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第46話【過去編】タダで起き上がると思うなよ、この泥棒ども

 


 次に目覚めた時、エルレアの視界に飛び込んできたのは、見慣れた第八研究室ではなく、どこか薄暗い医務室の白い天井だった。


 自身の右手に、確かな体温を感じて視線を落とす。

 そこには、今にも泣き出しそうなほど真っ青な顔をして、彼女の細い手を両手で必死に握りしめているカイルがいた。


「……カイル。生きているのね」


 掠れた声でそう呟くと、カイルは弾かれたように顔を上げ、言葉にならない声を漏らした。

 カイルが五体満足で生きている。その事実だけで、エルレアは胸の奥で深く安堵した。


 しかし、カイルの蒼い瞳からボロボロと大粒の涙が溢れ出し、彼は震える唇を必死に噛み締めながら、残酷な現実を告げた。


「……ごめん。ごめんよ、エルレア……っ。君の、君の魔力根が……完全に焼き切れているんだ。医官は……君はもう……」


カイルはその指先が白くなるほど強く、手を握りしめた。


「……もう二度と、魔法が、使えないって……っ」


 それは魔導士にとって、魂を奪われたも同然の「死刑宣告」だった。


 だが同時にそれは、あの血の海で交わした、白い悪魔との取引が完全に成立したことを意味している。

 エクスは確かにカイルの命を繋ぎ、代償としてエルレアのすべて……魔力を根こそぎ吸い尽くしたのだ。


「あの日、あの部屋で何があったんだ……? 気がついたらみんな死んでいて……僕は……君が倒れていたことしか思い出せない……。僕がもっと強ければ、君をあの事故から守れたのに……!」


 割り切れない脳内の矛盾を拒絶するように、カイルは震える指先で自らの頭を強く抱え込み、過呼吸気味に困惑し始めた。


 それを見たエルレアは、痛む身体を強引に動かしてその両頬をガシッと掴んだ。


「しっかりしなさい、第五王子カイル!」


 いつもの傲岸不遜な、しかしどこか引き戻してくれるような強い声。


 カイルはハッと息を呑み、涙に濡れた蒼い瞳でエルレアを見つめた。


「……エル、レア……?」


「あんたが生きてる。私が生きてる。それ以上の事実がどこにあるのよ。あの部屋のことはもういいわ。超高密度の魔素をまともに浴びたんだから、その衝撃で記憶が飛んだだけよ」


 そう、この時のエルレアは、まだ何も知らなかった。


 カイルの激しい忘却が、単なる魔力事故のショックなどでないことも、彼の胸元にすでに、冷たい魔力の濁流を放つ歪な刻印が刻まれ始めていることにも。


 ――いつもなら一目で暴き立てられるはずの彼の魔力波形が、今の彼女には塵一つとして感じ取れない。


 魔力を根こそぎ失った今のエルレアには、それを感知する術がなかったのだ。


「大した事ないわ」


 エルレアは強引に口角を釣り上げ、最悪の状況の中で、悪魔のように獰猛に笑う。


「……私がしぶといの、知ってるでしょう?」


 そう言って、カイルを落ち着かせるように、エルレアは彼を抱きしめた。


 ぴくりと肩を一瞬震わせたカイルは、おずおずとエルレアの背に両手を回し、彼女の確かな熱にすがるように「そうだね」と安心したように小さく呟いた。


 しかし悲劇は、それだけでは終わらなかった。


 あの夜、隔離室にいた研究員は、エルレアとカイルを残して全員が死亡。

 主任のセラフィーヌさえも精神を完全に破壊され、廃人となって発見された。


 魔塔の上層部は、事件の真相をすべて闇に葬るため、唯一無傷で生き残ったエルレアにすべての責任を擦り付けた。

 最高機密である「サリエルeX」を逃亡させた罪。そして何より、一滴の魔力も生み出せなくなった「無能力者」に、白亜の塔は驚くほど冷酷だった。


 エルレアは、着の身着のまま魔塔を追放され――


 頼る当てもなく、這う失意のままにアストレインの実家へと戻ったエルレアを待っていたのは、実父と継母からの容赦のない罵声だった。


「我が家の面汚しめ! 魔法も使えん穀潰しなど、アストレインの籍に置く価値もない! とっとと目の前から消え失せろ!」


 前妻の子であるエルレアを元々疎んでいた彼らにとって、無能力者となった彼女を切り捨てるのは好都合でしかなかった。


 門前で冷たく突き放され、エルレアは文字通り、この世界で帰るべき場所のすべてを失った。


 見上げた空は青く高く、晴れ渡っていた。

 穏やかな喧騒と足音が平和を告げるように通り抜けていく。

 誰も彼女を見ていない。誰も立ち止まらない。


 その街角の石畳の上で、エルレアはしばらく動かなかった。


 肌に当たる光は温かいのに、足元から滲み上がる冷えが、靴の底を通り抜けてくるようだった。


 魔力を奪われ、職を奪われ、家を奪われ、完全に路頭に迷ったエルレア=アストレイン。


 ――だが。彼女の翠色の瞳の奥に灯ったギラギラとした炎は、一ミリたりとも、消えてなどいなかった。


「……あはは、傑作ね。私の資産を、プライドを、これ以上ないってくらい全部身ぐるみ剥いでくれたじゃない」


 石畳の裏路地で、エルレアは強引に口角を釣り上げ、悪魔のように獰猛に笑う。


「いいわ。全部奪われたなら、倍にして奪い返してやるだけよ。魔法が使えない? なら、使えないなりの『システム』を私が新しく構築すればいい。――タダで起き上がると思うなよ、この泥棒(魔塔)ども」


 諦めるつもりなど、毛頭なかった。


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