第42話【過去編】世界を拒絶しないための、最初の温もり
石版の解読と「聖魔獣の核」の解析、そしてエルレアの仮説により研究は一気に加速した。
無機質だった結晶は日ごとに輪郭を変え、やがて「人の形」に収束していった。
まるで最初からそこに“そうなることが決まっていた”かのように。
深い眠りに就いたままであっても、便宜上「サリエルeX」と名付けられた「それ」は、ゾッとするほど神々しく、同時に肌が粟立つほど禍々しかった。
隔離室では、誰もが声をひそめるようになった。まるで、眠る「それ」を起こしてはいけないと、本能が理解しているかのように。
この未知の変異体に関する最高機密研究プロジェクトに、その才能を認められたエルレアは異例の抜擢を受ける。
主任研究者を務めるのは、魔塔の良心であり、エルレアにとって憧れの存在でもある高位魔導士セラフィーヌ。
尊敬する先輩と共に歴史的な大発見に携われるとあって、エルレアの気合いは最高潮に達していた。
「――やはり、上級魔石としての出力が高すぎるのね。今の魔塔の制御陣では、彼の膨大な魔素を抑え込めずに自壊してしまうわ」
エルレアの本来の研究テーマは、「低級魔石を高効率で出力・安定させる術式」だった。
その知見を応用し、彼女は一つの逆転の発想にたどり着く。
エクスが放つエネルギーがあまりにも高純度すぎるのなら、あえて周囲に「質の悪い低級魔石」を無数に配置し、その不純物によって魔素を適度に分散・中和させれば、制御が可能になるのではないか。
エルレアはすぐに、独断で実験を開始した。
白い隔離室は、吐く息が薄く曇るほど冷えていた。
魔導冷却陣の低い駆動音が、床下から絶えず唸っている。
エクスから溢れ出る魔素が空気を変質させているせいか、室内の光がわずかに揺らいで見えた。
影が正確な形を持てないように、輪郭がぼんやりと滲む。
隔離室の壇上に横たわるエクス。その身体から溢れ出し、今にも暴走して霧散しそうなほど不安定な魔素の嵐の中へ、エルレアは自らの魔力を伸ばしていく。
暴走しかけた魔素が熱波となって吹き荒れ、研究室のガラスが軋んだ。エルレアの髪が焼けるような熱風に巻き上げられた。
髪を激しくなびかせながら、指先から極限まで繊細にコントロールされた魔力を紡ぎ、エクスの核へと繋いだ。
「大丈夫……大丈夫よ、怖がらないで……!」
それは、計算を超えた祈りだった。暴威を振るう光の奔流に呑まれそうになりながらも、エルレアは手を伸ばし続けた。指先が焼ける。
それでもエルレアは、魔力の糸を強く握り直した。
「さあ、掴んで……! 貴方の意思で、世界を拒絶しないで!」
冷徹な石の身体だったエクスは、自らの内に流れ込んでくる、圧倒的な熱と魔力を感知していた。
それはどこまでも温かく、泥にまみれた世界の中で、唯一自分を「人間として」呼ぶ声。轟いていた魔力の奔流が、不意に止んだ。
――世界から音が消える。
その静寂の中で、石の指先だけが、ゆっくりと動き、エルレアの手をきゅっと握り返した。
次の瞬間、白金の閃光が隔離室を埋め尽くした。魔導ガラスが悲鳴のような音を立て、床の術式が一斉に発光する。
目を焼くような光の中心で、「それ」は、ゆっくりと瞼を開いた。
ついにエルレアは、誰も成し得なかった禁忌の存在を覚醒させてしまったのだ。




