第22話 因果応報。――「僕王子サマだからさ、ゴメンね?」というアイドル笑顔で全財産を監査(没収)されました
船から逃げるようにして離脱した、夜明け前。
海上にはまだ、豪華客船レヴィアタン号の残響のような喧騒が薄く漂っていた。
エルレアは、隠れ家代わりに借りていた港町の倉庫へ戻るなり、扉を閉めるのももどかしく床へ魔石の袋を放り投げた。
どさり、と重苦しい音が沈黙を破る。
「ひっひっひっ……!」
彼女は肩を震わせ、堪えきれない笑いを漏らした。
「これで当分は研究し放題! 魔力効率の検証も、新しい回路設計も……ふふ、最高じゃない」
魔石は山をなし、薄暗い倉庫の中で鈍い光を反射していた。貴族たちが狂ったように奪い合っていた“価値”の残骸が、今はただの資材として静まり返っている。
エルレアはその山に手を突っ込み、無造作に一つの石を転がした。
そのときだった。指先に、異質な感触が走る。
「……ん?」
魔石の隙間に、ひとひら。
煤けた白い羽が、そこに混ざっていた。
不自然なほど澄んだ魔力の残滓で淡く輝くようだった。
エルレアはそれをつまみ上げ、忌々しげに目を細める。
「……やっぱり、あいつが絡んでいたのね」
声には勝利の余韻ではなく、苦々しい警戒が混じっていた。
羽は軽い。だが、触れているだけで思考の奥がわずかにざわつく。まるで“どこかの視線”がまだここに残留しているような、不快な粘り気。
エルレアは舌打ちし、羽を机の端へ放り捨てた。
「気味が悪いわ。……不快よ」
そのまま、彼女は魔石の山に寄りかかるように座り込む。疲労というより、情報過多による処理落ちに近い沈黙が彼女を包んだ。
――その夜更け。
エルレアが深い眠りに落ちた頃。倉庫の空気が、わずかに揺れた。
「……やれやれ」
ネムが、壁際の影から音もなく姿を現す。
眠そうに目を細めながら、魔石の山の上に落ちた煤けた白い羽を拾い上げた。
「――紛い物が」
指先で軽く弾くと、その瞳孔が一瞬縦に裂けた。
夢か、現か、幻か――
次の瞬間、羽は音もなく消失する。
燃えたのではない。夢を食い尽くすような、静かな無への帰還。
「痕跡は、毒になるからね。……特に、エルレアみたいな『純粋な欲』を持つ子には」
誰にともなく呟く。あの『紛い物』の執着は相当だ。
エルレアの首筋に刻印がある限り、この行動も一時的な追跡を遅らせる程度にすぎないだろう――。
ネムは、倉庫の外――闇に沈む街の向こうへと視線を向けた。
魔塔から流れてきた不正資金、黒銀商会との癒着、夢香炉の流通記録。
それらはすでに、匿名の内部告発として整理され、今この瞬間も複数のルートを通じて“上層”へ流れている。
明日の朝には、魔塔は知らぬ存ぜぬでは通らない騒ぎに包まれるだろう。
誰かが処理され、誰かが切り捨てられる。その“掃除”の設計図を書いたのは、彼だった。
ネムは小さく、愉悦を隠さず笑う。
「君が欲をかいて暴れるほど、僕の仕事は捗るんだ」
眠るエルレアを一瞥し、肩をすくめる。
「……いいコンビじゃないか、エルレア」
その声は、相棒への信頼というより、優れた道具を愛でる観察者の満足に近かった。
翌日は清々しいほど晴れた朝だった。
そんな爽やかな朝に挨拶をするように、優雅に倉庫のドアを叩く音でエルレアは目を覚ました。
「やぁ、エルレア。ずいぶん派手に暴れてくれたね? おかげで僕たち王宮執行官が『治安維持』を理由に突入する、絶好の大義名分ができた。心から感謝するよ」
扉を開けるなり爽やかに告げたカイルに、エルレアはこれ以上ないほど現金な、ひまわりのような満面の笑みを向けた。
「あら、素直ね、王子様! ということは、その追加報酬を支払いに来てくれたのかしら?」
「まさか。公務の『確認』だよ。……君の目の前のそれ、出所がちょっと問題でね」
「……はい?」
完璧に隠匿していたはずの倉庫の机の上には、見覚えのある黒銀商会の袋が、美しく整列していた。
驚いてカイルの背後に視線を移せば、影のように控える王宮執行官たちが、音もなく一礼して退室していくところだった。
エルレアが気づかないほどの神速で、すでに部屋の家宅捜索と、バッグからの押収は完了していたのだ。
「船内資産には全部、魔導監査用の個体識別刻印が付いてる。……つまり、逃げ道は最初からないってこと」
「……えっ?」
ぽかんとするエルレアに対して、カイルはアイドルスマイルを崩さないまま、事務的な手つきで淡々と書類をめくる。
「ほら、これ。レヴィアタン号から『強奪された資産リスト』。……で、不思議な事に、君が大事にしまい込んでいた四次元バッグの中身と、この机の上のシリアルが驚くほど一致してるんだ」
エルレアは一瞬だけ、時を止められた彫像のように硬直した。
次の瞬間、この世のすべての不条理と、減る一方の預金残高を呪うような、地を這う溜め息を吐き出す。
「不条理だわ……」
エルレアの嘆きとは反対に、カイルは美しく、だが逃げ場を与えない微笑みを浮かべたまま書類を閉じた。
「不条理ではなく、監査だよ。僕だって個人的には見逃してあげたいけど、立場上没収せざるを得ないんだ。ほら僕王子サマだからさ。……ゴメンね?」
言いながら子犬のような上目遣いで片目を瞑る。星が飛んできそうだ。
「私にあざといアイドルスマイルは効かないからね。確信犯的に私の稼ぎを公金に戻しているのがバレバレよ?」
「あ、それと、今回のオークションの招待状、ハリス子爵の名義を裏で使って手に入れたでしょ? おかげで『ハリスの親族を名乗る琥珀色の髪の聖女が現れた』なんて愉快な話が僕のところへ届いているんだけど……心当たりは?」
その横で、ネムは何事もなかったように、特大の欠伸をしていた。
「ふわぁ……顔は隠していても、大物のハリスの名義を使ったこと自体が足跡になっちゃうんだから、エルレアは可愛いねぇ」
「ネム!あんた気づいてたわね!?」
「ごちそうさま♡」
憤慨するエルレアを余所に、ネムは満足げに唇を舐め、彼女の頭から立ち上る上質な「怒り」を吸い込むように目を細めた。
「それじゃ、これは確かに没収していくよ」
そう言って、カイルは部下に命じて金塊の袋を回収させ、爽やかに去っていった。
倉庫に残ったのは、昨日までの勝利の熱ではない。
カイルが去った後の冷え冷えとした空気と、金塊が没収されていった非情な現実。
少しだけ歪んだ“共犯関係”の、苦い余韻だけだった。




