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第4話 朝起きたらベッドに見知らぬ美形ニート(夢魔)が転がっていました



 シャワーを浴びて一息つくと、質素な宿の机に鎮座する、部屋の格に見合わない豪華な小箱が目についた。


(魔塔の紋章……。元々は魔塔で研究されていた、非公開の試作品かしらね)


 おそらく下級研究員が小遣い稼ぎに流出させたのだろう。だが、本来なら魔塔の管理品が市井に漏れるなど、万死に値する失態だ。


(昔ならあり得なかった。魔塔も質が落ちたものだわ……)


 かつての職場に毒づきながら指輪を眺めていると、泥のような睡魔が襲ってきた。


「ふあぁ……何だか今日は、歩留まりが悪すぎる、わ……」


 エルレアはそのまま机に突っ伏し、心地よく深い意識の底へと沈んでいった。

 ――窓も開いていないのに、カーテンが音もなく揺れる。


「……おやすみ、エルレア」


 寝入った彼女の左手を、白く長い指がそっと掬い上げた。指先を愛おしげに滑り、なぞる。


「良い夢を」


 影が身をかがめ、眠るエルレアの頬に、熱を奪うような冷ややかな唇が重なった。


 翌朝、容赦のない朝日が瞼を突き刺し、エルレアの意識を強制浮上させた。


(……何か、あったかいわね?)


 昨夜は机で力尽きたはずだが、背中には上質な羽毛布団の感触がある。


「……ん?」


 自分の腰に、見覚えのない「重厚で体温の低い肉塊」が絡みついていることに気づいた瞬間、エルレアの心拍数は垂直立ち上がりを記録した。


「……!?!?!?!?」


 ぎぎぎ、と油の切れた人形のような動きで横を向く。

そこには――無駄に整った顔を無防備に晒し、吐息が届く距離で熟睡する彫刻のような男がいた。


「ぎゃああああああああああああ!!」


 渾身の蹴りが男の脇腹を捉え、彼は文字通り床へと転げ落ちた。だが男は床に衝突してもなお、幸せそうに寝息を立てている。


「し、死んだ……? いえ、死んでてくれた方が清算が早いわ……」


 震える手で乱れた髪を掻き上げようとしたエルレアは、指先に走った「異物感」に凍り付いた。


 ――左手の薬指に、あの忌々しい『恋に効く指輪(マスター版)』が、まるで最初から体の一部だったかのような顔をして鎮座していた。


「ひ、ひいぃぃっ!? 抜けない! 嘘でしょ、潤滑油! 誰か食用の油でもいいから持ってきて!!」


 回しても、力任せに引っ張っても、指輪は皮膚に同化するように密着している。


「ま、魔石魔法で指ごと破壊して再生魔法で――あ゙い゙だだだだだ!!」


 魔石を手にし、手の魔術印に意識を集中したその瞬間、脳を針で突き立てられたような激痛が走った。


「なな、なんなのこの特級呪物……ッ!」


「あー……それ、無理矢理外したり壊したりすると、精神ごと粉砕する仕様だからおすすめしないよ?」


 背後から聞こえた、鼓膜を甘く撫でるような間延びした声。


 振り返ると、床に落ちたはずの男が、いつの間にかベッドの上で頬杖をついてこちらを見上げていた。


 寝起きの気だるさを色気に変換して振りまきながら、男は当然のように微笑む。


「――おはよ。僕の『飼い主』さん」


「この寄生虫! 今すぐこれを外しなさい! 精神的苦痛と不法侵入による損害賠償、一秒ごとに複利で加算するわよ!」


「えー……無理だよ。僕、君のこと『投資先』として最高に気に入っちゃったんだよね。魔力は大量だし、精神もタフだから、僕がどれだけ吸っても(寝ても)君は衰弱しない。こんな優良物件、二度と手放せないよ」


「堂々とニート宣言をするな! この高コストな居候!」


「ちゃんと役に立つって。ほら僕、これでも夢魔の端くれだし? 君の嫌いな奴を夢の中で破産させてあげてもいいし……寂しい夜の『話し相手』も、特別サービスしちゃうよ?」


「無闇に色気を撒き散らすな! 私の資産価値が下がるでしょ!」


 最早自分でも訳のわからない絶叫をしていたエルレアの視線が、机の上に置かれたままの「魔塔時代の論文」に落ちた。


「はっ!……そうよ、魔塔!」


(……コレは話にならないし、こうなったら、こんな不良在庫を流出させた下級研究員をとっ捕まえて、販売流通責任を全額精算させてやればいいんだわ!)


