第52話 新当主の初仕事が「実家の追い剥ぎ」だった件 ※尚、無駄な色気は経費削減対象です
「……は? これがアストレイン家の、全財産の帳簿?」
アストレイン家新当主となったエルレア=アストレインは、書斎の大金庫を開けた瞬間、その場に凍りついた。
夕暮れの残光が窓から差し込み、金庫の内側を橙色に染めている。そこに並んでいたのは、まばゆい金貨の山ではない。
ネムがエルレアの後ろからひょいと覗き込み、中に押し込まれていた紙束を容赦なく引き抜いた。紙の端が乾いた音を立てる。
「わぁ、大変だ。『借用書』と『督促状』のフルコースだね!」
人ごとのように、実に楽しそうにネムが言う。その声は、まるで面白い本の一節を読み上げるみたいに軽かった。
「あの馬鹿ども……!」
前当主である父と義母たちの顔が脳裏をよぎる。彼らはエルレアを面汚しとして追放した裏で、底の抜けた桶みたいに家の財産を食い潰していた。
端的に言えば――アストレイン家は、没落していた。
「私の資産を勝手に食いつぶすなんて万死に値するわ。ドレスの端切れ一枚、ピアス一個にいたるまで、倍にして毟り取ってやる……!」
徹底した合理主義者である彼女が、このまま破産に甘んじるはずがない。
「ネム! 屋敷中の家探しよ! 金目のモノは全部叩き売って現金化するわ!」
「あはは、子爵当主のセリフというより、ただの追い剥ぎだね」
ネムの的確なツッコミは無視して、エルレアは屋敷内の各部屋を総ざらいした。父と義母の宝飾品や調度品、義妹ジェシカの無駄に高いだけの派手なドレスたち。
「……はぁ、これだけ? 全く足しにもならないわね」
売れそうな家具まで勝手に査定し終わる頃には、窓の外の夕日はすっかり落ちていた。
灯りのない部屋は青い薄闇に沈み、エルレアが手にした帳簿の数字だけが、魔導ランプの光の輪の中で生々しく並んでいる。
ネムはいつの間にかソファの上に溶け込むように倒れ(寝て)いた。
この役立たずの「スライ夢魔」もソファごとセットで売ってやろうかと、エルレアが本気で計算を始めようとした時、控えめなノックが広間の扉を叩いた。
「エルレア様、お夕食の準備が出来ました」
呼びに来たのは、若い侍女のメリーだった。
「今、行くわ」
エルレアは短く返事を返し、「このソファは僕のお気に入りだから売りたくない」と駄々をこねるネムの襟首を掴み、引きずりながら食堂に向かった。
屋敷にいた不忠な使用人のほとんどをすでに解雇したため、今この館に残っているのは、侍女のメリーと、エルレアの乳母のマーサ、そして亡き母の時代から仕えてくれている老執事のセバスチャンの三人だけだ。
「まだ売れるような物……貴重な魔道具とか、隠し財産とか……徹底的な経費削減……」
エルレアはぶつぶつと呪詛のように呟きながら、当主になっても相変わらず具材の少ない薄いスープを口に運んだ。
食堂の暖炉が低く唸り、揺れる炎が石壁に三人の影を踊らせている。
「時にエルレア様。もうすでにご当主様の部屋には入られましたか?」
セバスチャンがスープを注ぎ足しながら、ふと思い出したかのように声をかけてくる。
「入ったけど、金目の物はすでに運び出したわよ」
「いえ、そうではなく、当主の金印を使って入る『奥の部屋』でございます」
エルレアはハッとして顔を上げた。
母に生前「決して近づいてはならない」と立ち入りを禁じられていた、当主権限の魔力キーでしか入れない「最深部の秘蔵部屋」を思い出す。
「でかしたわ、セバスチャン!」
エルレアは貴族としての礼儀などかなぐり捨て、スープを一気に口にかき込むと、勢いよく席を立った。
食堂から足早にやって来た、主寝室。
その壁にある年代物の本棚をずらすと、取手のない小さな隠し扉が姿を現した。エルレアが懐から出した金印をかざすと、扉が陽炎のようにゆらりと揺れる。
手を差し向けると、視覚的にはそこにあるはずの扉をすり抜け、手首までが壁の奥に吸い込まれた。
空間遮断の結界だ。
中に入ると、自動的に魔導ランプに青白い灯りがともり、部屋いっぱいに乱雑に積み上げられた古い魔道具や古書を照らし出した。
黴と乾いた紙の匂いが、封じ込められていた時間ごと、どっと押し寄せてくる。
「さあ、ネム! 今こそ役に立ってもらうわよ! さもなければ、身体で払ってもらうわ!」
「……そんな、エルレア、大胆。でも僕、そっちの『身体で払う』方が得意分野だから任せて♡」
ネムが唇の端を妖艶に舐め、わざわざ頬を上気させてエルレアの耳元で甘く囁く。
「何のことよ!! 無駄な色気は一番の経費削減対象よ!」
やいやいと言い合いながら、埃っぽい部屋の棚を片端からひっくり返し、家探しを始める。




