていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