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第2話 稼いだ先から大赤字!? 路地裏の美形寄生虫



 街へ滑り込む頃には、夜の冷気がしんしんと石畳を濡らしていた。

酒場から漏れる野卑な笑い声と、煮込み料理の匂い。どこにでもある平和な営みの灯りが、点々と街を彩っている。


 その穏やかな喧騒を切り裂くように、エルレアは鋭い靴音を響かせて歩いた。


 視線の先、歯車の中央で魔石が鈍く光る紋章の看板が見える。彼女はその前でぴたりと立ち止まった。――冒険者ギルド。

 軋んだ音を立てる扉を躊躇なく蹴り開けると、荒くれ者たちの熱気と共に、聞き慣れた声が飛んできた。


「あらエルレア、お帰りなさい。街の外のドンパチ、やっぱり貴女だったのね?」


 受付のサーシャがツインテールを揺らし、呆れたような笑顔で手を振った。


「ちょっとした商談を片付けてきただけよ。それよりサーシャ、景気のいい依頼はない?」


「掲示板にあるのが全部よ。……あ、また魔石袋を撫で回してる。不気味だからやめなさいってば」


「放っておいて。硬貨と魔石が触れ合う音だけが、私の荒んだ心を癒やしてくれるんだから」


 エルレアは掲示板の前に陣取り、貼られた依頼書を一枚ずつ、獲物を吟味する鷹のような目で見つめた。


(宿代が銀貨五枚。研究の消耗品に十枚……。魔石の在庫を補充するなら、最低でも百枚は稼がないと死活問題ね……)


 懐の魔石袋を、布越しに指先で愛おしげになぞる。カチカチと硬い感触が指に伝わるたび、彼女の脳内では損益計算書が更新されていく。


 エルレアの魔法は、両手に刻んだ魔術印と魔石を触媒として消費する特殊な術式だ。

 だが、魔石は高ランクの魔物からしか剥ぎ取れず、産地も限られる超高価な消耗品。


 つまり、彼女の魔法は「金を食う」。撃てば撃つほど、資産は目減りする。


 慎重に、かつ強欲に立ち回らなければ、勝利と引き換えに破産しかねない矛盾を抱えていた。


「……どれもこれも、安すぎるわ。命を張ってこれっぽっち? 労働の安売りは美徳じゃなくて、ただの搾取よ」


 エルレアは忌々しげに鼻を鳴らし、単価の低い依頼書をゴミでも見るような目ではねのけた。


 護衛、雑務、魔物討伐――どれもこれも、リスクに対してリターンが釣り合わない「不良案件」ばかり。

 その時、不満を漏らす指先が、掲示板の隅で一枚の紙を捉えてピタリと止まった。


『令嬢昏睡事件 原因不明 報酬:銀貨百五十枚(成功報酬は別途協議)』


 エルレアの瞳が、獲物を定めた猛禽のように鋭く細まる。


「これにするわ」


 迷うことなく依頼書を剥ぎ取ると、カウンターのサーシャへ叩きつけた。


「あ、その依頼? 最近、身体が徐々に衰弱して眠り続ける奇病が流行ってるのよね。昏睡までいったのはこれが初めてかしら……。はい、ここに受諾のサインして」


 書類を差し出すサーシャの指先に、下劣な光が反射した。安っぽいガラス玉を埋め込んだ、悪趣味な細工の指輪だ。


「……何それ。呪物?」


「失礼ね! 彼からもらった『恋に効く指輪』よ。これのおかげで、昨日も彼ったら……」


(しまった、特大の地雷を踏んだわ)


 エルレアの直感は、最悪のタイミングで正解を導き出した。


「彼がね、夜の湖に連れて行ってくれて、星空の下で甘い愛の言葉を――」


「サインしたわ。じゃあ、先を急ぐから失礼するわね」


「ちょっと待ちなさいよ! まだ序章の三分の一も終わってないわよ。あんたが万年『在庫処分市』みたいな顔してるのは、そういう可愛げが欠落してるからよ!?」


「……在庫処分ですって!?」


 反射的に言い返したのが運の尽きだった。サーシャの剛腕が、エルレアの肩をガッチリとホールドする。


 荒くれ者たちを日々あしらう受付嬢の握力は、ひ弱な魔導士の抵抗など微塵も許さない。


「いい? 幸せのお裾分けよ。最新の恋愛小説の流行りだとね――」


(この女……っ!)


