第32話 従兄弟と婚約者が事故物件だったので、悪魔の同時自爆特攻で炭にして差し上げます
一方、ネムの殺気に気づきもしないブライアンは、エルレアの沈黙を屈服と受け取ったらしい。
満足げに立ち上がると、彼女の顎を掴んだ。
「ほら。口、開けて。君に相応しい『餌』の時間だ」
ざらり、と指先が、彼女の唇を汚すように撫でる。支配を確かめ、尊厳を蹂躙する愉悦に、ブライアンの顔が醜く歪んだ。
そして彼は、魔石を一粒――無理やり、エルレアの口内へと押し込んだ。
尊厳を蹂躙する汚らわしい魔力がエルレアの顔を打つ。
だがその瞬間、服の下に隠し持っていた胸元のブローチがドクン、と心臓のように脈打った。
(……え?)
ブライアンが注ぎ込む無意識の「支配の魔力」が、エルレアを侵食する代わりにブローチへと吸い込まれていく。ブローチは淡く熱を持つ。
その時、静寂を切り裂くような快活なノックが響いた。
「おやおや、仲が良いですね。私も混ぜてください」
扉を開け、胡散臭いほど爽やかな笑顔を振りまきながら現れたのは、夜の闇を溶かしたような黒髪を持つ長身の男。
(――ディートリヒ=フォン=エヴァンス)
昨晩、釣り書きの書面で冷徹に「査定」したばかりの顔。今日この屋敷を訪れるはずの、彼女の新しい婚約者だ。
彼は堂々たる足取りでエルレアの隣に座ると、彼女の顎を掴んでいたブライアンの手を、汚物でも払うような仕草で無造作に撥ね退けた。
「っ、エヴァンス……伯爵……ッ!」
ブライアンがたじろぎ、顔を青くさせるのも構わず、ディートリヒはエルレアの細い腰を強引に引き寄せる。
「……っ」
肺を潰すコルセットの圧迫に、強引な引き寄せが追い打ちをかけた。
嗜虐的な愉悦を瞳の奥に宿し、男は獲物の味見をするような距離感でエルレアの顔を覗き込む。
初対面とは思えない無礼なまでの強引さに、エルレアは一切の動揺を排し、ただ氷のような視線を男へと突き返す。
黙っていれば、万人が振り返るほどの美形。家柄も資産も申し分ない。
だが、これほどの「超優良銘柄」が、わざわざ不祥事まみれのアストレイン家に、それも「魔封じ」を施されるような曰く付きの女に求婚してくるなど、あまりに不自然だ。
(……なるほどね。一見して極上の宝石、中身は致命的な欠陥を抱えた「事故物件」というわけね)
男の瞳の奥、底知れない闇が蠢いているのをエルレアは見逃さなかった。
この男も、間違いなく訳ありだ。それも、ブライアンのような小物とは比較にならないほど、厄介で破壊的な――。
「ずいぶん面白い遊びをしていますね。でも、どうせなら――こっちの方が情緒があるんじゃないかな?」
ディートリヒは卓上の魔石を一つ拾い上げると、指先の力だけで無慈悲に粉砕した。鋭利な破片が、彼の掌で不吉に光る。
「これを流し込めば、口の中はズタズタだ。君の唇が鮮血で赤く染まれば、どんな宝石よりも綺麗だよ、エルレア」
狂気に満ちた囁きが耳元を打つ。そして、彼から溢れ出す「破壊」と「嗜虐」を孕んだ圧倒的な魔力。
それがエルレアに触れた瞬間、ブローチがひどく熱くなっていた。
(――わかった。これ、私に向けられた『攻撃』を吸い取って貯蔵してるんだ!)
確信がエルレアを突き動かす。自分を痛めつけようとするこの男たちの歪んだ欲望が、今の自分には最高の「投資」になる。
「――ふざけないで」
エルレアの体内から、制御不能な魔力が膨れ上がっていく。
瞬時に彼女はディートリヒとブライアン、二人の胸ぐらを同時に掴み寄せた。魔石を咥えたまま、強引に魔法を起動させる。
限界を超えた魔力の練進を感知し、黒銀の腕輪が暴走。次の瞬間、特大の電撃が迸った。
「ぎ、あがぁぁぁッ!!?」
当然、三人もろとも凄まじい衝撃に感電する。自らの肉体を焼く激痛に歯を食いしばりながら、エルレアは獲物を逃さない獣の眼光で二人を睨み据える。
やがて火花が収まると、エルレアは口内の魔石をペッと床へ吐き出し、膝をつく二人を尻目にすっくと立ち上がった。
「……この魔石、質が悪いわね。純度七〇%ってところかしら? 投資価値のないゴミを女の口に入れるなんて、失礼にも程があるわ。そこの婚約者さんも、美学を語るならもっとマシな現物を用意しなさい。出直して来ることね」
乱れた琥珀色の髪をかき上げ、エルレアは悠然と踵を返す。
背後ではブライアンが床で無様に呻いていた。だが、ディートリヒだけは違った。
服を焦がし、煤に汚れながらも、彼は熱に浮かされたような恍惚の表情で、エルレアの背中を見つめる。
「……ああ、素晴らしい。なんて強い瞳だ……」
熱に浮かされたような男の呟きを背に受けながら、エルレアは一切振り返ることなくその場を後にした。
自室の扉を閉めた途端、エルレアの膝から力が抜けた。
「おっと……限界かな?」
崩れ落ちる体を、背後にいたネムが滑り込むように支える。
小刻みに震える彼女の肩。電撃の反動か、それとも――。
ネムはエルレアを抱きしめるように顔を寄せた。
魔物が獲物を甘い地獄へ誘うような、理性を溶かす低い声で囁く。
「……ねえ、僕が全部終わらせてあげようか? 君が『助けて』って言うなら。……この屋敷の人たち、一人残らず、二度と目覚めない永遠の眠りにつかせてあげるよ」
ネムの指が、彼女の華奢な首筋をなぞる。だが、エルレアの口から漏れたのは、嗚咽でも悲鳴でもなかった。
「……る……」
「ん、なあに?」
ネムが耳を近づけると、エルレアは憎々しげに、執念深い声で数字を並べ立てた。
「あいつら……精神的苦痛に対する慰謝料、ドレス破損代、機会損失費用……一括で……利息は複利でむしり取ってやる……」
「……全然、僕の提案聞いてないし」
たくましすぎる主に、ネムは呆れたように頭を抱えた。だが、その口元は隠しきれない愉悦に緩んでいる。
「……ふふっ。それでこそ君だ。僕が選んだ、最高に強欲なパートナーだよ」
その時、エルレアはふと、懐から母の形見のブローチを取り出す。
それは先ほどよりも明らかに重厚な輝きを放ち、奪い取った「悪意の魔力」を宿して熱を持っていた。
「やっぱり!これ、私をいじめる奴の魔力を吸い取ってるみたい。少しだけど、最初より魔力が高まってる」
エルレアの肩越しに覗き込んだネムが面白そうに呟いた。
「へぇ……君に向けられた毒が、そのまま君の糧になるってわけか。最高に悪趣味で、最高に君に似合ってるじゃないか」
エルレアの唇が、どす黒い歓喜に歪む。
「ふ……ふふふ……お母様、素晴らしい『集金箱』を遺してくださって感謝いたしますわ」
ピリピリと腕輪が痛むたび、僅かずつだが魔力は溜まっていく。
エルレアから滲み出る漆黒のオーラに、ネムはわざとらしく両腕をさすってみせた。
「うわぁ……やっぱり北の山の魔物より、君の方がずっと怖いよ」




