第39話 【断罪・完結】溜まりに溜まった債権回収。実家を地下牢へ叩き落とし、私は王子(成長株)の手を取って踊る
「……素晴らしい」
誰もが息を呑む中、会場の片隅でディートリヒだけが、恍惚とした笑みを浮かべていた。
「君は本当に美しいね、エルレア。壊れた家を踏み潰しながら笑う顔が、たまらなく好きだよ……」
彼の呟きは、緊張感に満ちた会場の空気に溶けていった。
「債権回収、だと……? 何を言っている、この親不孝者が!」
往生際悪く怒号を上げる父を、エルレアは不潔な負債を見るような目で見つめ返す。
「お父様。貴方が私の『養育費』と称して着服した白金貨二万枚。そして義母様が浪費した、私の母の遺産――これらすべて、利息を含めて現時刻をもって一括返済を要求します」
エルレアが金印を銀細工のブローチに重ねた、その瞬間。
蓄積された膨大なエネルギーが、純粋な破壊魔力へと変換された。
パキンッ!!
右腕の魔力封じの腕輪がひび割れ、砂のように崩れ落ちる。同時に、解放された魔力が琥珀色の風となって会場を舞った。
両手の魔法印が淡く光り、ゆっくりと全身の魔力回路が正常な流れを取り戻していく。
「な、何だこれは!?」
父や義母のドレスに、アストレイン当主の印章が次々と浮かび上がり、琥珀色に輝き出した。
「差押えですわ。返せないというなら、担保を没収するまで。その衣装を編み上げた魔力も、宝石の輝きも、すべて私のものです」
エルレアが魔力の風に髪を靡かせながら、不敵に笑う。
「なっ……、ジェシカ! 何をしてるの、早くこの女を追い出しなさい!」
義母が悲鳴を上げる。だが、ジェシカは指先一つ動かせなかった。
彼女の背後で、ネムがアメジスト色の瞳を不気味に発光させ、床に落ちた影を蛇のように伸ばしていたからだ。
「無駄だよ」
耳元で囁かれた、鼓膜を凍らせるような気怠い声。
「そんな……私、私は……」
蛇に睨まれた蛙のように。ジェシカは声もなく、ただガタガタと震えるしかない。
その時、エルレアの刻印が、ドクン、と脈打つような熱を放った。
――その声は、消えたはずの記憶の隙間から滲み出てくる。
(……ああ、最高だ。エルレア、もっと奪って。君の強欲で、この醜い世界を塗りつぶして……)
脳内に直接響く、――エクスの恍惚とした声。
エルレアはそれを振り払い、毅然とした目で前を向いた。恐怖に顔を歪める父と義母を見下ろし、優雅に、そして残酷に微笑む。
「カイル殿下。アストレイン家の経営再建にあたり、家族……いえ、不採算部門はすべて切り捨てます。……彼ら、および共犯の疑いがあるディートリヒ・フォン・エヴァンス伯爵を即刻、地下牢へ。罪状は『王家資産の不当搾取』および『当主権限の横領』。異議はありませんわね?」
「もちろんだ。衛兵、捕らえよ!」
カイルの号令で騎士たちが一斉に踏み込む。父と義母が引きずられていく中、騎士の一人が声を上げた。
「報告します! エヴァンス伯爵を確保しました!」
突き出された男を見て、エルレアは息を呑んだ。
「……!」
その男は、エルレアが認識していた「ディートリヒ」とは明らかに別人だった。
騎士に締め上げられているのは、酒太りした、どこにでもいる凡庸な中年貴族の男。
エルレアが屋敷で対峙し、不気味な笑みを浮かべていたあの「ディートリヒ」とは、似ても似つかぬ別人の姿だ。
屋敷で会った“伯爵”の記憶が、現実の上書きによって軋むように歪む。その瞬間まで“確かに存在していたはずの人物像”が、別の像へと組み替えられていく。
「……偽物……?」
その瞬間、エルレアの思考を覆っていた霧が、急速に晴れていった。
屋敷で、応接室で、そして先ほどまで自分を恍惚と見つめていたあの「男」の輪郭が歪み、書き換えられていく。
黒髪は白銀へ。漆黒の瞳は透き通った空の色へ。
その“違和感の正体”は、砕けた魔力封じの腕輪と共に、ようやく輪郭を取り戻しはじめた。