 恋バナという名の、生産性ゼロな「情報の不法投棄」。


 エルレアは、令嬢を眠らせた犯人よりも、目の前のサーシャの方が人類の経済活動を阻害する敵に近いのではないかと呪いながら、一銭の得にもならない地獄のような夜を過ごす羽目になった。

 



 翌日、エルレアが宿の固いベッドで瞼を開けたときには、太陽はすでに天頂近くまで昇っていた。


 街角の露店で買った、具材の乏しいサンドイッチ。それを広場のベンチで無造作に口へ運びながら、エルレアは冷淡な視線で「街の風景」を眺める。


 視界に飛び込んでくるのは、人気アイドル魔導士のポスターに黄色い声を上げる女たちの群れだ。誰もが左手の薬指に、サーシャが言っていた「恋に効く指輪」を嵌めている。


恋バナ、惚気、痴情のもつれ。

誰もが幸福を享受しているように見えるが、エルレアの目には、彼女たちがどこか意思を持たない操り人形のように虚ろに映った。


その時、乾いた破裂音が広場に響き渡る。


「浮気者!!」


 激昂した女の金切り声。頬を打たれた男がよろめく。女は涙を拭い、エルレアの目の前を乱暴に横切って走り去っていった。

どこにでもある、くだらない痴話喧嘩だ。エルレアは冷めた目でその背中を見送る。


(恋や愛なんて、実体のない不確かなものに人生を預けるなんて。お金の方がよっぽど誠実で、裏切らないわ)


 ――ふと、思考の隙間に、鮮烈な「赤」がよぎる。

 かつて尊敬していた高潔な女魔導士が、恋という名の毒に溺れ、人格も、矜持も、すべてを壊して崩れ落ちていったあの日の姿。


(あんな風に壊れるくらいなら、私は一生ひとりでいい)


 エルレアは不快な記憶を振り払うように頭を振る。

空になった包装紙を丸めて屑籠に投げ捨てると、淀んだ空気が漂う裏路地へと足を進めた。


 表通りの喧騒を一本外れると、そこは昼間とは思えないほど濃密な闇が支配していた。ひび割れた石畳には湿った空気が淀み、吐き出された生活排水の臭いが鼻を突く。


 こんな場所に店を構える魔石屋は、価格こそ安いが出所が怪しい「訳あり品」ばかり。けれど、今のエルレアの財布事情には、そのリスクさえも魅力的なコストカットに見えていた。


「おぅ、嬢ちゃん、いいもん持ってそうだな」


 ――そして当然、そんな腐った場所には、場所相応の「害虫」が湧く。

 行く手を塞ぐ三つの影。安物のナイフ、制御しきれず漏れ出す薄汚い魔力。


(ああ、最悪。この手の連中と関わる時間は、人生における最大の損失ね)


 エルレアは一瞥をくれただけで、歩みを止めなかった。


「どいて」


「あん?」


「急いでるのよ。あんたたちを相手にしても、一銭の利益にもならないわ。それどころか、靴の磨り減り分すら回収できないでしょうね」


 淡々とした、事務的な拒絶。それはチンピラたちの安い自尊心を逆撫でするには十分すぎた。


「調子に乗ってんじゃねえぞ、ガキが――!」


 男の一人が罵声を上げ、エルレアの肩を掴もうと手を伸ばす。エルレアが重心を移動させ、反撃の魔石を指先で弾こうとした――その瞬間。


「……あー……待って。ちょっと、ストップ」


 間延びした声が、背後から落ちてきた。

鼓膜を直接撫でるような、ひどく甘く、それでいて周囲の熱を奪うような声だった。


 エルレアが振り返ると、そこにはフードを目深に被った男が、幽霊のようにふらふらと立っていた。今にも崩れ落ちそうな足取りで、薄汚れた壁に手をついている。


「邪魔すんな、ボロ雑巾が!」


苛立ったチンピラが、死にかけの男に拳を振り上げた。


「あー……」


男は、殴られる直前で――まるで支えを失った操り人形のように、くたりと膝を折った。


「は?」


空振った拳が、男がいたはずの空間を空虚に切り裂く。勢い余ったチンピラの体が壁に向かって突っ込み――。


ゴンッ!!


鈍い破砕音が響き、チンピラが白目を剥いて崩れ落ちる。


 その瞬間。

エルレアの目には、男の足元にある影が、意志を持っているかのように不自然に波打つのが見えた。まるで、“何かが、チンピラの足を引いた”かのように。


「……は?」


「何だ今の……」


 仲間が自滅した光景に、残った連中が顔を引き攣らせる。

フードの男は地面にしゃがみ込んだまま、気だるげに、ぼんやりと呟いた。


「……危ないなあ……。ちゃんと地面を見て歩かないと、影に食べられちゃうよ……」


 明らかにおかしい。その場にいるだけで肌が粟立つような違和感。

だが――敵意は感じない。


(今の、偶然? それとも……この男が?)


