第5話 「もうお婿に行けない」――淫靡な夢魔が銭ゲバ魔導士の永久機関(電池)になるまで
煌々と月が街を照らす夜、エルレアは目の下に隈を刻みながら、爛々とした目で魔道具の設計図を睨んでいた。
ギルドの依頼だけでは魔石を稼げない為、時折こうしてエルレアは魔道具を作っては売っている。
彼女はいつも魔道具を作り始めると、社畜根性が目覚めるかのように、出来上がるまでの期間、朝方まで作業をして夢も見ずに寝落ちする日々を過ごすのだ。
「ねえ……お腹空いた。もう、動けないよ……」
だが、これまでエルレアと我慢比べのようにしていて、何日も夢を食べていないネムが、ついに根を上げた。
ソファから、溶けかけた飴のような甘い声が漏れる。ネムは着崩したシャツから白い肩を覗かせ、潤んだ瞳で彼女を見上げていた。
これ以上ないほど「守ってあげたい夢魔」の演出だ。もはや、夢魔の本能を隠すつもりもないらしい。
「今、この魔力伝導率の計算で忙しいの……ごはんが欲しければその辺に転がってる鉄屑でも齧ってなさい」
しかし、エルレアは一瞥もくれず、ペンを走らせる。計算機を叩く音だけが部屋に響いていた。
「……冷たいなあ。一口だけでいいのに。……ねえ、こっち向いてよ……」
ネムが背後から這い寄り、エルレアの首筋に甘く鼻先を寄せる。
ネムの薄明の空のような薄紅色の髪が、彼女の深い琥珀色の髪に溶け、二人の境界線を曖昧にするように絡みついた。
だが、ネムの熱い吐息が皮膚を撫でても、エルレアは眉ひとつ動かさない。
「しつこいなぁ。アンタに割く時間は一秒も――」
振り払おうとした手を、ネムがおもむろにつかんだ。
「……あーあ。交渉決裂」
次の瞬間。ネムの瞳から温度が消えた。
彼は使い古した魔道具のコンセントを抜くような気軽さで、掴んだ手首に唇を押し当てる。
「――っ」
ぶつっ、と視界が暗転した。
情緒も予兆もない、あまりに事務的で無慈悲な強制シャットダウンだ。
夢魔は『精神に近いもの』ほど干渉しやすい。
夢、悪意、執着、恐怖――そういう形の曖昧なものは、ネムにとって餌であり、玩具でもあった。
「ふふ……君がいけないんだよ?僕にこんなにおあずけをするから」
ネムは机に突っ伏して眠るエルレアを見下ろし、妖艶に舌なめずりをする。
「可愛い寝顔だね……美味しそう♡」
その姿は、普段のやる気のない姿からは想像できない、夢魔らしい淫靡な雰囲気を纏っていた。
ネムはゆっくりエルレアの耳元に唇を近づけると、深淵から響くような、重く甘い響きで囁いた。
「いただきまぁす」
甘く細められていた瞳が、ゆっくりと獣のように縦へ裂けていく。次第に二つのアメジストの光が闇に浮かび上がった。
「……はっ!」
エルレアが次に目を開けた時、そこは光り輝くステージの前だった。
「――ねぇ、エルレア。僕の隣で、永遠の愛を誓ってくれるかい?」
ぐっ、と腕を引かれて、ステージに引き上げられると、目の前にいたのは、今、魔塔周辺の令嬢たちの間で絶大な人気を誇る『アイドル魔導士・カイル』だった。
本物の第五王子様にして、上級魔導士。
王位継承権の順位は低いが、その分自由に振る舞い、会える王子様として令嬢からも絶大な人気を誇っている。
キラキラとした魔法の光を背負い、完璧なアイドルスマイルで跪いている彼こそが、ネムが提示した「最も魔力を収穫しやすい極甘の誘惑」だった。――が。
「…………はあぁぁぁぁ」
エルレアの口から出たのは、甘い吐息ではなく、底冷えするような長いため息だった。
「ちょっと、ネム! よりによって何でカイルなのよ! こいつが実験の後始末をグチグチ言いながら、私の部屋の掃除をしてる時の小姑みたいな顔を知らないでしょ!? 夢の中でまで説教されるなんて御免だわ!」
夢の世界の『カイル』が、凍りつく。
「えっ、あ、……いや、僕は君に愛を……」
「愛? 資源の間違いじゃないの? そもそもカイルのその笑顔、裏で私の予算書を改竄してる時の『この項目、削ってもいいよね?』って顔と同じよ!反吐が出る!」
エルレアは懐から魔石を取り出し、不敵に笑う。
「極彩色のステージの夢ってのは、こう言うことよ!!降らせるなら花吹雪じゃなくて、金貨にしなさーい!」
瞬間、魔石が弾けて色とりどりの魔法が連鎖するように七色に爆発した。
「ひーっひっひっ!みんなまとめて研究費にしてやるー!」
パキィィィィン!!
鏡が割れるような凄まじい音と共に、きらびやかなステージが粉々に砕け散る。
「……しまった。エルレアはカイルと元同僚だった……」
ネムの呟きは、砕けた夢のかけらと共に消えていった。
夢の終わりに、ガラスの割れるような音がして、エルレアは、ハッと目を覚ました。
鳥が朝を告げて羽ばたく音が聞こえる。
「ん?」
何故か体が重い。服をはだけさせたネムが、死んだようにエルレアに覆い被さっていた。
「ひやぁ!」
エルレアは、赤くなって悲鳴をあげる。その声に反応してネムが薄く目を開いた。気だるい表情が朝から妙に色っぽい。
「ちょっと!何するの!?お嫁にいけなくなったらどうすんのよ!」
ネムは唖然としながら、ゆっくり体を起こし、眉根を寄せる。
「……???君、夢の中と違いすぎない?」
エルレアは欲望が強くなる夢の中で、恋や愛よりも大暴れする事を優先したのだ。
ネムが解せぬ……という顔をしている。
尚もぶつぶつ呟くネムを他所に、ふとエルレアは枕元に何か小さく光るものが落ちている事に気づいた。
「ん?」
拾い上げて、よく見たその瞬間、エルレアは目を輝かせた。
「ね、ねえ、これ……魔石よね!? 小さいけど、結晶の密度も高い……。ひっひっひっ、最高じゃない!」
ネムの夢を破った事により、魔物を倒した時に得られる魔石を得たのだ。
エルレアの瞳が、獲物を狙う獣のように熱を帯びた。
ネムは両腕で自らを抱きしめるようにして小さく距離を取る。悪魔に追い詰められた少女のようだ。
「急に怖いんだけど……」
「乙女に向かって“怖い”とは何よ失礼ね!」
エルレアはいいながら、がばっとネムを抱きしめた。いや違う。羽交締めだ。
「離さない……もう、一生離さないわよ!ネム!」
「……それ、普通はプロポーズの言葉なんだけど。君が言うと、逃げようとする家畜を囲い込む宣言にしか聞こえないね」
「最高の電池を手に入れたわ!安心なさい、三食昼寝付きで、死なない程度に絞り尽くしてあげるわ!」
「あ、やっぱりそうなるんだ……僕、もうお婿に行けない……」
ヨヨヨ、とわざとらしくネムは顔を背けた。




