第23話 「戦闘中に色気出すな!」――夢魔の誘惑、爆風に消ゆ
「……あれ?」
瞼を持ち上げた瞬間、視界は爆ぜる火の粉に埋め尽くされた。
絶え間なく鼓膜を打つ剣戟の音。半ば崩落した石造りの回廊には、燃え落ちた旗が夜風に煽られ、死に損ないの獣のようにのたうっている。
「エルレア! 危ない!」
視界に薄紅色の髪がふわりと揺れた。同時に、鼓膜を劈くような金属音が連続して響く。
ネムは額に真珠のような汗を滲ませ、重厚な甲冑を纏った騎士と剣を交わしていた。
「え? 何これ……戦場? ネム、その格好……」
見慣れない細身の剣を振るうネムに、エルレアが強烈な違和感を覚える間もなく、彼は戸惑う彼女の腕を力強く引き、炎の爆ぜる回廊を走り出した。
城壁の向こうでは幾筋もの黒煙が天を突き、悲鳴と怒号が冷えた夜気に混じり合っている。
次々に迫り来る騎士たちを、ネムはかつて見たことがないほど余裕のない表情で斬り伏せていく。
……だが、そんな切迫した状況ですら、頬に張り付く髪の一筋までもが、放つのは煽情的な色気――
不意に、エルレアとネムの視線が重なった。
ネムはエルレアを庇うようにして壁際へ押し込む。至近距離で剣戟の火花が散り、熱を帯びた鉄の匂いが鼻腔を突いた。
ネムはエルレアの腰を抱き寄せ、吐息が混じるほどの距離までぐっと詰め寄る。その肌は、夢魔特有の蠱惑的な熱を帯びていた。
「――今しかないと思うんだ」
長い指先が、エルレアの頬のラインを愛おしむようになぞり、そのまま顎をそっと持ち上げた。
アメジスト色の瞳が、エルレアの意識を絡め取るように熱く、甘く、とろけていく。
「こういうシチュエーション……君、嫌いじゃないでしょ?」
深淵へ誘うような妖艶な笑みを浮かべ、ネムの端正な顔がゆっくりと、確実に近づいてくる。
脳を麻痺させるような香気。その唇が触れようとした、まさにその一瞬――。
「タイミング、最悪ね」
「え?」
「戦闘中に色気出すな! 死ぬわよ!」
ネムの動きが石像のように固まった。
「いや、でも、ここで極限の吊り橋効果を狙って距離を――」
「維持しなさい、間合いを! 後ろ! あと敵が三体来るわよ!」
鋭い指摘と同時に、エルレアは背後からの斬撃を、懐から弾いた魔石の障壁で防いだ。
「ひーっひっひっ! こんな旧世代の物理戦闘なんて怖くないわよ!」
「えええ……」
ネムの表情から一気に艶っぽさが消え、いつものやる気のない顔に戻った。
彼は肩を落とし、剣先をだらりと石床に引きずる。
「はぁ……だめだ。夢の中なのに、剣……重い……無理……」
「何してんの! 死にたいの!? 獲物を構えなさい!」
エルレアは瞳を爛々と輝かせ、懐から魔石を次々に取り出しては弾き飛ばした。
夜の回廊に連続して轟音が響き渡り、火炎と衝撃波が騎士たちを文字通り「粉砕」していく。
「あー……エルレアさん? 何だか変なスイッチ入ってない?」
「ひーっひっひっひっ! ターゲット確認! 殲滅コスト、魔石三つで十分!」
ネムは、恋の予感もクソもない爆発音の中、完全に「戦闘モード(収支計算モード)」に入った主人を眺め、深く長いため息をついた。
『……レア……エルレア……!』
突如、天から降ってきたのは聞き覚えのある男の声だった。
「今度は何よ! 巨大ゴーレムでも何でも来なさい! 全部魔石で吹き飛ばしてやるわ!」
大地が激しく揺さぶられ、視界の端から世界が歪んでいく。
「あ、このパターンで夢が崩壊するのは初めてだなぁ」
ネムが他人事のようにぼんやりと呟いた、その瞬間――。
「エルレア!」
「んぁ……っ! 超大型ゴーレム……降臨……?」
勢いよく瞼を持ち上げたエルレアの目の前にあったのは、すこぶる不機嫌に眉を吊り上げたカイルの顔だった。
「……いつまで寝ているのかな、君は。それより……」
視界が晴れるに従い、カイルの眉間に刻まれる皺が、見る間に深くなっていく。
「カイル? 眩しいんだけど。あと三時間は寝かせて……資産運用の夢の続きがあるの……」
「君、自分の状況を理解しているのかい?」
永久凍土を思わせる極低温の視線が、エルレアを射抜いた。
彼女の腰には、寄生虫のようにしがみついて熟睡するネムがいた。無駄に艶っぽい肌を、宿の安いリネンに晒しながら。
「エルレア。……教育的指導が必要なようだね」
「ちょ、ちょっと待って! これは不可抗力、ただの電池の充電よ!!」
慌ててネムを蹴り落とすと同時に、床に転がっていた予備の魔石を猛禽のような素早さで袖口に滑り込ませた。




