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第3話  恋の幻想は不良債権!全資産差し押さえと、目覚めたら謎の指輪



 空がどろりとした茜色に染まる頃、魔石屋での補給を終えたエルレアは、依頼元である男爵家の屋敷の前に立っていた。


 重厚な鉄柵の向こうにそびえる館は、夕闇に沈んで不気味な静寂を纏っている。


「どうぞ、こちらへ」


 門前でギルドの依頼書を提示すると、重苦しい空気を纏った執事が、音もなく案内を始めた。

手入れの行き届いた調度品さえ、主を失ったかのように光を失って見える。


 応接室で待つこと数分。扉が開くと同時に現れたのは、数日で十歳は老け込んだのではないかと思わせる、やつれた顔の男爵夫妻だった。


「魔導士様……どうか、レナを、娘を助けてください」


 エルレアと視線が合った瞬間、夫人は力なく膝から崩れ落ちた。

それを支える男爵の手も、小刻みに震えている。ソファへ腰を沈める二人の顔には、深い絶望の隈が刻まれていた。


「あらゆる高位神官を呼び、浄化を試みました。しかし、何一つ効果がないのです。娘はただ、幸せそうな寝言を繰り返しながら……刻一刻と痩せ細っていくばかりで……」


 縋りつくような男爵の声。かつては華やかな社交界の主役であっただろう夫妻の、精神的な限界はすでに目前に迫っている。


(高位神官の浄化が効かない、か。……「呪い」じゃないわね、これは)


 エルレアは、差し出された極上の紅茶を一口だけ含んだ。高級な茶葉の香りを堪能する暇もなく、彼女は流れるような動作でソファから立ち上がる。


「状況は把握しました。まずはお嬢様の状態を検分させてください。商談を成立させるのは、それからです」

 


 令嬢の寝室へ足を踏み入れると、そこには異様な光景が広がっていた。

 ベッドに横たわる少女は、この世のものとは思えないほど幸福な笑みを浮かべて微睡んでいる。

しかしその頬は削げ、肌は生気を失った陶器のように青白い。衰弱の度合いは、一刻の猶予も許さないことを示していた。


 エルレアは懐から予備の魔石を一つ取り出し、令嬢の周囲を慎重に読み取る。

魔力の波長を読み解く指先が、一点、どす黒く淀んだノイズを捉えた。


「奥様、お嬢様が最近身につけているこの指輪……心当たりは?」


 エルレアの鋭い指摘に、母親が震える声で応じる。


「……それは、一ヶ月ほど前に買い求めた、流行りの『恋に効く指輪』ですわ。ちょうど素敵な婚約者が決まった時期もあって、あの子、ずっと夢見心地で大切に……」


(またこれ(不燃ゴミ)か)


