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第56話 【朗報】不当逮捕により、賠償金の上乗せが確定しました


 受付の魔導士は目を皿のようにしてエルレアを見ると、まくしたてるように叫んだ。


「エルレア=アストレインだと!? ここをどこの組織の敷地だと思っている! 不法侵入だ!  追放者の分際で――」


 ドン、と重い音が響く。

 エルレアが懐から取り出した分厚い書類の束を、大理石のカウンターへ容赦なく叩きつけたのだ。


紙の端が広間の冷えた空気を裂いて広がり、魔石灯の光を跳ね返しながら静かに舞い落ちる。


「不法侵入?  勘違いしないで。私は不法に侵入したんじゃなくて、『ツケの督促状』を持ってきた正当な取り立て屋よ」


「な、何だと……!?」


「いい? 専門用語が難しくて分からないなら、もっと簡単に言ってあげるわ」


 エルレアは淡々と、しかし凄みのある手際で書類をカウンターに並べていく。


「『研究のために、ちょっとの間だけ貸してあげる』と言って渡したものを、契約が切れた後も返さず、勝手に使い続けて金儲けをすること。これって世間では『泥棒』とか『横領』って言うのよ。心当たりはあるかしら?」


 受付の魔導士が、呆気にとられながらも書類の文字へ視線を落とした。そこに並ぶリストは、あまりにも具体的だった。


 『最高級の魔石が三十二個、古代の魔力増幅器が七台、魔導計算盤が二台。加えて、それらを無断で使い回して魔塔が得た、すべての研究成果、特許の利益、国との軍事契約で得た裏金。無断使用期間――五年と三ヶ月』


「……というわけで。今までの貸出料に、たっぷり遅延利息を乗せた請求額がこれよ」


 エルレアが書類の一番下に書かれた数字へと、すうっと指先を滑らせる。


 そこに並んだ、天文学的とも言えるゼロの羅列を必死に追いかけた魔導士の顔が、みるみるうちに真っ青に染まっていった。


「貴様、追放された身で――」


「追放?」


 エルレアが冷笑する。


「研究成果を横取りし、責任を押し付け、被害者を排除した側が、よくそんな言葉を使えるわね?」


 エルレアの背後にいたネムがふわりと現れ、紫の瞳を妖しく光らせながら深淵を覗くように書類を見て笑った。


「うわぁ、最悪だねぇ。まるで腐った夢の味がする」


 集まってきた職員たちの背に、言いようのない寒気が流れた。

室温は変わっていないはずなのに、石の床から這い上がる冷気が、足元から静かに骨を冷やしていくような感覚。本能が、「目の前の存在は格が違う」と囁いていた。


「それから、私の研究論文および関連データの閲覧権を要求するわ」


 その時、大理石の床に靴音を響かせながら、傲慢な声がかけられた。


「――おや、誰かと思えば。魔力を失って泥に塗れたはずの、アストレイン家の『おちこぼれ令嬢』ではないかね」


 豪奢な法衣の裾を揺らしながらエルレアたちの前に現れたのは、現在の魔塔を牛耳る五大老の一人、バルツァー魔導伯であった。


その丸々と太った指には、いくつもの不釣り合いな魔石の指輪が光っている。

見せびらかすような、しかし汗で曇った輝き。


 エルレアは、アストレイン家当主の金印が押された「請求書」を片手に、氷のような美貌でバルツァーを見下ろした。


「挨拶なら結構よ、バルツァー魔導伯。私はアストレイン家新当主として、我が家系が過去に魔塔へ『貸し出し』した高位魔道具、および魔石の一斉返還、さもなくば相場価格での強制買い取りを求めに来たの。これが公式な書類よ。……一レームのまかり引きも認めないわ」


「はっ! ハハハハハ!」


 バルツァーは腹を揺らして、部屋が震えるほどの爆笑を上げた。

周囲を囲む彼の私兵魔導士たちも、嘲笑を浮かべる。その笑い声は広間の高い天井に反響し、少しの間だけ残って消えた。


「当主だと? 面汚しとして実家からも追放された無能力者が、小綺麗な外套を羽織っただけで大層な口を叩くものだ。いいかね、アストレイン嬢。かつてお前がしでかした『聖魔獣の暴走』による損失を、魔塔がどれだけ肩代わりしてやったと思っている? お前が持ってきたその書類など、ただの紙屑だ」


 バルツァーが鋭く叫ぶ。


「アストレイン家の令嬢、エルレアは、過去の逆恨みから我が魔塔へ『不法侵入』を企て、さらに貴重な研究資料の『横領』を謀った! これ以上の釈明は無用、即刻、地下牢へぶち込め!」


 バルツァーの合図とともに、十数人の一級魔導士たちが一斉に詠唱を始めた。


 ずん、と重い圧力がエルレアの全身へ叩きつけられた。重力結界。


大気そのものが、目に見えない石板のように変質して全身に食い込んでくる。肺が押し潰され、床板がみしりと悲鳴を上げる。


 両手の魔術印が疼き、呼吸がわずかに乱れるが、彼女は膝を突くことすら拒むように、背筋を凛と伸ばしたままであった。


「おや、大変だ。僕も捕まっちゃーう」


 その隣で、ネムがわざとらしく両手を上げて、捕縛の魔力縄に自ら引っかかりにいった。


「ちょっと、ネム!? あんたの力ならこんな縄、一瞬で消せるでしょ!」


 エルレアは重力結界に必死に抵抗し、途切れ途切れの声を絞り出してネムに呼びかけるが、ネムはどこまでも涼しい顔だ。


「いやいや、抵抗はよくないよエルレア。この塔、僕がいない間にずいぶん良い感じに腐ってきた。もう少し、この『檻の中の匂い』を特等席で味わいたいんだ。だから、一緒に行こう?」


 ネムは秘密を打ち明けるように囁き、楽しげに瞳を細める。その「楽しげ」の奥に、薄く凄みがある。氷の表面に光が射すような、美しくて冷たい何かが、アメジストの瞳の底で揺れていた。


「このゲテモノ食い!!」


 エルレアは押し潰されそうな体を震わせ、小声で恨みがましく睨みつけた。


「ふん、なにをコソコソ。だいたい、魔力もないくせに、虚勢だけは一丁前だな。せいぜい冷たい地下牢で、己の愚かさを呪うがいい!」


「……いいわ」


 エルレアは捕縛されるその瞬間に、狂気的なまでの笑みを浮かべた。


「何だと?」


 エルレアは冷たい鉄格子へと連行されながら、バルツァーを振り返り、その翠の瞳を愉悦に細めた。


「不当な捕縛、および精神的苦痛。これでさらに『賠償金』の上乗せが確定したわ。バルツァー、あんたの資産も含めて、この魔塔のすべてを私が買い叩く日を楽しみにしておきなさい」


「……っ、早く連れて行け!!」


 バルツァーが怒りで顔を真っ赤にして叫ぶ声を背に、エルレアは優雅に歩を進める。


 こうして彼女は、自ら進んで魔塔の最も深い「地下牢」へと足を踏み入れるのだった。



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