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第49話【過去編】神様が目の前に現れたら、一番高く売り飛ばす

 


 ダンジョンのある北の山まで馬車で二日。

 そこからは徒歩で野営をしながら、ダンジョンの入り口を目指す。


 森の中での魔獣との遭遇は、これで三度目だった。


 最初こそ半信半疑だった一行も、今では理解している。エルレアの指示は「当てずっぽうの先読み」ではない。


 地形・風向き・魔力反応・魔獣の癖――それらを同時に読み切った“結果の提示”だ。


「南に三十度、南西に二十五度。同時、くるわ!」


「おうっ!」


 エルレアの声が落ちた瞬間、ラムダは一切の迷いなく大剣を振り抜いた。


 同時にララが死角へ滑り込み、逃げ道を塞ぐ。

 刃が届く位置ではない。

 だが“そこに出る”と分かっているから間に合う。


 魔獣の影が、指示通りの角度で茂みから飛び出し――そのまま断ち割られた。


「ルカ、炎魔法の構成開始。三十秒後に右の茂み。ジョージ、左後方の索敵、外さないで」


「了解!」


 一拍遅れて、ルカが杖に魔力を流し始める。

 戦場は、すでにエルレアの提示した設計図の上を動いていた。


 ――だが、その均衡にわずかな“歪み”があった。

 ジョージだけが、指示に従っていない。


(まただ……)


 何度目かの小さな違和感。

 エルレアは気づきながらも、戦闘優先で黙殺していた。

 だが、その“黙殺”が積み重なった瞬間だった。


「――うるっせえんだよ!!」


 ジョージの怒声が森に弾けた。


「いちいち指図してんじゃねえ!!」


 次の瞬間、彼は振り返ることなく、エルレアの肩を乱暴に突き飛ばした。


 エルレアの視界が揺れる。

 ――その一瞬だけ、戦場の設計図が崩れた。


「っ、ちょっと、仲間割れしてる場合じゃ――エルレア! 上よ、危ない!」


 ララの叫びが遅れる。

 魔獣の殺気が、空気ごと跳ね上がった。


 エルレアは即座に起き上がろうとしたが、体勢がわずかに遅れた。


 設計図の一角が、ジョージによって削られている。

 脳内に描いた位置情報の乱れ。

 その、一瞬の死角を鋭い殺気がシュッと、空を切り裂いて走る。


「……っく!」


 鈍い衝撃。


 毒針が肩を貫き、視界の端に黒い火花が散った。


(……速い。でも、想定内より一段遅い)


 エルレアの思考は途切れない。

 痛みすら処理対象として切り分ける。

 同時に、戦場の主導権は完全に戻った。


「ラムダ!」


 エルレアの声は鋭く、むしろ先ほどより冷たい。


「次は来ない。今!」


「おうっ!!」


 ラムダの大剣が、地面ごと魔獣を叩き潰す。

 ――森が静寂に戻る。荒い呼吸だけが残った。


「……チッ」


 ジョージは肩で息をしながら、乱暴に視線を逸らす。


「偉そうに指図しやがって……」


 だがその声には、怒りだけではなく焦りが混じっていた。


(なんでだよ……なんで全部、当たってんだよ)