 エルレアは内心で舌打ちした。ギルドの受付嬢が自慢していた「情報の不法投棄」と同じ出所。

 だが、令嬢の指で鈍く光るそれは、市販品よりも遥かに装飾が細かく、脈動する血管を模したような禍々しさを放っていた。


「原因は特定しました。お嬢様の精神に潜り、この元凶を『精算』してきます。ただし――」


 エルレアは背筋を伸ばし、男爵の目を真っ直ぐに見据えて人差し指を立てた。


「事態の深刻さに応じて追加費用が発生した場合は、一割の利息を上乗せして請求いたしますわ。私の精神労働は、そこらの神官の祈りより高くつきますから」


 絶句する男爵夫妻を半ば強制的に部屋から退避させると、エルレアは寝室に強固な遮断結界を張り巡らせた。


 沈黙の降りた室内で、眠り続ける令嬢の手を取る。


 その瞬間、エルレアの肌をねっとりとした不快な魔力が這い上がった。

指輪はドクンドクンと生き物のように脈打ち、令嬢の細い指から生命力を無慈悲に毟り取っている。


「……反吐が出るほど趣味が悪いわね。恋の幻想まやかしを見せ、その対価に命を担保に取るなんて。明らかな過剰融資だわ」


 エルレアは令嬢の傍らに座り込み、懐から一際輝きの強い最高級の魔石を取り出した。


 自身の魔力を令嬢の精神波長と同期させると、両手の魔術印が淡く光を湛え出した。そのまま額に指先を沈める。


「さあ、お仕事開始よ。……私の貴重な時間を奪った利息、たっぷり払ってもらうわよ?」


 視界がぐにゃりと歪み、物理法則が溶けていく。

 次の瞬間、エルレアの意識は、吐き気を催すほど甘ったるい花の香りが漂う「恋の迷宮」へとダイブした。


「ああ、レナ。君と結婚する日が待ちきれないよ……」


 精神世界へ降り立つなり、白馬に乗った王子様さながらの幻影が、甘ったるい台詞を吐きながら現れた。令嬢は頬を染め、うっとりとその男を見つめている。


 だが、エルレアの反応は冷淡そのものだった。


「……ん? ちょっと、あんた……昼間に広場で女の子に叩かれてた浮気男じゃない!」


「えっ?」


 エルレアの怒声に、令嬢が肩を跳ねさせる。


 本来、精神潜入のセオリーは、対象と対話し、呪いの核を慎重に探り当てることだ。

しかし、エルレアにそんな無価値な情緒は一銭も持ち合わせていない。


「どきなさい、この不良債権! 維持費の無駄よ!」


 エルレアは魔力を練り、指先で魔石を粉砕した。引き出された雷撃が、王子の顔面を容赦なく直撃し、その端正な顔を消し飛ばす。


「なっ……あがぁっ!?」


 幻影が悲鳴を上げて霧散するが、エルレアの進撃は止まらない。令嬢は、目の前で魔王のごとく暴れ狂うエルレアを呆然と見上げていた。


「この花畑も、この青空も、全部私の魔力を燃料に維持してるんでしょう? 冗談じゃないわ、一秒ごとに経費コストが跳ね上がってるじゃない!」


 彼女は突き進む。


「こんな安っぽい幻想で人を縛り付けるなんて、反吐が出るわ!」


 現れる「運命の出会いの街角」を爆破し、「雨の日の相合い傘」を嵐で吹き飛ばし、夢の住人が差し出す「愛の証」をすべて魔石化して没収チャージしていく。


「ひーっひっひっ! 業務効率化! 全資産差し押さえよ!」


 まさに歩く更地化マシン。


 不意に足元の感覚が消え、世界が真っ白に塗りつぶされた。


(――ここが、深層意識)


 すべてのまやかしが剥ぎ取られた虚無の空間に、一脚の豪華なソファだけが置かれていた。


 そこには、路地裏で殴り飛ばしたはずのあの男――薄紅色の髪の夢魔が、欠伸をしながら寝そべっていた。


「……あーあ。せっかく綺麗にデコレーションしたのに。君、本当に容赦ないね」


 夢魔は気だるげに身を起こすと、特等席で劇を鑑賞していた観客のように、満足げに目を細めた。


「どう? 私の『精算』の手際は。……あんたがこの詐欺事件の元締めね?」


「元締め? まさか。僕はただ、お腹が空いたから、適当な苗床ゆびわに寝泊まりしてただけだよ。そうしたら、あのおバカな魔導士が、僕から漏れ出たほんの少しの魔力を『恋に効く特級品』なんて勘違いして、勝手に僕を運んでくれたんだ」


 夢魔はふらりと立ち上がり、エルレアの眼前に歩み寄る。


 精神世界での彼は、現実よりもずっと色濃く、圧倒的な存在感を放っていた。


「でも、決めたよ。……この子の夢は、甘すぎて飽きちゃった」


 夢魔の白い指が、エルレアの髪に触れる。


「君の心は、強欲で、濁りがなくて、すごく美味しそうだ。……うん。僕の『飼い主』には、君の方がふさわしい」


「は? 何を訳のわからないこと――」


 長い指が言葉を塞ぐように触れ、エルレアの唇をなぞった。


「食べたい。……君のそれ、甘くないのがいい」


「は、話を聞きなさいよ!」


 エルレアは夢魔の手を思い切り振り払う。だが彼は意に介した風もなく、両手をひらひらさせて楽しそうに笑った。


「……じゃあ、現実おもてで待ってるよ」


 夢魔が指を鳴らした瞬間、エルレアの視界が強制的に暗転した。


「待ちなさ――!」

 

「――い!!」


叫びながら目覚めると、そこは現実の、令嬢の寝室だった。


ベッドの上の令嬢は、まるで長年の憑き物が落ちたような、清々しい顔でまどろんでいた。


「……お腹が空きましたわ。お母様、特製のキッシュが食べたいです」


「レナ、目覚めたのね!ああ……レナ……!」


 部屋に飛び込んできた男爵夫妻が、涙を流して抱き合う。その感動の再会を横目に、エルレアは一人、額の冷汗を拭った。


(……何なの、あの男。これまでに感じたことのない、嫌な予感がするわ……)


 チリチリとした焦燥感に駆られながら、エルレアは近くにいた執事を指先で招き寄せる。


「感動の邪魔はしないわ。報酬は規定通りギルド経由で。……ここに受領のサインを」


 受け取った書類を素早く懐へ仕舞い込むと、エルレアは祝儀の菓子一つ受け取ることなく、逃げるように屋敷を後にした。


 悶々とした違和感を感じながら、軽く夕食を済ませ、夜の帳が降りたギルドへ報告に向かう。


「あ、エルレア! お疲れ様。さっき魔塔の使いの人が来てね、今回の事件の元凶だった『指輪のマスター品』を回収したって。……なぜか、あんたに届けてくれって言われたわよ」


「魔塔が? 珍しく気が利くじゃない。私の貴重な時間を奪ったことに対する、誠意あるお詫びの品かしらね」


「それがね、届けてくれた人がすっごく格好いい人だったのよぉ! 気だるげな色気があって……もしかして、アイドル魔導士の極秘メンバーとか!?」


「はいはい、現実を見なさい」


 サーシャの浮ついた言葉を適当にいなしながら、エルレアが小箱を開ける。

 そこには、市販品とは比較にならないほど禍々しく、そして美しく装飾された『恋に効く指輪』(マスター版)が収まっていた。


「……何よこれ。売れば相当な高値がつきそうだけど」


 本能が「今すぐ川に投げ捨てろ」と命じている。

だが、金貨数枚分の価値はありそうな工芸品を捨てるなど、エルレアの辞書には存在しない。


 彼女は不本意ながらもそれをポケットに押し込み、逃げるように宿へと戻った。

 



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