(そうだ。あの日、そこに立っていたのは……)
禍々しいほどに美しく、白い天使のような姿をした――エクス。
(あの日、ダンスを踊っていたのは……あんただったのね)
『素晴らしい夜だ。また会おう、ボクの愛しい強欲……エルレア』
姿なき白い悪魔の残響が、耳元で愛おしげに囁いた気がした。
――その甘い毒を振り払うように、パン、と。不意に、高座から乾いた拍手が響いた。
静まり返っていた大広間の視線が、一斉に玉座へ向く。そこには、この一部始終をただ静かに眺めていた国王が、愉快そうに片眉を上げて座っていた。
「実に見事な夜会だ」
低く響く声に、誰も口を挟めない。
「腐った膿は暴かれ、偽りは裁かれ、若き才能は正当に玉座へ届いた。――余としては、実に満足している」
国王はゆったりと杯を傾け、それから、まるで旧知の悪友でも見るような、あるいは畏怖すべき古き隣人でも見るような目を、ふとネムへ向けた。
その瞬間だけ、ネムが僅かに目を細める。眠たげで気怠げな笑みは変わらない。
だが、ほんの刹那、『世界の階層そのもの』が軋んだような冷たい圧が広間を撫でた気がした。
国王だけが、それに気づいたように微かに杯を傾けた。
しかし次の瞬間には、国王は何事もなかったように破顔する。
「さて。余の舞踏会を、これ以上止めるつもりはあるまい?」
パン、と再び手を打つ。それを合図にしたかのように、宮廷楽団が慌てて演奏を再開した。
張り詰めていた空気が一気にほどけ、貴族たちも我に返ったようにざわめき始める。
「続けよ」
王のたった一言で、混乱も断罪も、すべてが“宴の余興”へと変えられていく。
エルレアはちらりと、高座の国王を見上げた。王は笑っている。
だがその視線だけは、まるで底知れない深淵でも覗き込むように、ネムから一度も逸れてはいなかった。
エルレアは一瞬だけ立ち尽くしたが、すぐに鋭く息を吐き、思考を現実へと切り替えた。
エクスがどこに消えたのか、ディートリヒが何者だったのか、今の彼女には関係ない。ただ、投資家として、この最高の舞台、いや利益を台無しにすることだけは許されない。
エルレアが絹の手袋の皺を優雅に整えた、その時だった。
すっと、彼女の前に長い影が差す。
見上げれば、カイルは彼女を愛おし気に見つめ、静かに片膝を突いた。
夜会の灯りを映した亜麻色の髪がさらりと揺れる。
差し出された右手はどこまでも優雅で、完璧な王子の所作そのものだった。
けれど、その眼差しだけは違う。
まるでようやく手に入れた至高の宝石を見るように、ひどく熱く、焦がれるような色を押し殺している。
「……さて、新当主。不快なノイズは消え去った」
低く穏やかな声音。
「――ようやく、私に君をエスコートする名誉をくれるかな?」
その言葉に、周囲の令嬢たちが小さく息を呑む気配がした。
エルレアはただ、差し出された白い手袋の手を一瞥すると、不敵に唇を吊り上げる。
「もちろん。……この負債の山を清算した後なら、殿下の『将来』という最大の成長株への投資も、検討して差し上げますわ」
からかうような声音。だが、カイルは嫌そうな顔一つしなかった。むしろ、その冷徹な言葉さえ愛おしいもののように、ふっと目を細める。
「それは光栄だ」
掠れるほど小さな声で呟く。
「……君に見込まれるなら、私のすべてを差し出しても悪くない」
エルレアはカイルの深い執着に気づかないまま、微笑んでその手を取った。
重なり合った白手袋。かすかな体温が伝わった、その瞬間――それを合図に、宮廷楽団が奏でるワルツの旋律が再び溢れ出した。
香油と火花の混じった刺激的な余韻。
エクスという名の過去を背後に置き去りにし、アストレイン家史上最も美しく強欲な新当主は、王子にその腰を引き寄せられ、何事もなかったかのように夜の広間を鮮やかに踊り抜けていった。




