第53話 今さら遅いわ、ご先祖様!(あいつはとっくに目覚めてます)
一時間後。
「ぎゃあっ!?」
エルレアは情けなく尻もちをついた。目の前で、不気味な舌を出したピエロの頭がぷらぷらと、バネの先でこちらをあざ笑うように揺れている。
部屋の冷えた空気に、金属のバネの音が間の抜けた余韻を残した。
「何千年前のびっくり箱よ! もう、この部屋ガラクタしかないじゃない!」
怒りに任せてエルレアが手元にあった曽祖母の書物を乱暴に開くと、それはただの「イケメンの肖像画集」だった。
妖しく、蠱惑的な美青年の絵ばかりが並んでいる。
エルレアがふと顔を上げると、隣で退屈そうにしていたネムと目が合った。
なんだか、絵の男たちと雰囲気がそっくりだった。
エルレアが無言でそっと本を閉じると、ネムは腹を抱えて笑い転げ出した。
「あっはっはっ! 笑いすぎて涙が……はぁ、何だか代々のアストレイン家の『趣味』が詰まった部屋って感じだね」
「もう! ネム! あんたもこのガラクタの山と一緒に処分してやる!」
ネムの笑い声が、埃っぽい部屋にいつまでも響く。
その残響がふっと途切れた瞬間だった。
エルレアの指先が、棚の奥に埋もれていた「それ」に触れた。
異様なほど冷たい。温度というより、空気ごと抜き取られたような冷え方だった。
まるで、石そのものが熱を拒絶しているかのように。
その瞬間、首筋の刻印が焼けるように疼いた。
エルレアの呼吸が止まる。
――この感触を、忘れるはずがない。
「……これ、見覚えがあるわね」
棚の最奥。埃を被ったガラクタの中で、それだけが妙に「冷えて」いた。
黒ずんだ石片。だが表面には、生き物の血管のような歪な紋様が、今もなお脈打つように刻まれている。まるで、古い傷跡が夜になると疼くように。
それは、かつて廃神殿から魔塔に運び込まれ、彼女自身の人生を狂わせるきっかけとなった「聖魔獣の核」――その傍らに、呪いのようにつなぎ合わされていた石板の、欠片だった。
(アストレイン家は元々、高位の魔導士の家系。とはいえ、なぜこれが……エクスの石板がうちの秘蔵庫に?)
エルレアが眉をひそめて石板の表面をなぞっていると、
「……まだ残ってたんだ。そうか、これがこの屋敷の結界に影響してたのか……」
ぽつりと、頭上から降ってきた呟きに顔を上げた。
いつの間にか背後に音もなく立っていたネムが、アメジスト色の瞳を細めて石板を覗き込んでいる。
その瞳からいつもの気怠げな熱が消え、まるで数千年の時を隔てた遠い過去を見つめるような、冷徹で深遠な光が宿っていた。
「ネム、これ読めるの!?」
「うん。言ったでしょ、僕は『偉い夢魔』なんだよ」
「うんうん、偉い偉い! 賢い電池ね! 続きを早く読んで!」
「何だか扱いがぞんざいなんだよなぁ。本当に、世界がひっくり返るくらい『偉い』のに……」
ぶつぶつと不満を溢らしながらも、ネムは長い指先で古代文字をなぞり、その冷徹な響きを紡ぎ出した。
『何人も、彼の眠りを冒すことなかれ』
刹那、部屋の空気が凍りついたように静まり返った。
魔導ランプの灯りがジリジリと微かに爆ぜる音だけが響き、二人の影を壁に歪に引き伸ばす。
石板から滲み出す冷気が、皮膚の表面を低く這うように広がっていく。数千年前の警告が、重苦しく鼓膜にまとわりついた。
――沈黙を破ったのは、新当主の容赦のない咆哮だった。
「今さら遅いわよ、ご先祖様っ!!! あいつはとっくに目覚めて、私の魔法を奪って、今もストーカーみたいに付きまとって来てるわよ!!」
何の役にも立たない過去の遺物に容赦なく毒づきながらも、エルレアの頭脳はすでに超高速で計算を弾き出していた。
アストレイン家とエクス、そして彼を研究していた魔塔との繋がり。今ある最悪な手札。ならば、この破滅的な状況を、どうやって「利益」に変えるか。
(……待ちなさい。売れる財産なら、あそこに山ほどあるじゃない)
脳裏に、かつて自分がいた場所が浮かぶ。アストレイン家が魔塔へ提供した数々の機材。
そして、自分が追放された時に置いていかざるを得なかった、未発表の論文や魔道具の数々。
エルレアの翠色の瞳に、冷徹なまでの「強欲」の灯がともる。
「いいわ。ここに売れる隠し財産がないなら、話は簡単よ。かつてアストレイン家が、そして私が魔塔に『貸し出してあげた』膨大な資産を、利息つきで全額回収しに行くだけよ」
エルレアは石板を抱え直し、悪魔のように冷たく笑った。
「ひっひっひっ。今度はこちらが、魔塔を査定する番ね。一つ残らず、利息つきで毟り取ってやるわ」
「……うわぁ、悪役の顔をしてるよエルレア。でもまあ、僕もあの退屈でカビ臭い塔にはちょっとした『貸し』があるしね」
ネムはくすりと意味深に笑うと、呆れ果てるエルレアをよそに、肖像画集を枕にしてさっさと寝転がった。
――こうして、破産寸前のアストレイン家新当主による、史上最も強欲で容赦のない「魔塔取り立て計画」が幕を開けたのだった。