 彼は理解していない。理解できないまま、“自分の判断が不要になっていく恐怖”だけが積み重なっていた。


 それが限界を超えた瞬間、気づけば彼は衝動のままにエルレアを突き飛ばしていた。

 理屈ではない。合理でもない。

 ただ、“自分が置き去りにされる感覚”への暴発だった。


「エルレアさん……っ、大丈夫ですか!?」


 見習い魔導士のルカが、今にも泣き出しそうな顔で駆け寄ってきた。


「……大したことないわ。かすり傷よ」


 エルレアは、肩の痛みを微塵も表に出さず、冷徹なほど涼しい顔でルカに笑いかけた。


「……チッ。とりあえず、今日はここで野営だ。ジョージ、お前ちょっと来い」


 ラムダが髪を乱暴にかきむしり、低い、怒りを孕んだ声でジョージを呼び出す。パーティーの空気が最悪に冷え込む中、一同は手早く野営の準備に取り掛かった。



 ――数刻後。

 手早くテントが張られ、中央でパチパチと火が焚かれた。見張りの順番を決めた後、それぞれの休憩に入る。


 エルレアは自分のテントに滑り込んだ瞬間、糸が切れたように崩れ落ち、膝をついた。


「……はっ、……っ、油断、したわね……」


 額からじわりと、嫌な冷や汗が滲み出る。魔獣の針に仕込まれていた毒が、思った以上の速度で全身へ回り始めていた。


 視界がぐにゃりと歪む。ランプの薄暗い灯りだけを頼りに、エルレアは震える手で鞄をひっくり返し、解毒薬を探して手探りで這いまわる。


 その時、テントの幕が静かに開いた。


「エルレアさん。ボクが見ます。師匠が医療魔導士で……治癒魔法をすこし齧ってるんです」


 その声は驚くほど落ち着いていて、感情の輪郭だけが抜け落ちたように淡い。


「手当てをするので、じっとしていてくださいね」


 少年は迷いなく膝をつき、エルレアの手元へと手を伸ばした。


 その動きには、素人のためらいが一切ない。

 ――経験者のそれだ。


「……悪いわね。助かる、わ……」


 意識が濁る中、エルレアはその違和感をうっすらと抱いたまま、身を委ねるしかなかった。


 ルカは迷いのない手際で、解毒薬・清潔な水・包帯を次々と並べていく。


「手際がいいわね……。本当に、見習いなの?」


「見習いですよ。ただ、手順だけは体に入っています」


 淡々とした声は、まるで“感情”ではなく“工程”をなぞっているような口調だった。


「これを。解毒薬です。ゆっくり飲んでください」

 コップが差し出される。


「それから……服を少し開けますね」


「ん……」


 ルカの手が迷いなく伸び、エルレアの服のボタンを外していく。そこに躊躇いや遠慮といった人間らしい揺らぎは一切ない。


 熱に浮かされた肌が夜気に触れ、刃のような寒気が走った。ルカの指先が、肩口の傷に触れる。


 冷たい。その指先は、まるで生き物とは思えないほど、ひどく冷たかった。


「……出血は想定より少ない。でも毒の侵食速度が速い」


 それは医者の言葉と言うよりも、まるで壊れた器物を検品する『観測者』の言葉のようだった。

 ルカは傷を洗い流しながら、ふとエルレアの手に視線を落とす。


「ここも。ここも。……やっぱり、ずっと魔道具を?」


 指が、迷いなく皮膚の上をなぞる。

 

 魔道具職人の手の傷、微細な火傷、削れた爪。

 さらに指は上へと進み――首筋の刻印で止まった。その指先がわずかに揺れる。


「……生活のためよ。売って、作って、稼いで……それしかなかった」


 毒と高熱のせいだろう。意識が曖昧になっていた。普段の彼女なら絶対に敵に見せないような、生々しい本音が口から溢れ出す。


資産いのちを、繋ぐために……ね」


 その瞬間、ルカの沈黙が一拍だけ深くなる。


 夜風に紛れて、遠くで虫の声と、夜鳥の不穏な羽ばたきが聞こえた。


「……そんなに苦しいのに」


 ルカの、静かな声が落ちる。


「神様が助けてくれたらいいのに、って……思ったりしませんか?」


 その問いは、祈りではなく……試すようにも、確認するようにも思える響きを含んでいた。


 その瞬間、エルレアの脳裏に、あの最悪の夜に見た「白い影」が鮮烈に蘇る。


「……まさか」


 エルレアは、毒針を喰らった時よりも獰猛に、鼻で笑って見せた。

 そして、あの窓辺で傲慢な神に叩きつけたのと、全く同じ言葉をそっくりそのまま返す。


「神様に祈るひまがあるなら、その手で運命カネを掴んでやるわよ。……もし神様が勝手に私の前に現れたら、とりあえず捕まえて、研究材料として一番高く買ってくれる国に売り飛ばしてやるわ」


 パチ、とランプの炎が大きく揺れた。


 テントの布に映った影が、一瞬だけ歪んだ。人の形ではない。――翼。


 巨大な、光の輪郭だけで構成されたような影。


(……今の、は)


 錯覚だと断じる前に、視界が急速に暗転する。

 エルレアの指から力が抜け、コップが泥に落ちた。

 中身は半分以上こぼれ、地面へと吸い込まれていく。


「……解毒薬は、全部飲まないとだめだよ。エルレア」


 すぐ耳元で聞こえた声は、もう少年のものではなかった。


 ずるりと、ルカだったモノの瞳が、底知れない、冷徹な黄金色に染まる。

 同時に、呼吸すら拒絶するほど清浄で、息を呑むほど神聖な『神力』が、狭いテントの中を密閉するように満たしていった。


 意識を失い、完全に無防備になったエルレアの白い首筋。そこに刻まれた痕へ、白い指先がそっと触れる。


 あまりにも優しく、祝福のように。

 けれど、二度と逃がさない呪印のように。




 翌朝。いつもより鮮明に、どこか恐ろしいほど良く聞こえる野鳥たちのさえずりで、エルレアは目を覚ました。


 あんなに酷かった熱はすっかり下がり、全身の毒も嘘のように綺麗に抜けている。


「……」


 違和感だけが残っていた。




 エルレアがテントの外へ出ると、すでに朝食の支度を始めているララとルカの姿があった。


「エルレアさん! ……あの、お身体、具合はどうですか……?」


 ルカが昨夜と変わらない、今にも泣き出しそうな、いじらしい顔で駆け寄ってくる。


「もうすっかり大丈夫よ。ルカがつきっきりで手当てしてくれたおかげね。助かったわ」


 エルレアは安心させるように微笑むと、彼の心配をかき消すように、その薄茶色の柔らかな髪を無造作にかき混ぜた。


「わっ……ふふ、よかったです……」


 そう言ってうつむいた少年の顔は、前髪の影に隠れて、この時のエルレアには見えなかった。




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