第47話【過去編】こんにちは、魔力のない「魔導士」です
王都から遠く離れた隣町。その片隅にある、うらぶれた宿屋の屋根裏部屋。
埃っぽい薄暗がりの中で、エルレアはぽつりと佇んでいた。
現金の節約のために、宿代が一番安いこの狭い屋根裏を貸してくれと交渉した際、宿屋の主人が「正気か」とでも言いたげな顔をしていたのを、エルレアはぼんやり思い出した。
「……やっぱり、駄目ね」
何度、唇から呪文を紡いでも、初心者がやるように杖を構え、正確な魔法陣を描いてみせても、体内はしんと静まり返ったままだ。
これまで血の滲むような努力で形成してきた体内の魔力回路は完全に沈黙しており、今や過去の栄華を語るだけの、焼き切れた遺構だった。
あの最悪の夜。エクスによって魔力を奪われ、魔塔を追放されたエルレアは、アストレインという高貴な名を捨てた。今の彼女は、何の後ろ盾もない、ただのエルレアだ。
(――でも、全てを失ったわけじゃないわ)
エルレアは、自らのこめかみにそっと指先を当てた。
これまでに積み上げてきた膨大な魔法の知識、研究の記憶、そして経験。
これだけは、あの傲慢な神であっても、誰であっても奪うことのできない自分だけの財産だ。
懐には、かき集めたわずかな貯金。そして、魔法書や論文、いくつかの魔道具が詰まった重い鞄。
絶望に引きずられそうになる唇を、エルレアは不敵に、吊り上げるように笑わせた。
「こうなったら、やりたいことを何でもやってやるわ。――だって私は、何に縛られることもない、自由の身だもの」
キィ、と軋む不快な音を立てて、エルレアは木製の重い扉を押し開けた。
看板に掲げられているのは、魔石と天秤の紋章――冒険者ギルドだ。
一歩足を踏み入れれば、そこは荒くれ者たちの野卑な怒号と、笑いと、金属音が入り混じる空間だった。
並の令嬢なら悲鳴を上げて逃げ出すような喧騒の中を、エルレアは眉ひとつ動かさずに割り進み、堂々と受付のカウンターの前に立つ。
「こんにちは。ギルドに新規登録したいの。――魔導士よ」
受付にいた隻眼で義手の男――ビルは、ひどく奇妙なものを見るような目でエルレアを見つめた。
「お嬢ちゃん、冗談はよしてくれ。そんな白くて綺麗な手で、ダンジョンの何ができるってんだ? どこぞのいい家のお嬢様だか知らねえが、俺も元魔導士だ。お嬢ちゃんからは魔力の『気配』が一切しねえよ。怪我する前に、さっさと家に帰りな」
エルレアが反論のために口を開こうとした、その時だった。
背後から飛び込んできた大きな影が、エルレアの横を乱暴にすり抜け、ドンッ!! とカウンターへ煤けた魔道具を叩きつけた。
続けて、バラバラと品のない音を立てて、魔物の素材が乱雑に撒き散らされる。
「おう、ビル! 依頼の品だ。ついでにこいつも色をつけて買い取ってくれや!」
現れたのは、大剣を背負った、いかにも荒くれ冒険者といった風情の男だった。エルレアの存在など目にも入らない様子で、二人は勝手に検品と会話を始め出す。
「あ、ああ、ラムダか。……って、おい、ちょっと待て。この依頼品の魔道具、完全に壊れてるじゃねえか。こりゃ規約通り減額だな。あと、この魔物の素材もボロボロで使い物になんねえよ」
「あんだと!? ちょっと電源が入らねえだけだろ!」
「それを『壊れてる』って言うんだよ!」
二人が顔を真っ赤にして押し問答をしている間、エルレアの頭の中ではこの魔道具の分解図が完成していた。
(古い風起こしの魔道具。最近の魔塔じゃ滅多に見なくなった旧式だけど、直感的に扱えるから年配の冒険者には根強い人気があるタイプだわ。……構造は単純。過負荷で中の魔力伝導線が一段落、焼き切れているだけ。なら――)
「おい、嬢ちゃん、何して――えっ?」
ビルが止める間もなかった。エルレアは慣れた手つきで鞄から小さな工具を取り出すと、迷いなく外装を開き、内部構造へ指を滑り込ませる。
呆気に取られる男二人の前で、ガチリ、と心地よい駆動音が響いた。
次の瞬間、再起動した魔道具から、優しく柔らかな涼風が吹き抜け、男たちの呆けた顔を撫でていく。
「はい、修理完了。――というわけだから、そっちの冒険者さんの依頼料から、技術料(修理代)として『半分』私がもらうわね。あと、そこの使えないって言われた魔物の素材も、ジャンク品として私が引き取ってあげる」
エルレアは道具を鞄に収めると、有無を言わせぬ、最高に強欲な笑みを二人に向けた。




