第33話 特大電撃で炭にしたはずの婚約者が、ピカピカの貴公子に戻って一千万金貨の魔石を貢いできた件
屋敷のテラス。
昼下がりの穏やかな陽光とは裏腹に、そこには肌を刺すような緊張感が漂っていた。
数刻前の「電撃」による煤などは綺麗に拭われ、ディートリヒは非の打ち所のない貴公子の姿でそこに座っている。
対するエルレアも、淑女の仮面を被り、優雅に茶を啜っていた。
それを見守るエルレアの父と義母の笑顔は、商品を差し出す商人のそれだ。
「先程は失礼しました、エルレア嬢。……あんなに鮮やかな『挨拶』をいただけるとは、思ってもみませんでしたよ」
ディートリヒが低く、愉悦を隠しきれない声で切り出して、エルレアを見つめて愛おしそうに目を細める。
「まぁ、伯爵はすでに娘と会われましたのね?」
ディートリヒの目線に熱を察知した義母が扇子を口元に広げながら、ほくそ笑む。
だが、エルレアは氷のような微笑を湛えたまま、冷淡に言い放った。
「あら。挨拶を省略して無理やり『餌』を押し込もうとしたのは、エヴァンス伯爵、貴方の方ではなくて? 私はただ、粗悪な投資案件を突き返したに過ぎませんわ」
思惑が外れ、瞬時にアストレイン夫妻が凍りつくのを、エルレアは胸元に隠したブローチが淡く熱を持つのを感じながら、滑稽に見ていた。
「エルレア! 申し訳ありません、伯爵。今日は少し従兄弟と喧嘩をして気が立っているようでして。あ、ですが婚約までには淑女教育を完璧にしておきますので!」
父はエルレアを睨みつけ、ディートリヒへは焦ったように笑みを浮かべて取り繕う。
「ふふ、構いませんよ。それに確かに、純度七〇%の魔石など、君の唇には相応しくなかった。……お詫びと言っては何ですが、改めて『現物』をご用意致しました」
ディートリヒが指を鳴らすと、従者が恭しく小さな木箱をテーブルに置く。蓋が開かれると、中には目が眩むほど純粋な、最高級の「深海石」が鎮座していた。
魔塔の最高格付けでも滅多にお目にかかれない、純度九九%超えの逸品だ。
アストレイン子爵夫妻が息を呑むのが聞こえた。
エルレアの瞳が、一瞬だけ鋭く「査定」の光を宿す。
(……一千万金貨は下らないわね。維持費と管理コストを差し引いても資産計算の主軸になる)
「お口に、合いますか?」
覗き込むようなディートリヒの視線には、期待に満ちた嗜虐性が混じっている。
(とはいえ、私の人生をかける程の価値はないわ)
エルレアは侍女がティーカップに注いでいく高級な紅茶を見ながら、優雅な令嬢の笑みを浮かべた。
「……評価に値する資産ですわね。ですが、これをいただいたところで、昨日のドレス代と精神的苦痛への慰謝料、そして私の貴重な時間を奪った機会損失費用が相殺されるだけです。婚約の加点対象にはなりま……」
ガチャンッと、義母が侍女の手元を『わざとらしく』払った瞬間、カップが傾いた。熱い紅茶が溢れてエルレアのドレスにかかる。途端、ブローチに熱が込もるのを感じた。
「も、申し訳ありません!」
「貴女! 何をしているの!」
義母が激昂し、侍女はさらに縮こまり怯えながら震え出した。
「……ドレスを着替えるわ。貴女、手伝って」
エルレアは、テーブルの下で義母のヒールに踏みつけられていた侍女の足先を一瞥し、冷淡を装って震える侍女に声をかける。
そのまま席を立ち、その場を後にした。
自室へ向かう廊下。
「お嬢様……本当に申し訳ありません」
震える声で謝罪する侍女を見る。
家の事情で売られるように働きに出されたのだろう、まだ幼さの残る少女だ。
その怯えた瞳に、かつて魔塔を追われ、泥をすするしかなかった自分自身の影が重なる。
わずかに胸元が熱い。彼女に向けられた義母の「悪意」を、ブローチが余さず回収していた。
「いいのよ。むしろ助かったわ。あんな価値の低い茶番に付き合うのは、時間の無駄だと思っていたところよ」
エルレアは足を止め、ドレスの汚れなど気にも留めず、不敵に口角を吊り上げた。
「貴女、名前は?」
「メ、メリーです」
「そう、メリー。……いい? 今回、貴女は私に『退席の口実』という有益な機会を提供した。これはその対価よ」
困惑する侍女の手に、エルレアは懐から取り出した小粒の魔石を握らせる。
「お嬢様……?」
「投資よ。将来、私に有利な情報を運んでくる優秀な『駒』になりなさい。……そのためには、まずその腫れた足を冷やすことね。これ以上の損害は認めないわ」
驚きに目を見開いた侍女が、やがて年相応の信頼を込めた笑顔で頷く。
それを見たエルレアは、「安い買い物をしたわね」と内心で嘯きながら、次なる収益化の算段を立て始めた。




