第34話 もっと罵倒を! 人格否定を! ――完璧な淑女教育と魔力チャージ――
その翌日の午後。あたたかい風と共に、アストレイン家に、一通の先触れが届いた。
『王立魔塔所属、第一級魔導士カイル・ヴィ・クリスタ殿下。本日、領地視察のため来訪予定』
その知らせが読み上げられた瞬間、義妹ジェシカの悲鳴にも似た絶叫が屋敷を震わせた。
「な、なんですって!? カイル様が、この屋敷に!?」
王都で絶大な人気を誇る“会える王子様”にして、“アイドル魔導士”。
端正な容姿に、空を舞うような魔法演舞。そして誰にでも気さくな振る舞い。若い令嬢たちの「推し」の頂点――それがカイルだった。
当然、熱狂的な信奉者であるジェシカは、今や鬼の形相でエルレアへ詰め寄っていた。
「どうして、お義姉様がカイル様と面識があるのよ!? そもそも、あんな高貴なお方が、あなたみたいな『出戻りの出来損ない』を訪ねるなんて、何かの間違いに決まっているわ!」
「いや……仕事関係の契約で、ちょっとね」
「その“ちょっと”が万死に値するって言ってるのよ!!」
ヒステリックに叫ぶジェシカの背後で、義母が冷酷に扇子を閉じた。
「……落ち着きなさい、ジェシカ。ですが確かに、この薄汚い娘をそのまま殿下の前に出すわけにはいきませんね。アストレイン家の恥ですわ」
義母は冷ややかにエルレアを見下ろし、口角を歪めた。
「せめて、形だけでも『貴族令嬢らしく』矯正して差し上げましょう。……さあ、始めなさい」
数十分後。
「あ゛っ、ちょ……待っ……連日、締めすぎ……っ」
エルレアは侍女たちに包囲され、またしても容赦なくコルセットを絞り上げられていた。
ギチ、ギチ……と、肋骨が悲鳴を上げる。
「姿勢が悪いわ! もっと胸を張りなさい!」
「お腹が出ていますよ! 根性が足りないわ!」
淑女教育という名の公開処刑。普通の令嬢なら屈辱と激痛に泣き出し、慈悲を乞う場面だ。
――だが。
「……フフ、……ニタァ」
エルレアは、暗い歓喜に顔を歪めて笑っていた。
「ひっ……!」
侍女の一人が、生理的な恐怖に引きつった声を漏らす。
締め上げられるたび、エルレアの胸元に隠した魔道具――銀細工のブローチが、苦痛と悪意を吸い上げて琥珀色に淡く発光していた。
「もっとよ……! もっと締めなさい……!」
「えっ……?」
「この程度の精神的苦痛じゃ、魔力のチャージ効率が悪いでしょうが! もっと罵倒を! 人格否定を! 投資対象外だと切り捨てなさい! ああ……いい感じに魔力が溜まってきたわ……!」
「お、奥様……この方、やっぱり頭が……」
いじめていたはずの侍女たちが、本能的な恐怖でじりじりと後ずさり始める。
ネムは周囲に気配を悟らせぬまま、部屋の隅で影に溶け込み、その様子を愉快そうに眺めていた。
「うわぁ……エルレア。極限まで追い込まれると、本当にいい顔するよねぇ」
「最高の……褒め言葉として、……利息付きで受け取っておくわ……!」
その時。屋敷の外から、地鳴りのような歓声が響いた。急にバタバタと屋敷が慌ただしくなり、使用人が部屋へ飛び込んでくる。
「カイル様がお着きになりました!」
途端、義母とジェシカの空気が一変した。
「急いで! 応接室へご案内して!」
数秒前まで「処刑」を楽しんでいたとは思えない速度で、二人は淑女の仮面を被り直した。
豪華な衣装を着飾り、静々と応接室へ入って行く義母と義妹に続き、エルレアはヨタヨタと歩みを進める。