 チンピラたちは顔を見合わせ、得体の知れない恐怖に耐えかねたように唾を吐いた。


「……ちっ、今日はツイてねえ」


「覚えてろよ!」


彼らは倒れた仲間を引き摺るようにして、路地の闇へと逃げ去っていった。


裏路地に、奇妙な静けさが残った。


 遠ざかる足音が完全に淀んだ空気に溶けた頃、エルレアはしゃがみ込んだままの男を冷徹な目で見下ろす。


「……一応、助けたつもり? それとも、ただの行き倒れかしら」


 男がゆっくりと顔を上げる。フードの奥、闇に沈んでいた輪郭が露わになった。甘い薄紅色の髪がこぼれ落ちる。


 ――あまりにも、整いすぎた造形。


 眠たげな双眸に、気だるく緩んだ薄い唇。

その佇まいは妙に艶っぽく、毒々しいほどに美しい。だが、そのアメジストの瞳の奥には、底の知れない深淵が横たわっていた。


(……何、これ。気味が悪いほど「整いすぎている」わ)


 一瞬、思考が泥に足を取られたように鈍る。生存本能が激しい警鐘を鳴らしているのに、意識が磁石に吸い寄せられるように、抗いがたく引き寄せられていく。


男はふらりと立ち上がり、間を詰めた。


逃げなければ。そう判断しているのに、身体が鉛のように重い。

まるで、抗えない眠りの淵で、心地よい揺り籠に身を任せているような感覚。


「……ねえ」


低く、柔らかく、鼓膜を甘く噛むような声。


「君――」


 す、と白い指先が伸びる。それがエルレアの頬に触れようとした瞬間、彼女の魔力がざわりと猛り狂った。


(この魔力波長……どこかで、覚えが……?)


 それは悔しいほどに高潔で美しく、蜜を焦がしたような甘い魔力だった。だが、深く思い出そうとした瞬間、視界がぐらりと歪む。思考が溶けた砂糖のように崩れていく。


「……あれ?」


男が、わずかに首を傾げた。


「思ってた反応と違うなあ」


そして、獲物を見定めた子供のような残酷な無垢さで、ぽつりと。


「……まだ、お子様だった?」


誘うように熱っぽい目元で、くすりと笑う。


(――は?)


 その一言が、エルレアの脳内で強制アラートを鳴らし響かせた。

 甘美な眠気も、高潔な魔力の神秘も、一瞬で怒りの業火に焼き尽くされる。


(私の貴重な脳内リソースを勝手に占有し、思考停止という機会損失を与えかけた挙句、――お子様、だと?)


 ――ブチン。

理性の導火線が弾け飛ぶ音がした。


「誰がお子様よ、この寄生虫がーっ!!」


 反射的に、全霊の力をのせて、エルレアの渾身の右拳が、その芸術品のような造形を石畳へと叩き落とした。


 ――ゴッ!!

 路地裏に鈍い衝撃音が響き渡り、男の頭が綺麗に石畳へめり込む。

 男はそのまま、白目を向いてぴくりとも動かなくなった。


「人の時間を奪っておいてタダで済むと思うな! 次会ったら秒単位で損害賠償を請求してやるわ!!」


 顔を真っ赤にしたエルレアは、拳に付いた感触を忌々しげに振り払い、本当にどっちが悪役か分からない台詞を吐き捨てた。

そして、怒り肩のまま、踵を返してその場を足早に去っていった。

 

 エルレアの足音が完全に消え、淀んだ空気が戻った後。

地面に転がっていた男の口元が、ゆっくりと、愉悦に歪んだ。


「……あーあ。殴られた」


くす、と壊れた玩具のような笑い声を漏らす。


「いいね、これ。全然、壊れない」


 男はそのまま、極上の眠りにつくように目を閉じた。


(見つけた。僕の退屈を殺してくれる、最高に美味しそうな「現実」――)


 指先が、空をなぞるようにわずかに動く。さっき触れ損ねた頬の温度を、記憶に刻みつけるように。


「……食べたいなあ」


 その飢えた声は、誰の耳にも届かない。湿った風だけが、男の薄紅色の髪を静かに揺らして通り過ぎていった。




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