第1話 強欲な魔導士と、夕闇の街道の怪しい商談
「へへ、あったぞ……。こんなところに眠らせておくなんて、上層部も焼きが回ってやがる」
埃の舞う魔塔の薄暗い地下倉庫の片隅で、下級魔導士の男が、古びた木箱の中から一つの小箱を掘り出していた。
中にあるのは、煤けた銀の指輪。
五年前に魔塔五大老のバルツァーが「魔力のない模造品」と吐き捨て、価値のないゴミとしてこの地下に放置させていたものだ。
今、魔塔は「大衆の感情を魔力として吸い上げる装置」を隠れて稼働させており、その媒介として、この指輪のデザインを真似た安価な「コピー品」を街へ大量に流して大儲けしていた。
そんな中、倉庫整理を命じられたこの男は、偶然にもこの「オリジナル」を見つけてしまったのだ。
「間違いない。今街で大流行してる『恋に効く指輪』の、非公開のマスター品の試作品だ……! コピー品とは比べ物にならないほど禍々しい魔力が詰まってやがる」
男は、指輪の奥で眠る「夢魔」の気配を、魔塔が作った最高級の呪物だと完全に勘違いしていた。
これを裏市場に流せば、欲深い貴族たちが大金を積む。男は小箱を懐に深くねじ込むと、足早に倉庫を後にした。
***
その頃、魔塔の最上階では。
五大老によって都合のいい『聖女』として祭り上げられ、魔力抽出装置の生贄として中央に座らされているセラフィーヌが、虚ろな目を街の方角へと向けていた。
大衆の感情を吸い上げる巨大装置――その中枢で、彼女自身の魔力と精神もまた、日々泥のように搾取され続けている。
理性を失い、狂気の中にいる彼女だったが、その壊れた直感だけは、あの指輪が動き出したことを正確に察知していた。
「うふふ……あははは! 行ってらっしゃい、王様。……もうすぐ、あなたを力づくで叩き起こす、生意気な『新しい飼い主』が、その手を伸ばしに来ますわ……」
かつての後輩の、あの強欲に満ちた翠色の瞳を思い出しながら、聖女は悦びを噛みしめるように、暗い聖堂で一人笑い続けるのだった。
***
街道を走る一台の馬車が、軋んだ音をたてながら夕陽に急かされるように走っていた。
「助かったわ、お兄さん。馬車が一台もつかまらなくて、今日は野宿を覚悟していたところよ」
エルレアは揺れる荷台で、御者席に座る商人に声をかけた。
「なに、たまたま方向が同じだったからね。旅は道連れと言うだろう? 美しいお嬢さんを一人で歩かせるのは、紳士のポリシーに反するよ」
商人は人の良さそうな笑みを浮かべた。フード付きのコートは質が良く、それを着こなす男の手指は、商人のそれにしては白く細すぎた。
「有難いけど、タダより高いものはないってのが私のポリシーなの。これ、馬車代の代わり」
エルレアは商人を品定めするように眺め、革バッグから小さな箱を取り出した。
「これは?……マッチかい?」
「ただのマッチじゃないわ。光魔法が込められてて、五時間光るの」
一本取り出して見せると、陽が落ち始めた馬車道を明るく照らした。
「夜道でも、合図でも、使い捨てでこの明るさ。二十本入りで、銀貨十枚。安いでしょ?箱買いならさらにニ割引きよ。他にも――」
エルレアは、向かいに座る柔和な笑みを浮かべた商人に次々と自作の魔道具を突きつけていった。
商人は、その魔道具を細い指でなぞりながら感心したように声を漏らす。
「へぇ、これは素晴らしい。下級魔導士が作るガラクタとは一線を画している……。魔導レベルの高さが伺えますね。お嬢さん、貴方のような方が、なぜこんな街道で路商を?」
「……勉強代が高くついたのよ。人間、信じられるのは自分と『目に見える資産』だけだってね」
エルレアは自嘲気味に鼻で笑う。
その視線は、商人の腰に下げられた革袋――そこに詰まっているであろう魔石の膨らみに、獲物を狙う猛禽のように釘付けになっている。
商人は不気味なほどに穏やかに微笑み、その瞳の奥で妖しい光を宿した。
「それは残念だ。ですが、絶望の果てにこそ、真に美しいものが花開くと言いますからね……」
その時、轟音と共に馬車が激しく跳ねた。
車輪が地面を削り、砂埃を上げる。
馬のいななきと同時に野卑な怒号が人気のない夕闇の街道に響き渡った。
「止まんなァ!」
白く光る刃物が振り回す集団が傾ぐ馬車の隙間から見えた。――盗賊だ。
衝撃で馬車の扉が吹き飛び、エルレアと商人は外の地面へと放り出された。
「……くっ」
エルレアは咄嗟に頭を庇いながら受け身を取り、地面に転がる。
「金目のモノをよこしな!」
陳腐なセリフにげんなりしながらエルレアが顔を上げると、数人の盗賊達が街道を塞ぐように立ち塞がっていた。
「ひぇ……!た、助けてくれ! 命だけは、命だけは!」
すく横で怯えながら地面に這いつくばる商人とエルレアへ、盗賊達は薄笑いを浮かべて近づいてくる。
「……ねぇ、商人さん。その魔石、使わせてくれるなら——」
言いかけた、その時だった。
「……っ」
不意に、首筋の《刻印》が焼けるように痛んだ。
痛みだけではない。ぞわり、と背筋を這い上がる感覚。
視界の端に、ありもしない白い羽根が舞い落ちた気がした。
――五年前、魔塔での日々が崩壊した、あの最悪の夜の感覚。
(……またこれ、触れられたくないものに、指を突っ込まれるような、この感覚……)
――記憶の底に沈めたはずの、不快な感触。
エルレアはその全てを拒絶するように奥歯を噛み締め、無理やり意識を現実へ引き戻した。
(……不快感に割く時間は一秒も無駄よ。今は目の前の商談が優先!)