 沸々と湧き上がる怒りと殺意を「これは将来的な賠償金になる」と脳内で現金に換算することで、エルレアはようやく冷静さを取り戻した。


「で、あんた名前は?」


「名前? ないよ。みんな好きに呼んでるし……王子様とか、魔王とか? ……ふぁ、ねむ……」


「……じゃあ、ネムね。短くて台帳に書きやすいわ」


「え? 雑じゃない? 僕の希少価値、もっと高く見積もってよ」


「十分よ。それより、あんたが魔塔から流出した経緯を吐きなさい。一文字につき銀貨一枚の価値があると思って喋るのよ」


ネムが欠伸混じりに語った真相は、呆れるほどに救いようのないものだった。


 かつて、彼が長い眠りについている頃、欲に目の眩んだ魔塔の研究員達が、管理の目を盗んで保管庫から“マスター品”を盗み出していたらしい。


 ネムの魔力が強く染み込んだ指輪。本来は封印指定されていた危険物だ。

 だが連中は、それを勝手に弄んで解析し、粗悪な模造品を量産。


 挙げ句の果てには、本物の指輪まで「恋に効く特級品」などという間抜けな看板を掲げ、何も知らない貴族令嬢へ売り払ったのだ。


「――つまり、魔塔の連中は横領と違法売買を同時にやらかしたってことね」


「そうそう。しかも、あれ僕の意識と繋がるからさ。勝手に持ち歩かれて、四六時中揺さぶられて……僕、寝心地悪くて最悪だったよ」


 ネムが溜息を吐きながら嘆くように言う。


「最低ね……」


エルレアは額を押さえた。


「……いいわ。その連中を叩き潰して、私の精神的苦痛と休業損害を全額精算してもらうわよ」


 エルレアはネムを引っ掴み、サーシャが言っていた流行の指輪店へ向かった。



 広場の一角にある店は、乙女心をくすぐるパステルカラーの外装と愛らしい雑貨に溢れ、呪いの元凶が潜んでいるとは思えないほど平和な空気を醸し出している。


「あそこね。ひとまず、向かいのベンチで網を張るわよ」


 並んで腰を下ろして数分。通りがかる女性たちが、次々とこちらに熱い視線を送ってくることにエルレアは気づいた。


(見張りがバレた……? いえ、この感覚は……)


 エルレアが視線を辿ると、隣でシャツのボタンを無駄に開け、物憂げな表情で陽光を忌々しげに睨むネムがいた。無意識に撒き散らされる色気の猛威。


「ちょっと! 目立ちすぎよ、あんた! 私たちの目的を忘れたの!?」


「そうは言っても……不可抗力だよ。僕、夢魔だよ? 太陽に課税してほしい……存在しているだけで溶けそう……」


 ネムがピンクのスライムのようにエルレアの背中にへばりつくと、周囲から「きゃっ、大胆!」「公衆の面前で……!」という黄色い悲鳴と囁きが聞こえてくる。


(ちっがーう!! 痴話喧嘩でも密会でもなーい!!)


 エルレアは叫び出したい衝動をグッと堪え、この「目立ちすぎたことによる業務妨害」の被害総額を脳内で弾き出すことで精神の平衡を保つ。


 このスライ夢魔は、見張りとしてはマイナス資産でしかなかった。

 

