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第12話 恋に落ちた乙女の顔で、ドレスの金糸を換算するな

 


 翌日、カイルに指定された時間になると、宿の前が騒がしくなった。


「……はい!?」


 エルレアは窓の外を覗き、絶句した。

 そこには王室の紋章が光る、豪奢な馬車が鎮座していた。


 慌てて階下に降りて宿の扉を開けると、見計らったかのようにカイルが馬車から降りて来た。


「やあ、おはよう」


 宿の主人が床に額を擦り付けんばかりに平伏する中、カイルだけがその空間から切り取られたかのように、冷たく、完璧な美しさを放っていた。


 その姿は、もはや昨日までの世話焼きな同僚ではない。眩いばかりの正装に身を包み、陶器のように滑らかな微笑を浮かべた「第五王子」がそこにいた。


「えっと?カ、カイル、よね……?」


 声をかけると、カイルは優雅に微笑んだ。


「ふふ、エルレアは忘れてるみたいだけど、私は『王族』なんだよ……?」


 一人称すら普段の『僕』から『私』に変えたカイルの、氷のように整った微笑。


「……っ、いいわ。なら私も元・子爵家令嬢として、王族相手の『本気の商談』を見せてあげる」


 エルレアは金の匂いに当てられた高揚感を抑え、完璧なカーテシーでその手を取ると、恋人のように振る舞いながら、カイルと共に高級ブティックへ向かった。


「素敵……!こんなお店に入ったのは初めてですわ」


 エルレアはカイルの腕を取り、甘えるような仕草をする。


「君の好きなドレスをプレゼントしたい。……どれがいい?」


「そうね……このドレスの刺繍、金糸を解けば銀貨10枚分にはなるわね」


「君の価値は、そのドレスの数千倍だけどね。……換金はさせないけど」


 カイルの呟きなど耳に入らないエルレアは、うっとりした表情で、金糸の刺繍が装飾された深い緑色のドレスを見つめる。

 その瞳の奥では、金貨の計数機が高速で回転していた。


(あんな高価な金糸をあんなに贅沢に……!素材だけで売っても一生遊べるわ!)


「あ、この宝石、質屋に入れれば数ヶ月は遊んで暮らせるわ」


 宝石の煌めきを瞳に映して上気した彼女の頬は、傍目には恋に落ちた乙女そのものだ。


 しかしその口から漏れるのは、慈愛の欠片もない冷徹な銭ゲバの算定だった。その脳内では、今まさに質入れした際の利息計算が、聖歌よりも厳かに響き渡っている。


「えっと、気に入ったかい?」


「ええ! 製作者に最高の賛辞を贈りたいわ!素材の換金率が最高だって!」


「製作者がショックで筆を折るから、それは心の中にしまっておこうか」


 カイルは苦笑しながらも、流れるような動作でエルレアの手を取り、試着室へとエスコートした。


 扉が閉まった瞬間、エルレアの口角がだらしなく跳ね上がる。


 子爵令嬢時代でもお目にかかれなかった最高級の生地。彼女は誰に憚ることなく、ドレスの装飾を資産価値に換算しながら、悦びに浸って袖を通し始めた。


 だが、不意に背中に氷を押し当てられたような悪寒が走る。


「……ん?」


 振り返るが、そこには鏡に映る自分しかいない。

 ――その時だった。「カイルゥ……」と、湿り気を帯びた不気味な声が耳元で粘りつくように囁いた。


「ぎゃあああああ!」


 エルレアは色気の欠片もない悲鳴を上げ、半ば脱ぎかけのドレスを掴んだまま試着室から飛び出した。


「エルレア!?」


 驚いて振り返ったカイルに、彼女は勢いのまましがみつく。


「だ、大胆だね、エルレア」


 カイルは耳まで赤くしながらも、その腕は彼女を離さないよう、驚くほど力強く回された。


「お、お、おば……お化けの声が……!」


 普段の傲慢さはどこへやら、小刻みに震え、今にも泣き出しそうな顔でカイルを見上げるエルレア。

 それを見たカイルの心臓は、これまでにないほど激しく高鳴った。


「……君がこんなに僕を頼ってくれるなら、幽霊も悪くないかな」


 エルレアには聞こえないほどの密やかな声。カイルは自分の上着を彼女の肩にかけ、守るように抱き寄せた。

 そして、王室から持ち出したブローチ型の魔道具を、彼女の震える手に握らせる。


「……カイル、これは……?」


 ブローチには赤い超上級魔石がついていて、手にするだけで溢れるような魔力を感じる。


「これは、どんな不浄も一度は退ける王家の秘宝だ。これを持っていれば、君に危害を加えられる者はいないよ」


 さっきまで半泣きだったエルレアの瞳が、国宝級の赤い超上級魔石を捉えた。


 その瞬間、涙は乾き、さっきまで青白かった頬には生気が戻り、口元には満面の笑みが浮かんだ。


「うふ、うふふふ……失礼いたしましたわ。ごめんなさい、少し取り乱してしまっただけよ。……すぐ、着替えてくるわね!」


 エルレアは魔道具の「重み」を噛み締めながら、スキップせんばかりの足取りで、再び「宝物庫」へと戻っていった。


 試着室のドアが閉まると、カイルは両手で顔を覆い、深く、長く息を吐き出した。――まだ、心臓がうるさい。


(幽霊でも悪魔でもいい。……君が僕に頼らざるを得ないなら、なんだって利用してやる)


 指の間から覗くカイルの瞳は、底暗い喜びと執着に満ちていた。



 ブティックを出て、二人は馬車で移動する。

 流れる景色を見ながら、エルレアはご機嫌で馬車に揺られていた。その胸には、先ほど「せしめた」赤い魔石のブローチがちゃっかりと輝いている。


「だいぶ派手に動いたから、噂を聞きつけた人々が集まって来たみたい。……いい流れだわ」


 カーテンの隙間から、野次馬たちの好奇に満ちた視線を感じる。同時に、あの不快な思念体の気配も、確実に濃くなっていた。


「ああ、次に降りる時は、さらに注目を集めることになると思うよ」


「ひっひっひっ、思念体が炙り出されるのも時間の問題ね」


 馬車が止まったのは、貴族御用達の最高級レストランだった。


 エルレアは堂々と認識阻害サングラスをかけ、馬車を降りる。「カイルの本命」としての素顔をあえて隠し、神秘性を高めることで周囲の嫉妬を限界まで煽る演出だ。


 カイルがその手をとり、この上なく優雅にエスコートを開始する。

 王子にかしづかれる、サングラス姿の地味で奇妙な女。


 その歪な光景に、周囲からは激しい嫉妬と困惑の眼差しが突き刺さり、駆けつけた記者たちが一斉に魔導写真機のフラッシュを焚いた。


 どよめきと光の渦。それらすべてが、エルレアの描いた完璧な作戦の内だった。



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