「……その魔石、使わせてくれるなら護衛を引き受けてあげるって言ってるのよ」
エルレアは盗賊に聞こえないように商人の耳元に口を寄せて囁いた。
「ま、魔石?ああ、全部、ぜんぶ君に、預けるよ……!」
商人が地面に顔を伏せたまま、震える声で叫ぶ。
同時に、盗賊達の刃物が地面を叩いた。商人が細い悲鳴を上げる。
「……ちょっと、あんた達……」
エルレアは砂埃を払ってゆっくり立ち上がり、盗賊達をまっすぐ見据えた。
十数人の盗賊が剣を構え、彼女を取り囲む。
「おいおい、よく見たら綺麗な姉ちゃんじゃないか」
下卑た笑みを浮かべた盗賊がエルレアに近づいてくる。
「へへ、ちょっとくらい楽しませて貰おうか?身ぐるみ剥いで――」
「うるさいわね。商談中よ」
エルレアの瞳から温度が消える。彼女は這いつくばる商人の懐から、強引に魔石の袋をひったくった。
「これ、護衛費として全額徴収するわよ。ひっひっひっ、いい利息がつきそうね!」
エルレアが魔石を握りしめた瞬間、石の中に眠る魔力が「悲鳴」を上げた。
端金の魔力が彼女の強欲な術式で強制的に圧縮され、高効率の爆薬へと変貌していく。
——安物でも、使い方次第。
両手の甲に刻んだ魔術印が淡く光を持ち始める。首筋の刻印が主張するように鈍く痛むが、彼女はそれすら魔力に変えて魔石を握りしめた。
「さぁ、取引といきましょうか」
冷徹な声と共に魔石が弾け、同時に極彩色の魔力の奔流が盗賊たちを飲み込んだ。
散り散りになって逃げる盗賊達に、エルレアは次々に魔石を弾けさせながら容赦なく魔法を打ち込む。
「ひーっひっひっ、逃がさなぁい!」
どちらが悪党か分からないような笑みを浮かべながらも、正確な追撃は、悲鳴を上げる暇さえ与えない、一方的な蹂躙だった。
「毎度ありがとうございましたぁ!」
最後の一人の足を打ち抜き、昏倒させると、街道は再び静けさを取り戻した。
エルレアは倒れた盗賊たちを一瞥もせず、魔石の袋をしっかりと懐に収める。
その時、街周辺を警備する哨戒用浮遊ゴーレムが警笛を鳴らし始めた。
(思ったより、街に近づいてたみたいね。派手にやりすぎたかしら)
「……お、お嬢さん。警備兵が来る。逃げないと」
商人がおずおずと声をかけるが、エルレアはすでに歩き出していた。
「助けたお礼にこれは貰っておくわ。さよなら、いいカモさん!」
言いながら彼女は一人、コートを翻しながら、夜の帳が降りる街へと足早に消えていった。
一人残された商人が、ゆっくりと立ち上がる。
その顔から怯えの色は、霧が晴れるように消え失せていた。
商人は自身の胸元に手を当てる。そこには、エルレアと同じ刻印が、狂おしいほど激しく脈打っていた。
「……いいね、エルレア。もっともっと、僕を楽しませておくれ」
フードが風に飛ばされ、月光の下で銀色の髪が舞う。
――それは、只人が見れば地上に降りた神か天使のように思うだろう。見るものを畏怖させる風が吹き、白い羽根が舞う。
神々しくも禍々しい金色の瞳が、エルレアの後ろ姿をなぞるように見つめ、歪んだ悦びに細められた。
「ボクを拒む君の魔力、……最高に気持ちいいよ、エルレア」