 やがて、エルレアの脳内で被害総額が天文学的な数字になる頃、店の裏口から魔塔の制服を着た男たちが、コソコソと木箱を運び出すのが見えた。


「ターゲット確認。……ひっひっひっ、いい利息がつきそうね!」


エルレアは路地裏に潜み、男たちが角を曲がった瞬間に術式を展開した。


「そこまでよ、泥棒猫さんたち!」


「な、なんだ貴様は!?」


「貴方たちに売る名前はないわ。ただ、私が被った『魔物これに取り憑かれた被害』の慰謝料を請求しに来ただけよ」


 エルレアは手の甲の魔法陣が疼くままに、魔石を指先で弾いた。圧縮された魔力が男たちの足元を正確に爆砕し、逃げ道を塞ぐ。


「ひぃっ! 魔法が、魔法が使えない!?」


 弾いた魔石に込めた魔術結界は十分に機能しているようだ。エルレアはニタリと笑った。


「無駄よ。貴方たちの拙い魔力は、私がすべて『徴収チャージ』したわ」


 エルレアは腰を抜かした研究員たちを問答無用で縛り上げると、懐から、売り上げと思われる金貨袋を鮮やかにひったくり、木箱中のコピー指輪をすべて没収した。


 そのまま、エルレアは手紙と共にコピー品を転送用の魔法陣に放り込む。


 宛先は、魔塔時代の先輩――偏屈だが不正を最も嫌うグレイだ。彼なら文句を垂れながらも、適切に「監査」の手続きを進めてくれるだろう。


「魔塔の本部に『内部告発』を入れておいたわ。じきに回収班が来るでしょう。貴方たち、もうキャリアもおしまいね」


 足元で泣き喚く研究員たちをゴミを見るような目で見下ろし、エルレアは懐の金貨袋を揺らして、満足げに微笑んだ。


「ひっひっひっ。ようやく今日の宿代と、このニートの食費分くらいは回収できたわね」


「ひどいなぁ、食費じゃなくて維持費って言ってよ」


 ネムの気だるいツッコミを完全にスルーして、エルレアは軽やかな足取りで踵を返した。





――魔塔・地下解析室。

 そこは、整理整頓という概念が死に絶えた、紙片と魔導回路の墓場だった。


「……あー、めんどくさい。死にたい。いや、死ぬ前にこの未処理案件をすべてシュレッダーに放り込んでから死にたい。ついでに、この予算案を通した上層部の脳みそも一緒に裁断してやりたい……」


 グレイは呼吸するように呪詛を吐きながら、ボサボサの頭を掻きむしり、三杯目の冷めきった泥のようなコーヒーを啜った。


 目の下の隈はもはやタトゥーのごとく定着し、ヨレヨレの白衣は出所不明の薬品シミだらけだ。

 しかし、その指先だけは精密機械のように、魔導計算機の鍵盤の上で残像を残して踊り続けている。


 その時、室内の転送用魔法陣が鈍く光り、一枚の手紙と数個の魔道具が、無造作に吐き出された。


「……誰だよ、このクソ忙しい時に。外部からの解析依頼? 優先順位もわからんのか。脳みそが腐っているのか。それとも今すぐ死にたいのか。俺は死にたいぞ……」


 悪態をつきながら、グレイは片手でその手紙をひったくった。即座にゴミ箱へシュートするつもりで一瞥した彼の目が、数行読んだところで、見開かれた。


「…………は?」


 コーヒーのカップを置くことすら忘れ、彼は書類に食い入った。


 筆跡は乱暴で、殴り書きに近い。だが、術式の組み方は吐き気がするほど合理的。そして「一銭の魔力も無駄にしない」という執念すら感じる、極限までコストカットされた論理構成。


「この解析精度。魔力の指向性の読み方……。……あのアホ(エルレア)か。辞めてから数年、いよいよ銭ゲバに磨きがかかってやがるな」


 同時に送られてきた指輪型魔道具の残骸を確認し、それが魔塔の管理下から流出した禁忌品であることを瞬時に理解した。


 グレイは即座に連絡用ゴーレムを起動させると、警備兵へ位置情報を転送し、該当する下級魔導士の「回収」を指示した。

 その動きには、事務的な冷徹さと、かつての後輩を泥にまみれさせた腐敗に対する、静かな怒りが混じっていた。


――あの「追放事件」以来、魔塔の内部は急速にその形を変えていた。


 元々姿を見せなかった魔塔主の行方は完全に途絶え、実権を握る「代理人」の支配下で、組織の末端は急速に腐り始めていた。


「ちっ、あいつが居なくなってから、ゴミのような雑務が全部俺に回ってきてるってのに……一体どこで何をやってるんだ、あの放蕩塔主は」


 グレイは、ずれた眼鏡を雑に押し上げながら椅子に深く座り込み、天井の剥がれかけた塗装を仰いだ。

 エルレアが今の魔塔を見れば、間違いなく「清算価値もない不良資産の塊ね」と鼻で笑うだろう。


「……ま、元気そうで何よりだ。クソ後輩め」




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