扉が開き、カイルがエルレアの姿を見た瞬間――その完璧な微笑みが凍りついた。
「……エルレア」
不自然なほど締め上げられ、苦しげに浅い呼吸を繰り返す姿。
蒼白な肌と、首筋に残る痛々しい紐の跡。
誰がどう見ても、悪辣な実家に虐げられた「悲劇の令嬢」そのものだった。
一瞬で、部屋の温度が氷点下まで下がる。カイルから漏れ出す第一級魔導士の圧力が、義母とジェシカの背筋を凍らせた。
「これは、どういうことかな? 僕の『大切なビジネスパートナー』に、随分と無作法な真似をしてくれたようだけれど」
「あ、あの、これは淑女としての……っ」
義母の言葉が震える。カイルの瞳に宿ったのは、静かな、しかし確実な殺意だった。
――だが、その絶体絶命の沈黙を破ったのは、当の被害者だった。
「ニタァ……」
エルレアが、カイルにだけ見える角度で、琥珀色に満タンに輝くブローチを掲げ、力強く親指を立ててみせた。
「…………」
カイルは五秒間、天を仰いだ。そして、エルレアの暴走モードを察して深いため息を吐く。
「ああ……なるほど。また何かやらかす気だね……?」
カイルはこめかみを押さえ、瞬時に“完璧な王子様の笑顔”へ戻る。
「失礼。少々、彼女の美しさに当てられて取り乱したようです」
完璧なフォロー。だが、その瞳だけは「あとでたっぷり説明してもらうからね」という冷徹な光を放っている。
「本日は視察のついでに、こちらを届けに参りました」
カイルは、王家の紋章が刻印された一通の封筒を取り出した。
「来週、王城で開かれる舞踏会の招待状です。ぜひ、エルレア嬢にこそ参加していただきたい」
義母とジェシカが羨望と驚愕に息を呑む。その隙を見計らい、カイルはエルレアの傍らに歩み寄った。
「苦しそうだね。エスコートさせてほしい」
彼は優雅な動作でエルレアの手を取り、自身の腕に添えさせた。義母たちからは、仲睦まじい恋人同士の距離感に見えただろう。
だが、その至近距離で、カイルの声のトーンが「仕事」のそれに変わる。
「……これ、君のドレスのポケットに。僕からの『先行投資』だ」
カイルは招待状を手渡す動作に紛れ込ませ、指先で小さく折り畳まれた一枚の薄いメモを、エルレアの隠しポケットへと滑り込ませた。
(……?)
エルレアが視線で問うと、カイルは耳元で囁くように唇を寄せた。
「君の実家の不透明な帳簿、それから婚約者候補のディートリヒ……彼の周辺を少し洗わせてもらった。想像以上に『焦げ付き』の多い物件だよ。今の君なら、上手く“料理”できるだろう?」
その瞳は、王子としての慈愛ではなく、獲物を追い詰める軍師の冷徹さを宿していた。
カイルが離れた後、エルレアはポケットの中のメモに指先で触れた。
そこには、カイルの端正な筆致で、アストレイン家が隠蔽している「横領の証拠」と、ディートリヒが抱える「致命的な弱み」が、エルレアが最も好む“貸借対照表”のような形式で簡潔に書き殴られている。
(……ふふ、あのアドバイザー、本当に仕事が早いわね)
カイルから手渡された「敵の弱点リスト」という名の最高の武器を手に、エルレアの瞳が輝きだした。
「カイル殿下、お心遣い感謝いたしますわ。……来週の舞踏会、最高に『利回りのいい』夜にしてみせます」
淑女の微笑みを浮かべながら、エルレアは内心で、メモに記された「負債者たち」をどう破滅させるかの計算を弾き始める。
「ああ、期待しているよ。僕の取り分も忘れないでくれ」
カイルは楽しげに目を細め、嵐の予感に震えるアストレイン家を後にした。




