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第30話 魔封じの腕輪と、魂の深層を求める夢魔の唇

 


「……っ」


 ハッと目を覚まして、身体を起こす。いつの間にか客室のベッドに寝かされていた。


「……何、これ」


 不意に、右腕に絡みつくような冷たい違和感に、視線を落とし、エルレアは息を呑んだ。


 鈍い黒銀色の腕輪。重厚な呪刻が幾重にも刻まれたそれを見た瞬間、嫌な既視感が脳裏を掠める。


 エルレアは反射的に魔力を練ろうとして――


「――ぁ、が……ッ!!」


 全身を焼き焦がすような電撃が走り、エルレアは激痛にのたうち回った。


 魔力を練るという意思そのものを否定し、肉体に直接苦痛を叩き込む高位の拘束具――。


 ベッドから落ち、床へ崩れ落ちたエルレアの喉から、ひゅう、と掠れた呼吸が漏れる。額から脂汗が滲んだ。


「……っ、は……ぁ、よりによって、魔封じの魔道具。……趣味の悪い『投資』ね……」


 呼吸を整えようとするエルレアの霞む視界に、ゆっくりと近づくネムの足元が映った。

 彼は膝をつき、のたうち回る彼女の顔を覗き込む。


 逆光でネムの表情は読めなかった。けれど、彼のアメジストの瞳だけが妖しく光を湛えている。


「ほら、言っただろう? 隙だらけだって」


 その声は、春の午後の日差しにはあまりに不釣り合いなほど冷徹だった。

 その他人事のような言い草に、エルレアは震える手で床を掻く。


「……あんた、見て、たなら……助けられたはず、でしょう!?」


 ネムは少しだけ目を丸くしたあと、心底不思議そうに首を傾げた。


「助ける? 僕が? 無理だよ。この家の結界、魔族には最悪だからね。主の許可もないのに無理やり魔力を通せば、今度は僕の方が炙り出されちゃうよ」


 氷のような指先が、そっとエルレアの頬を撫でる。


「僕だって万能じゃない。こんな聖属性まみれの檻の中じゃ、夢への干渉も遅いんだ。……ごめんね?」


 全く悪気のない笑み。慰めるような手つき。

 だがその実、壊れかけた玩具の具合を確かめるようでもあった。


「ねぇ、今の君、何点だと思う?」


 耳元で、甘く重い吐息が触れる。


「――“論理の飛躍、および前提条件の確認不足”」


 その瞬間、エルレアの脳裏に、魔塔時代の記憶が閃いた。


 提出するたび真っ赤に修正される論文。容赦なく書き込まれる指摘。

 そして最後に必ず添えられていた、悪夢みたいな講評。


『論理の飛躍、および前提条件の確認不足』


「なんで……あんたが、その言葉を……」


 エルレアの瞳が揺れる。呻きながら見上げたネムの顔は、ひどく嬉しそうに歪んでいた。


「さあ?」


 ネムは形の良い唇の端を吊り上げた。


「夢の中って、いろんなものが見えるからね」


 曖昧に濁しながら、彼はエルレアの腕輪へ冷たい指先を滑らせる。黒銀の呪具が、ギチリと鈍く軋んだ。


「でも今の君、面白いよ。……魔力も使えない。ただの“綺麗な女の子”だ」


 ネムは熱を孕んだ声音で囁いた。

 長い指で、乱れたエルレアの髪を艶めかしい動きで彼女の耳にかけていく。


「『お母様』の教え通り、()()()()だけは一級品だね」


 甘い魔力が、ゆっくりと肌へ絡みついた。そっと、逃げ場を塞ぐように。


「ねぇ、君が望むなら、僕がこの腕輪を壊してあげようか……その代わりに、君の『何』をくれる? 金貨はいらないよ。それよりもっと価値のある……君の魂の、ずっと深いところの味が知りたいな」


 ネムは瞳を潤ませながら、唇が触れそうなほど顔を寄せた。


「悔しいなら、また僕を驚かせてよ。……もっと、僕に君を味あわせて?」


 彼は弱ったエルレアを見下ろしながら、ひどく煽情的に笑った。指先で、魔封じの腕輪を軽く叩く。硬質で頭蓋に直接響くような音がした。


「この『不合格』な状況を、どうやって莫大な利益に変えるのか」


 ネムの声は、甘く、暗く、どこまでも愉悦に満ちていた。


「……君の強欲さって、こんな安物で終わるほど、つまらないものじゃないだろ?」


 呼吸を整え、顔を上げたエルレアの瞳に、すべてを焼き尽くすような強い熱が戻る。


「......ふん、当然よ」


 怯むどころか不敵に笑い返す彼女を見つめ、ネムは恍惚とした表情で唇の端を舐めた。


「ふふ、それでこそ、君だ……♡」


 ネムは彼女の横顔を見ながら、その瞳の熱を味わうように、恍惚とした顔で唇の端を舐めた。




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